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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

<日本灯台紀行・旅日誌>2021年度版

11次灯台旅 網走編

2021年10月5.6.7.8日

一日目 #1プロローグ

七月の、男鹿半島旅から帰ってきて、三か月ほどたった。入道埼灯台の写真補正や長文の旅日誌は、さほど苦労もせず、八月中に終えた。九月に入ってからは、懸案だったベケットの<マロウンは死ぬ>朗読#1に取りかかり、こちらも、ほぼ一か月で終了した。

その間、首都圏を中心に、<コロナ感染>が爆発的に広がり、緊急事態宣言などが、全国的に発出されていた。とはいえ、ワクチン接種もかなり浸透して来て、自分も八月下旬には二回目の接種を完了した。これで、安心して、どこへでも行けるようになったわけで、気分的にかなり楽になった。

ところで、前回の灯台旅で訪れた男鹿半島の入道埼灯台は、自分的にはかなり気に入っていた。その主なる理由は、これまでに見たことのない白黒の灯台だったからだろう。雪が降ると、白一色になり、白い灯台は見えなくなってしまうらしい。そこで、白と黒に塗り分けた。たしかに、その方が、海上からは見えやすいのだろう。ちなみに、雪国などには、白と赤に塗り分けられた灯台もかなりある。だが、こちらは、いまいち、<渋さ>に欠ける。好みではないのだ。

ふと、きまぐれに、白黒灯台の画像をネットで検索した。と、その中で、特に目を引いたのが、<能取(のとろ)岬灯台>だった。この灯台は、北海道網走付近の能取岬にあり、大きさ的には中型灯台だが、周囲のロケーションがとてもいい。広々した、緑の芝草広場の中に、八角形の白黒灯台がポツンと立っている。この風景は、かなり好きだ。だが、場所が北海道だ。よくは知らないが、気候的に、遅くとも、十月の中旬までが写真撮影の限界だろう。

<マロウン>朗読#1にケリをつけ、能取岬灯台の下調べを始めたのは、九月の下旬だった。まず、最初に調べたのは、天気だ。最低、中二日晴れなければ、撮影の予定はたたない。なにしろ、場所は北海道だ。はい行きました、はい曇りでした、ではすまないのだ。金も時間も気分も、すべてを台無しにしないためにも、十日間天気予報をしょっちゅう見ていた。

ところがだ、ころころころころ、天気予報が変わる。ひどい時には、半日おきに変わる。これでは、予定が立てられないではないか!とはいえ、そのほかのこと、飛行機とかレンタカーとか宿とかの下調べはした。飛行機は、羽田から女満別まで、エアドゥー。レンタカーは女満別空港でNレンタカー、宿は網走駅付近の大手ビジネスホテル、とまあ、ほぼ決まった。あとは天気なのだ。

十月になった。なぜか、コロナの感染者数が激減したので、緊急事態宣言が全国的に解除されることになった。これはいい、堂々と旅行ができる!それに、天気予報も、なぜか、奇跡的に、晴れマークが並び始めた。当然だろう、だいたい、十月になれば、運動会の季節だ。天気が安定し始める、秋晴れの季節なのだ。

待ってましたとばかりに、飛行機、レンタカー、宿の予約をした。出発は、四日後の週半ば、三泊四日の日程だ。直前に予約があっさり取れたのは、やはり、北海道観光としては、季節が遅すぎるのだろう。でも、まだ、凍えるほどの寒さではないはずだ。

観光としては、いわゆる、オフシーズンに入っている。目星をつけていた飛行機と宿とがセットになった旅行プランに空きがあり、別々に予約するよりは、一万円ほど安い。それに、これまたなぜか、レンタカーも割安、ま、一気に事が進展したわけだ。

木曜日の深夜に、すべての予約を取った。普通に行くより一万五千円ほど<お得>になった感じで、気分はいい。来週火曜日、午前十一時の羽田発の飛行機だからと、逆算して、明日からの旅行準備の日程を頭の中で算段した。

あとは、北海道網走方面の、今の時期の気温が気になった。天気予報によれば、旅中の昼間の最高気温は20度前後、最低気温は10度前後だ。さほど心配することはない、と思ったものの、一応、防寒着など、寒さ対策をしていくことにした。

金、土、日で、やりの残したこと、といっても、たいしたことではない、階段や庭の掃除だ。これは、かがむ姿勢がきついので、何回か分けてやっていたのだ。ま、どうでもいいことだが、一応のけじめをつけた。そして、月曜日の午前中には、カメラや衣類のパッキングも終わり、キャリーバッグとリックサックを、玄関先に持って行った。準備完了というわけだ。

今回は、灯台周りの撮影ポジションについては、さほど念入りには調べなかった。なにしろ、灯台の周りは広い広場で、どこが<ベストポジション>なのか、などという問題は、設問自体、意味をなさないような気がした。要するに、現場に行ってみなければ、確定できる問題ではないのだ。

それに、灯台の立っている岬の左右に、でっぱりというか、別の岬はないわけで、いわゆる横から撮ることもできない。さらに、灯台は、目のくらむような断崖絶壁のうえに立っているので、下の波打ち際に下りていくことなども到底できない。

以上のことから、現地に入って、灯台の周りを撮り歩きしながら、<ベストポジション>を探るしかない、と結論した。いや、実を言えば、すでに、この<ベストポジション>という考え方は、なかば放棄している。というのは、太陽の位置次第で、<ベストポジション>も変化する、ということを経験したからだ。つまり、<ベストポジション>などというのは、灯台の写真撮影では、まさに机上の空論で、役に立つ概念ではないのである。

それよりは、灯台が目視できる場所を、いわば、ローラ―作戦的に、すべて撮り進めていく方がいいような気がしている。撮影後に、その中から、気にいったものを選べばいい。要するに、<下手な鉄砲数撃ちゃ当たる>といったことか。

全ての準備が終わり、月曜日の午後は、網走付近の観光地を少し調べた。時間があったら、寄ってみようというわけだ。有名なところは<網走監獄>だ。ただ、これは数十年前に一度行ったことがある。今回、あえて行く気にもなれない。あと目ぼしいものは、<メルヘンの丘>。これは、通る道沿いにあるのだから、当然、寄れるでしょう。

<大曲湖畔地、ひまわり畑><フラワーガーデン・はなてんと>というのもあるぞ。ひまわり畑にお花畑か、イマイチ気持ちがうごかない。あと<卯原内サンゴ草群落地><網走海岸>、このふたつは、時間があったら、寄ってもいいなと思った。

さてと、明日は朝の七時前に家を出て、七時十六分の電車に乗る。ということは、六時前に起きる必要がある。いつも通り、夜の六時半頃に夕食を食べ、八時にはベッドに入った。一応、目覚ましをセットした。眠れないと思ったが、消燈すると、すぐに眠ってしまったようだ。

一日目 #2出発

数時間おきに、夜間トイレで目が覚めた。これはいつものことだから、ほとんどストレスは感じない。朝の五時、目覚ましの鳴る前に目が覚めた。あと一時間寝ていてもいいのだが、すでに覚醒している。ベッドでぐずぐずしている理由は何もない。スパッと起きた。

ゆるゆると、時間を気にせずに、洗面、朝食(お茶漬け)をすませ、着替えた。排便は少量。六時過ぎにはすべてが完了していた。予定では、七時十六分の電車に乗ることになっている。だが、七時台からは通勤ラッシュが始まる。それに比べて、六時台の電車は、かなり空いているようだ。昨晩、ふと気になって、ちょっとネット検索したのだ。

重いキャリーバッグと大きなリックサックを背負っている。できれば満員電車に乗りたくなかった。早めに出て、早めに着いて、空港ロビーで、居眠りすればいい。案の定、電車は、まだ空いていた。次の次の駅で、前に座っている人が降りたので、座れたほどだ。その後も、終点まで、混みあうことはなかった。

時間に余裕があったので、気持ち的にも余裕が生まれ、乗り継ぎ駅での、エレベーターやエスカレーターの位置を覚えておこうと思った。なにしろ、カメラ二台の入っているキャリーバッグが重い。それを片手で持って、駅の長い階段を登るのが、やや負担なのだ。今回覚えてしまえば、この先、さらに体力がなくなっても、羽田空港への電車移動は、それほど苦にはなるまい。

山手線外回りの電車も、さほど混んでいなかった。そして、最後の乗り換え駅、浜松町のモノレール乗り場の改札を通ったのは、午前八時過ぎだった。エスカレーターに乗ってホームまで行くと、電車(モノレール)待ちの長い行列だ。この時間帯、こんなに混んでいるのかと思った。ま、満員になるほどではないが、座席はそこそこうまってしまった。

電車(モノレール)の中央には、腰高の荷物置き場がある。そこに重いキャリーバッグとリックをおろした。周りを見回した。座れないこともない。が、荷物置き場の横に立っていた。ここまで、ずっと電車で座ってきたのだ。座るのにも多少飽きている。それに、モノレールの座席は窮屈そうだ。

モノレールは多少揺れていた。手すりにつかまりながら、立っていたので、窓外の写真は撮らなかった。いや、出雲旅の際に一度撮っているので、撮る気になれなかった。何度も撮るような景色ではないのだ。

羽田空港に着いた。まだ八時半だった。出発まで三時間ほどある。早すぎるな、と一瞬思ったが、空いている電車で、のんびり来られたのだから、やはりこの方が正解だろう。だだっ広い出発ロビーを見回した。おそらく、エアドゥーの搭乗口は、一番左端で、ここからはよく見えない程遠い。念のためというか、すぐ横に案内所があったので、そこの若い女性に、搭乗に必要なQRコードのコピーを見せた。彼女は、丁寧に案内してくれた。搭乗口は、思った通り、一番左端だった。

向き直って、正面左端の搭乗口カウンターへ行き、改めて、QRコードを見せた。名前と座席の確認をされ、保安検査へと進んだ。キャリーバッグとリックサックを、それぞれ、平べったいプラのかごに入れた。ポシェットはリックの上に重ねた。これは、そのあとすぐに、係員によって直された。すなわち、ポシェットは別のかごに入れられた。

金属感知器の前に進んだときに、腕時計はいいんですかと、脇に立っていた職員に、間抜けな質問をしてしまった。にべもなく、大丈夫ですと言われて、そうだ、前回も大丈夫だったのだと思った。

そのまま進んで、コンベアーの先端まで行き、流れて来るであろう荷物を待った。黒いゴムのような仕切り板の中から、まずキャリーバッグが出てきた。それを下におろし、続いて出てきた、リックとポシェットをその場で身につけた。その際、出口のところで、黒っぽい若い奴が、係の女性から、何か言われていて、持ち物検査をされていた。バールのようなものが、金属探知機に察知されたようだ。脇には、警官がいた。ちらっと見た感じでは、アウトドア用の小さな万能ナイフのようなものだった。

さあてと、エアドゥーの二番搭乗口はと言えば、これまた、一番左端にあるらしい。途中、ところどころ<動く歩道>があるものの、かなり歩かされた。<エアドゥー>が<ANA>より格下なのは知っていたが、これほど冷遇されているとは思わなかった。

これまで、と言っても二度ほどだが、格安航空は使わないで、<ANA>と<JAL>を使ってきた。<格安航空>という言葉に、何となく不安を覚えたのだ。しかし、今回、女満別までの直行便は、<エアドゥー>しかないのだ。いやこれは思い違いだ。<JAL>にも女満別行きの直行便はある。今ネットで確かめた。ではなぜ、<JAL>を使わなかったのか?出発時間や料金の問題なのだろうか?ま、いい、忘れてしまった。

九時前には、エアドゥーの搭乗口前のロビーに着いた。ほとんど人はいなかった。出発時間までには、まだ二時間半くらいある。ゆっくりしよう。自販機で、ボトルの缶コーヒーを買って、窓際の席に陣取った。着くのが早すぎたことについては、反省も後悔もない。なにしろ、時間ギリギリで、いらいらすることが、一番嫌いなのだ。それに、時間は、とりあえず、山ほどある。

それにしても、早すぎるな。あと一時間くらい遅くても問題はない。と思ったそばから、電車が遅延したらどうするのだ、という不安がよぎった。そんな時に対処するためにも、このくらいの余裕があった方がいい。利用している私鉄は、しょっちゅう人身事故で不通になっているではないか!

小心で、臆病で、用心深い。くわえて、不安神経症的な性格が、年を経て、さらに鮮明になってきた。いや、受け入れられるようになった、と言っておこう。


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