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のどかなたらい舟に揺られる集落に残る句碑 〜称光寺

こんにちは。さて、前回の続きでようやく佐渡の宿根木にやってきました。

高台から集落全体を眺める

時間の流れがゆっくりなのどかな集落でした。

さて、最大の目的はもちろん、たらい舟です。

たらい舟からの景色
透明度の高い海です

当日は風が強く、波が高い中での就航になったため、船頭さんはかなり大変そうでした。申し訳ないですね。

さて、そんな感じでたらい舟を堪能したあと、帰り道で神社とお寺を発見しました。

白山神社

白山神社拝殿

拝殿には「白山姫神社」と書かれた額がありました。

筆者はおそらく久我建通氏。

氏は88歳頃亡くなっていますので、亡くなる5年ほど前のものと推定できます。

他にも天満宮と龍王殿という額がありましたので、全部で3社がここに祀られていると思われます。

神社を後にして暫く歩くと称光寺というお寺が見えてきました。

称光寺

本堂を撮り忘れました。寺号額には海徳山と書いています。

落款には昭和四年孟春 鋳勝翁書とあります。

写真には収めていませんが、崖に囲まれたような立地でとても不思議な空間です。

境内には熊野神社もあります。

そう、この神社の足元に額が置かれていました。どこからか落ちたのでしょうか?

この漢字かな混じり額には次のように書いてありました。
「人間は損かとくかを決める 仏は嘘か真かを決める
いいじゃない いいじゃない 人の こころと 仏のこころ あるなんて」

筆者の読み解きができなかったので、不明としておきます。

言葉が素敵だったので、自分で書いてみました。

振り返るとそこに句碑がありました。

水汲女 寒の石段踏み 減らし

碑の裏に次のように書いていました。

水汲女 寒の石段踏み 減らし
俳句は宿根木を詠んだ角川俳句受賞作 品で中窪みの石段は生活の厳しさを物語 っている俳人協会受賞作品にも佐渡の俳句が 多い稚魚は生前十回余佐渡に渡り俳人の 仲間では佐渡の稚魚とよばれた
岸田稚魚略歴
大正七年東京に生る 本名順三郎
昭和三二年角川俳句賞受賞 四七年俳人協会賞受賞
五三年琅玕 主宰句集 負け犬 雁渡し 筍流し 他多数
昭和六三年十一月二四日 逝去
建碑 山口誓子句碑建立委員会 嶋影俳句会
除幕 平成九年九月十四日
撰文 数馬あさじ 揮毫 逸見不愁 刻師 土屋秀夫

句碑 碑陰より

揮毫を担当した逸見不愁氏は佐渡の書家として名を馳せた一人であったようです。(『佐渡博物館館報』より)

ここの句にある「水汲女 寒の石段踏み 減らし」については『雲母』44巻にて田中鬼骨氏が「俳壇近作鑑賞」の中で言及しています。

宿根木の蜑(漁業で生計をたてる水上の民)部落のような気がしてくるのである。(中略)佐渡と言へば、島果の部落といへるような場所はいくらもあることである。(中略)読む方で勝手に想像してみることのほうが余程作品を生き生き鑑賞できるといふものである。

「俳壇近作鑑賞」より

最後に、田中氏は稚魚氏の別の俳句を絶賛していましたので、紹介します。

島果の 部落の冬灯へ バス落ちゆく

岸田稚魚句


いずれも、冬の佐渡で生活する人々の声が聞こえてくるようです。

アクセス
〒952-0612 新潟県佐渡市宿根木


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