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長袖をきて、くつしたをはいた

2023.8.25 金

 Yの両親の誕生日が近いので、町屋の団地にふたりを迎えに行き、上野でごはんを食べる。あまりにも暑い、東京下町の夏。食べ終わり、なんどもベルを押してもだれもつかまらないので、近くを通った店員さんにすみませんと声をかけたら、その人は暑さからか忙しさかとてもいらいらしていて、パーにひろげた手のひらでわたしを制して、無言で歩き去った。
 そのあとしばらくして同じ人がやってきて、唐突に冷たい麦茶を注ぎはじめたので、声をかけたのは頼んでいた食後の紅茶がほしかったからだと伝えると、またいらいらしていなくなった。まもなくやってきた紅茶は、あの人のいらいらを煮詰めたようなきつい色をしていた。私以外の三人は、なにも気にせずあっというまにきれいに飲み干した。私とはなにかが根本的にちがう人たちがそばにいてくれることは、時々たのもしい。

 お母さんが誕生日プレゼントにほしいと言っていた、外反母趾でも楽に履ける靴をみにアメ横に繰り出すも、あまりの暑さで全員がもうろうとした!
 久しぶりのアメ横は日本じゃないみたいだった。台湾の市にも似ていた。油でてかてかに光った鶏の丸焼きや豚の足がいくつも並んでいる。パイナップルやメロンなどの色とりどりのフルーツを棒にさしたものがどこにでも売っている。熱中症なんて縁のなさそうな陽気な外国人のお兄さんが店番しながらがははと笑っている。直射日光のあたる位置にわざわざ座って今にもたおれそうになりながらビールを流し込むこわもてのおじちゃんがいる。
 渋谷や池袋の雑踏は苦手だけど、上野の雑踏は落ちつくのは、だいたいおなじ種類や系統の人たちばかりじゃなくて、いろんな人たちがごちゃまぜになっているからだと思う。
 
 とりあえず見つけた靴屋さんに入った。お母さんはもう疲れたのか、たいして試しばきもせずにこれでいいわ、といって決めた。とにかく黒くて、靴紐やテープがなくて、立ったままスポッと履ける靴であればなんでもいいみたい。値段は見ずにえらんだその靴は一万円以上のもので、おかあさんは「そんなに高い靴買ったことない」とYが会計をしているあいだずっと口をあんぐりあけていた。靴なんてせいぜい高くて五千円くらいのしか買ったことないのよ私。どうしよう。

 喫茶チェーンでお茶をして、スーパーでふたりの夕飯の買い物もして、団地に送りとどけた。滅多に東京にでてこないから、すこし歩いて帰りたい気分で、昔住んでいた谷中まで行って車を止めた。まだ日が高くて歩けなかったので、よく行っていた喫茶店に入り、いつも頼んでいた月桃茶を飲んだ。
 ぷっくりとまるいガラスのポットに、パックではなく月桃の茶葉が入っている。そこになみなみと熱いお湯が注がれていて、小さな海みたいにたぷたぷ揺れているのを見るといつもしあわせな気持ちになった。

 日が傾きはじめて、不忍池を歩いた。あちこちに落ちている鳩のふんや、池の隅に所在なく浮かぶ淀みやあぶくを見ながら、東京はだれもに居場所があり、だれの居場所もない場所だと思った。欄干に寄りかかってYと、生きていく大変さやお金のこと、チャンスはピンチの顔をしてやってくることについて話した。
 上野側から谷中側にむかって眺める蓮池は、東京でもっとも好きな眺めのひとつ。どことなくこの世とあの世のあいだにいるような気分になる。ほんのりピンク色をした蓮の花が、ほんのすこしだけ残っていた。

 なにかを見つめるとき、自分の視線と、それをかつて見つめた/いつか見つめるだれかの視線とがひとつになって、自分を超えた大きなものの一部にもどって安心しているような、感覚になる瞬間がある。
 この景色をいつかだれかがこうやってみていたし、これからずっと先の世界でも、だれかがまたこうやってみている。そう思うと、急になにも怖くなくなるのはなんだろう。こんなに危うい今にいる自分なのにもかかわらず。
 あたたかい眼差しというものは、自分ひとりのものではない、色んな人のいっぱいの見方をふくんだ、込めたもののことなのかもしれない。

 ビールフェスでにぎやかな上野公園、しんと静まった谷中墓地を抜けて日暮里にでると、駅前で諏訪神社の盆踊りをやっていた。次は荒川音頭です、というアナウンスを横耳に、近くの米線の店まで行き、晩ごはんを食べた。明日からはじまる露店の支度をする人たちがまばらに残ったしんとした諏訪神社を抜け、日々の買い物をしによく通った谷中銀座を眺めながらなつかしい道を、Yと初めて住んだ街を歩いた。

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2023.8.27 日

 いつのまにか蝉が姿を消して、かわりに秋虫がしずかに鳴いている。西瓜も胡瓜もすっかり水っぽくなって、そしたらかぼちゃがねっとり甘くなって、びっくりするくらいおいしい。暑いときはどうもやる気を奪われて日記をつける気がしないけど、風もすこしづつ変わってきて、そろそろまた日記を継続的に書きたくなるような気がする。なにかが姿を消したら、べつのなにかが現れて、今日も世界はとどこおりない。

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2023.8.30 水

 夜、浜をさんぽしていたら、大きな白いうつぼの死骸がみっつも打ちあげられていた。ライトで照らしてよくみると、怪獣みたいなおそろしい牙(歯)。腰越海岸の海の家にロジャーさんとかなさんとYと行った。みんなは沖縄そばを、私は枝まめときゅうりをつまむ。腰越にうつぼをだす店があるらしく、味はおいしいみたい。かなさんのアトリエを見せてもらった。かなさんは訪れた土地で得たインスピレーションをおとしこんだ芸術的な服をつくったり、曲をつくったりしている。すてきな家。おみやげに庭に生えているおかわかめと大きなアロエをもらう。今年一番、明るいスーパムーンの日。

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 2023.8.31 木

 また山中湖へいく。鎌倉とくらべて五度くらい気温が下がる。前回とおなじでYは豚肉ほうとう、私はきのこおじや。富士浅間神社で木陰に涼み、忍野村の森の水族館へ。グーグルマップでたまたまみつけた、淡水魚の水族館。ゆうゆうと泳ぐ大小さまざまのサメやサケ、マスたちをみて、ひさしぶりにとてもやさしいきもちになった。ゴザのうえを独占して、日が暮れるまで見ていたかった。
 五年前の夏にもYときた忍野八海をぶらぶらあるいて、焼きたてのよもぎのおやきをふたつもたべた。刻んだよもぎの味がしっかりして、あまさひかえめで、とてもおいしい。温泉に入り(するどい目つきのおばさんの視線がいたかった)、晩ごはんのあと、暗くなった湖を少し歩いた。すっかり肌ざむくて、きもちよかった。

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 2023.9.6 水

 由比ヶ浜の港の人で、鎌倉FMのおふたりと会った。私が港の人の本を朗読したものが十月から流れる。自宅で録音するので、本を二冊いただいて、もちかえる。叙序圓でさつまいものお粥をたべた。小鉢がみっつもえらべて(きょうはとうふの細く割いたの、きくらげの和え物、ザーサイにした)、おいものごろごろ入ったおかゆがたっぷりたべれて、六百円、ありがたい。
 友人と小町の燕カフェで会う。薬膳茶にもごろごろ、なつめ、菊花が入っていた。カフェをでると、大学の同級生にばったり会った。彼女も鎌倉にすんでいる。ひさしぶりのような、そうでもないような。
 藤沢の鍼灸院にいく。首やひじのあせもがひどいと言ったら、先生がタイツコウや紫雲膏がいいとおしえてくれた。外にでると、お灸で温まったのもあって、急にひやっとした。ノースリーブの袖が心もとなかった。ひさしぶりにしずかな雨がふってきた。

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2023.9.7 木

 朝、世界に音がなかった。風がやみ、虫が黙りこくった。季節と季節のあいだの真空状態にきたよう。ちょっとしたやらなきゃいけないことを、いくつかする。五分つき米にこんぶのふりかけをのせたものと、ミニトマトとズッキーニの味噌汁をつくって、昼にたべた。
 Yが福島にいっているので、ひさしぶりにひとりで過ごす日の、のびのびした時間の流れかたがいい。夜はさんぽがてらスーパーにいき、台湾産の塩茹で枝豆とバナナを買った。遅くに、Yが帰ってくる。Yが出張先から帰るときは、いままでに数えきれないくらいあったそのほぼすべてが雨だった。今日もこれから雨。

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 2023.9.8 金 白露

 近所にすむひでこさんが雨のなかこっそりドアノブにかけてくださったのは、たっぷりの毛をはやした元気な枝まめにバジル、ローズマリー、タイムとフェンネル。花束みたいにひとつずつくるまれて、かわいいリボンもかけてあった。どれもすごくいい匂いがして、しばらくくんくん嗅いだ。きれいで、気取っていなくて、しずかにはなやぐ匂い。植物は、それを育てた人のエネルギーをしっかりたくわえている!バジルはひでこさんおすすめのお味噌汁に(麦味噌とすごくよくあった)して、あとはバジルだけのパスタにもしたら、おいしかった。
 夜、すっかり風がすずしい。長袖を着て靴下をはいた。


 2023.9.12 火

 朝のさんぽ。森のそばまで。さいきん下ばかりむいている、と思った。意識的に上をみあげると、山肌のあちこちに葛がきれいな花を咲かせていた。
 ちょうど一年前、これが葛の花ですと小豆島でおしえてもらった。紫と濃いピンクの、糸車のようなうつくしい花。その人が言っていた。葛と藤のつるは、絡みあうとなかなかほどけないんですよ。その状態をなんていうかしってますか?葛藤、っていうんです。あれは、おおー、となった。
 夜、腰越の龍口寺まであるいた。龍ノ口法難の日で、盛大な祭り。1271年の今日、鎌倉幕府にとらえられまさに処刑されようとしていた日蓮が、江ノ島から発光した光で処刑人の刀が折れ、死刑を免れたという。屋台で、盛りだくさんのおでんとパッタイ、冷やしパインをたべる。まつりは活気にみちている。
 さいごの纏を待つあいだ、境内にたむろしていたおばあちゃん四人組の話をこっそりきいた。あなたのとこは遺族年金だからいいわよね。わたしはひとりでしょ、いつガスも電気もとまってもおかしくないわよ。今に七輪生活だわね。でもねえ、遺族年金って半分しかもらえないのよ。金額みてびっくりしちゃった。病気でも生きててくれたほうがずっといいのよ。

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