見出し画像

漱石の俳句(9)秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ

漱石は猫で有名ですが、犬も飼っていました。『元祖・漱石の犬』という本によれば、明治三〇年、漱石は鏡子の流産のあと、その傷を癒すためか、一匹の仔犬を飼ったそうです。写真も遺っています。しかし、その仔犬とは一年で引っ越しの際に別れることとなります。そのあと鏡子の自殺未遂が起ります。漱石はまたすぐに犬を飼います。黒色の大きな犬で、クロという名で呼ばれたそうです。

クロは二年で死んだそうですが、その間に長女筆子が生まれます。その後も順調に子どもが生まれ、漱石と鏡子の間には、二男、五女の子どもが生まれました。

明治三二年 長女筆子
明治三四年 次女恒子
明治三六年 三女栄子
明治三八年 四女愛子
明治四〇年 長男純一
明治四一年 次男伸六
明治四三年 五女雛子

鏡子は漱石の小説と競い合うがごとく、次々と子を産んでいます。とても、犬を飼うどころではなくなったように思えます。ところが、明治四四年に五女の雛子が一歳の幼さで、突然亡くなります。漱石が修善寺の大患から一命をとりとめた翌年の出来事でした。

すると、漱石はまた犬を飼いはじめます。謡の師匠からもらいうけたという、その犬はまだ生まれたばかりの仔犬でした。子どもらが犬に呼び名がないと困るというので、漱石はギリシアの神話に出てくる英雄の名から「ヘクトー(ヘクトル)」と付けました。

詳しくは『硝子戸の中』(大正四年)で触れられていますが、ヘクトーは大正三年に死にます。そのとき、漱石はこんな句を詠んでいます。墓標として板に「わが犬のために」と書いています。

 秋風の聞こえぬ土に埋めてやりぬ (大正三年 )

ヘクトーの死はたいへん寂しいものでした。その死を悼む気持ちが詠まれています。さらに言うと、ヘクトーは雛子を失った漱石の心を癒してきたはずですから、雛子への思いも重ねて詠まれているはずです。あきらかに、この句を詠むことで漱石は自身の寂しい気持ちを抑えようとしているようです。

前書きには「わが犬のために」とありますが、前書きなしでも成立する句です。その場合、何を埋めたかがないので、まるで寂しさそのものを一緒に埋めてやったと自分自身に言い聞かせているかのようにも思えますし、同時に、この墓を見る人に向けて、そう言っているようにとれます。いずれにしても、自分自身であれ、他者であれ、この墓を見て寂しさを感じるであろう人の心をどこか軽くしてくれる句です。こういうところに漱石のユーモアを感じます。

実はヘクトーの墓標が立てられた時、その隣には猫の墓標も立っていました(『漱石追想』によれば、文鳥の墓標もあったらしいです)。それは『吾輩は猫である』(明治三八年一月~明治三九年八月)のモデルとなった猫の墓です。猫の墓標にも句が詠まれています。

 此の下に稲妻起る宵あらん   (明治四一年)

この句、この墓を見ている人に向けて詠まれています。「此の下」とは墓標の下であり、土の中です。稲妻は空に起るものですから、普通の稲妻ではありません。この句が詠まれた経緯は「永日小品」にありますが、死期の迫った猫の目の色が徐々に沈んでいくのを見ていると、そこに「微かな稲妻があらわれるような感じがした」と書いています。明るくなると猫の瞳孔が縦に細くなるのを稲妻といっているのかもしれませんが、具体的に稲妻がなんであるかは、わかりません。猫の魂のようなものかもしれません。それは土の中だから見えないだけで、猫の魂が目を覚ます夜があるよ、といっているようにもとれます。いずれにしても、普通の俳句ではありません。なぜなら、この句はいわば、『吾輩は猫である』のモデルになった猫の墓標という「前書き」があるような句だからです。

漱石は小説家としては立派だが、俳人としては中途半端だったという人がいるかもしれません。たしかに『虞美人草』以降、漱石は職業としての小説家を自覚していました。しかし、漱石は手紙や日記だけでなく、猫や犬の墓標に鎮魂として俳句を書く人でした。そのことが、俳人としての漱石の有り様を示しているし、現代の俳人と呼ばれる人々に諭すものがあるように思われてなりません。

ヘクトーの句が詠まれた年、漱石は猫の墓を句に詠んでいます。

 ちらちらと陽炎立ちぬ猫の塚  (大正三年)

この句は『吾輩は猫である』の猫の墓でなくとも成り立つ句です。猫が想起する過去が、目の前にぼんやりと浮かんで見える、そういう心の状態へ読む者の心を引き込みます。

もちろん漱石の句として読めば、『吾輩は猫である』の猫は漱石の分身でもあったわけで、消えそうで消えない自分の中にいる他者を読んでいるようにも思えてきます。

翌年の随筆『硝子戸の中』には「夢のような心持」という言葉が出てきますが、まさにこの随筆全体がそのような雰囲気をもっています。目の前に見えているものは、今現在のものでありながら、自分はどこか別の世からのぞいているような感覚です。漱石は「古い心が新しい気分の中にぼんやり織り込まれている」と書いていますが、死者が生者の中に面影として「ぼんやり織り込まれている」ように見える。この句にもそのようなまなざしが詠まれているように思えます。

この句が詠まれた時、つまりヘクトーの墓標が立てられる時、猫の墓標はすでに「もう薄黒く朽ちかけ」ていました。

《車夫は筵の中にヘクトーの死骸を包んで帰って来た。私はわざとそれに近づかなかった。白木の小さい墓標を買って来さして、それへ「秋風の聞えぬ土に埋めてやりぬ」という一句を書いた。私はそれを家のものに渡して、ヘクトーの眠っている土の上に建てさせた。彼の墓は猫の墓から東北に当って、ほぼ一間ばかり離れているが、私の書斎の、寒い日の照らない北側の縁に出て、硝子戸のうちから、霜に荒された裏庭を覗くと、二つともよく見える。もう薄黒く朽ちかけた猫のに比べると、ヘクトーのはまだ生々しく光っている。しかし間もなく二つとも同じ色に古びて、同じく人の眼につかなくなるだろう。》(『硝子戸の中』)

人間も又しかり。漱石はそう思っていたに違いありません。漱石自身もその翌年の一二月、四九年という短い人生の最期をむかえました。

<了>

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?