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新年あけましておめでとうございます



巣鴨の家で

 

 祖母が亡くなったとき、巣鴨のふるい一軒家ではじめての映画の撮影をしていた。その日はお葬式のシーンを撮っていて、みんな喪服を着ていた。休憩時間に携帯をみると、知らせがとどいていた。まったく予期していなかった。長いことホームに入っていた祖母に会いにいこうと思えば行けたのに怠けて、さいごに会ってからあっというまに四年間が経っていた。

 祖母との思い出がとたんに目の前にあふれてきた。遊びにいくたび育てた小豆で炊いてくれた赤飯を好きじゃないといってぜんぜんたべなかった。めぐみちゃんへ、と毎年きれいな筆ペンで書いてくれたお年玉のふくろ。成人の記念に真っ青な振袖を着てホームの祖母の部屋をたずねたとき、どちらの女優さんですか?と目をかがやかせてきかれたこと。豆みたいにきれいなしわしわの顔、どうぶつみたいなまなざし、のどの奥からしぼりだすような声、まあるい背中。ほかのどの人生とも替えのきかない九十一年分の時間。

 そのときの映画で、わたしは三きょうだいの年の離れた末っ子の役だった。兄ふたりがいて、いちばん上の兄に妻がいた。長男の妻役だったあやちゃんは、かなしいよね、といって抱きしめてくれた。あやちゃんも泣いていた。長男役だったむらかみさんは、そっとしておいてくれた。夕食休憩の時間になると、「ごはん、たべるぞ」とすぐそばにいるのにメールがきた。

 主人公で次男役だったうりゅうさんは二階の窓辺の、わたしとのあいだに人ひとりぶんくらいのスペースをおいた場所にただすわっていてくれた。うりゅうさんは前だけをじっとみていた。あかるい縁側と、使われなくなった井戸のある緑に囲まれた家だった。祖母が祖父と暮らしてきた、山あいのふるい家にもどことなく似ていた。

 もうじき梅雨がはじまろうとしている、湿気のたっぷりある日だった。ほんとうの家族のおばあちゃんをずっとひとりぼっちにさせておいて今日いったいどんな気持ちでひとりきりでみえない雨粒のなかを逝ったかしれないのに、うその家族のやさしい人たちがこういうときにそばにいてくれるじぶんはずるいなあ、と思った。










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 明けましておめでとうございます。

 年始のご挨拶を書こうと思いながら、四日になりました。そのあいだも、なんてことのない日々を過ごしていました。銭洗弁天でお札を清めたあとドラム缶の火で温まったり、甘酒を飲んだり鰤しゃぶをたべたり、この歳になっていただいたお年玉の入っていた袋を可愛いなと思ったり、十何年ぶりにボーリングに行ったら思いのほか安定して投げることができてうれしくなったりもしました。そして、今日から切りかえてしごと始めをしようと思っています。日本の反対側の海の街で、沢山の人びとが寒さや不安のなか、明日がくるのが当たり前ではない日を送っている時に。

 昨年から「やさしい」という言葉をたくさん使っています。捉えどころのないその言葉の意味するものについて考えつづけていくための小さい本を書いたからです。書き終えたとき、その時点でのじぶんはほんとうにやさしいとはどういうことかという問いに、声をきくこと/人をしばるものではなく、自由にすること/あなたに会えてうれしいという気持ちから生まれて、まっすぐ相手に向かい、やがてじぶんに跳ね返ってくる光のようなもの、と書きました。

 それはすべて「心を寄せること」だと、じぶんのなかでは思っていました。それぞれの体の内側に入っていて、たったひとつしかないと思っているじぶんの心の、ほんとうの持ち主はじぶんではなく、みんなでひとつの命を生きている、みんなでひとつの心をわけて生きているような感覚があって、だからやはり元はひとつなのだと。やさしいということは、なのでできるだけ心を元の位置に戻すこと、それぞれにとっていちばん自然な形と場所に還すようなことではないかと、わたしにとっては感じられました。

 ありかたに答えはなく、それぞれが思う心の寄せかたがあるのだと思っています。しずかに祈りを捧げつづける人もいるのだろうし、いてもたってもいられなくて車を走らせたり、行けるところまで行ったりする人も、電話をかけたりメッセージを送ったり、寄付金や物資を送るという寄せかたをする人も、ほんとうにさまざまにあるのだと思います。

 じぶんにできることはなにか、考えてみつけたことを心から行い(それを公にする、しないは、自由だと思います)、そのほかは、焦ったり、ざわざわしたり、そういう流れにこの身を容易に飲みこませるのではなく、目の前にあることをひとつづつ集中する、今この日常に起こることをていねいに変わりなくやっていく、そういう一瞬一瞬を心を真ん中にして送ることが大切だろうと思っています。それはでも、わたしなりの正解というのでもないし、だれにとっての正解でもなく、ただわたしが今できることで、それに過ぎません。それで心を寄せきれているとは、はっきりとはいえないかもしれません。でも、やるしかないことだと思います。

 今できることの一つとして、それが一体だれのためになるのか、もしかしたら何のためにもならないかもしれないと思いながら、三十一個の章篇でできている「やさしいせかい」の冒頭の一篇「巣鴨の家で」をnoteにて公開しました。本をご購入くださったみなさまには、ほんのすこしわるいかなと思いながらではあるのですが、この一篇だけをすこしのあいだ期間を限って、そうしようと思います。

 「巣鴨の家で」は本の題名も決まっていないころ、内容の方向性だけを決めて、いちばん最初に書きはじめた短い文章です。やさしかった世界の記憶はなんだろうかと考えたとき、まっさきに浮かんだことを書きました。その理由はきっと、無意識の部分も多いですが、心をどのように寄せるかということはひとつに限らないで、人の数だけいくつもあるのではないかということを教えてもらったできごとだったからであり、また、やさしさをもらったじぶんと、それにも関わらずやさしくあれなかったじぶんについてずっと考えつづけていかなければならないと思っているできごとだったからだと思います。

 ひとりでも多くの人がやさしくあるとはどういうことなんだろうと疑問に思ったり、立ち止まって考えたり、じぶんにできることをみつけてまた歩き出したりする時間をもつことが、困難に直面している世界の苦しみの部分をほんのすこしだけ和らげたり、溶かしたり癒したり、できることに繋がるのではないかと思っています。あるいは繋がってほしいという、希望にすぎないのかもしれないけれど。

 できることを、できるひとができたらいいのだと思います。そのやりかたは、ほんとうにさまざまにあって、今どんなふうにもできない人は無理をしなくてもいいし、思うように心を寄せられないじぶんを責めなくてもいいのだというふうにも思います。でもほんの少し、ひとりづつがじぶんが生きているこの世界とそこに同じように生きているだれかに対して、今いる場所からなにか温かいもの、気持ちを送る、いや送らなくても、そういう気持ちで今日いまをいきていく、持てる愛をいびつでも表現していくことが、きっとどこかでつながって連なって世界に返されていくことなのではないかな、と考えています。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。みなさまの毎日がすこしでもあたたかく、健やかで、安心がそばにあるものでありますように。 



お読みいただきありがとうございました。 日記やエッセイの内容をまとめて書籍化する予定です。 サポートいただいた金額はそのための費用にさせていただきます。