しずくが落ちるのを待っているよ

久々にほとんど全部嘘の世界で生きている、生きようとしているのだと思った。
もはや考察する感情もないけれど、あったこともなかったことになってしまうような、どうにかして嘘にしなければという牽制を感じる。

私が話していることはほとんどすべてが本当なのに、全部茶化してまとめようとする。
私にとってはなにもかも一大事だったんだけどね。傘で姿や迷いを隠したことも。


とても好きだった。不思議なことに、(私にとって)いやな面やがっかりする話を知っていってもきらいにはなりきれなかった。

手を伸ばせばすぐに触れられる距離にいたけれど、もうそこには触れないようにしようと思っていた。
そう、もうすぐ雨が降る。


素の本人はあまり喋らないと思っているが、最近は慣れてきたのか少し喋るようになった。
でもそこに心があるのかはわからない。
あいつは私をそういう意味では気に入っていると思うけれど、本当に肝心な、心のほうには入れない。
奥に入ろうとすると距離が遠くなる。さっきまではあんなに近かったのに。
傘のしずくの大きさの違いがわかるほど鮮明に、はっきりと。

もうそれは本人の気質なのだろう。あれ以上に心を開いてくれることは多分ないし(今でも他の人よりはかなり開いてくれているとは思うが、それでも)、私もおちゃらけたようにしか話せない。


心って何?と、きっと言うだろう。
本当の自分って何?とも 言うだろう。
そうだね、どちらも耳障りのいい歌詞のようで
いつまでも青い、若いことを言っていないでと苦笑するかもしれない。


ごめん、私も気質なんだ。
どうしても探りたくなってしまうんだ、せめてどこに真意や本音があるのかだけでも。
相反する気持ちが同時に存在していても別にいい。
ほんとうに大事だけれど実はそれほどじゃない、とか。
こちらも好きで嫌いなのは同じだった。



ああ、全部本当のことなのにな。全く緊張せずに気持ちを伝えるから冗談だと思われるのかな。


受け入れもしないし、断りもしないことが分かっているからもう言える。それだけ。


嘘だと思うならそれでも、よい。どちらにしても私はつらいことはない。
ただ、ずっとここにいることも ない。

本気をぶつけたらいつだって困った顔で言葉に詰まって 目をそらすよね。
でもそんな悲しさすら、もう懐かしいよ。


離れたくないのはいつも雨の日。
離れていくのも いつも。


ごめんね、大好きな実体のわからない親友よ。

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