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漱石の俳句

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夏目漱石は国民的作家となる以前、俳人として活躍していました。英国留学によって俳人としてのキャリアは断たれましたが、その俳句を読むとあまり知られていない漱石がみえてきます。俳句から… もっと読む
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記事一覧

漱石の俳句(9)秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ

漱石は猫で有名ですが、犬も飼っていました。『元祖・漱石の犬』という本によれば、明治三〇年…

漱石の俳句(8)肩に来て人なつかしや赤蜻蛉

明治四三年八月二六日、漱石は療養中の伊豆で大量の血を吐き、危篤状態に陥ります。数日生死を…

漱石の俳句(7)筒袖や秋の柩にしたがはず

運命とは残酷で、また面白いものです。明治三三年、漱石は文部省から英国ロンドン留学を命ぜら…

漱石の俳句(6)安々と海鼠の如き子を生めり

明治二九年、漱石は結婚します。その年、妻・鏡子は流産。ノイローゼ(ヒステリー症)から投身…

漱石の俳句(5)菫程な小さき人に生れたし

二〇一四年、漱石から子規へ送った手紙があらたに発見されたというニュースがありました。手紙…

漱石の俳句(4)有る程の菊投げ入れよ棺の中

漱石は手紙魔としてもよく知られています。『行人』や『こころ』のように手紙形式の小説もある…

漱石の俳句(3)累々と徳孤ならずの蜜柑かな

明治二九年の作品にも理想を詠んだ句があります。  累々と徳孤ならずの蜜柑かな 論語の「子曰く、徳は孤ならず、必ず隣有り」(徳不孤、必有鄰)を使った一句。徳のある者は決して孤立することはなく、必ず隣に慕ってくる者がいるという意味です。 ご存知の通り、漱石は「木曜会」をはじめとして、弟子が豊富で、後年「漱石山脈」といわれるほどでした。この句が読まれたのは熊本時代ですが、五校の学生が漱石を主宰にして、俳句結社(紫瞑吟社)を立ち上げるほど、すでにその「徳のある者」の傾向がみられ

漱石の俳句(2)木瓜咲くや漱石拙を守るべく

漱石の俳句でもっとも有名なのは、明治三〇年、熊本時代の次の句ではないでしょうか。  木瓜…

漱石の俳句(1)不立文字白梅一木咲きにけり

現存する漱石の俳句は二千五百句あまり。子規の俳句と比べるとその一割もありません。そのうち…