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<日本灯台紀行 旅日誌>2021年度版

<日本灯台紀行 旅日誌>男鹿半島編

#2 一日目(2) 2021年7月14日

出発 移動1

今年の梅雨入りは早かった。五月の下旬あたりから、天気がよくなかったので、梅雨明けは早いだろう、と予想していた。案の定、七月の中旬からは、天気予報に、晴れマークがずらっと並んでいる。一瞬迷った。灯台に行くべきか、行かざるべきか!灯台熱も、以前ほどではなく、それに、金もかかるしな~。とはいえ、このまま、ずるずると、なし崩しのような、ジャズと読書の日々もつまらない!

ま、気分転換に、行ってみるか、と決断した。もっとも、気分的なことや金銭的なこと、それに体力的なことも考慮して、旅の日程は縮小した。つまり、灯台旅の流儀を少し変えた。まず、標的としている灯台だけを撮る。そのほかの、近辺の灯台には目をつぶる。次に、実際の撮影期間は、一日にする。前後の日は、予備として考える。

こうすれば、灯台旅は二泊三日に縮小できる。一日目は移動と予備としての夕方撮影、二日目は朝から晩まで撮影、三日目は予備としての午前撮影と移動。期間が短ければ、体力的にも金銭的にも、負担は少ない。これで、ますます気が楽になった。

ということで、七月十二日に、旅の手配と準備を始めた。例の旅館が、ちょうど、14日、15日と連泊できる。新幹線もレンタカーもネットで予約できた。旅の準備も、二時間ほどで終了。前日に、パッキングすればいいだけになった。それに、行くところが一か所なので、事前の調査も、さして時間がかからない。

入道埼灯台の、ネットにあげられている画像をざっと見て、どのあたりがベストポジションなのか検討した。だが、以前のように、綿密には検討しなかった。ま、熱が冷めている証拠だ。それに、実際に行ってみないことには、正確な判断はできないだろう。いや、現地に行っても、正確な判断などできないのだ。

とにかく、入道埼灯台は、周辺が芝生の広場で、その周りを360度見て回れば、何とかなるだろう。あ~あ、いつもの感じだ。かなり<てきとう>になっている。

小学校での担任のY先生に、学級委員でありながら、掃除をさぼったり、適当な学習態度がよくない、というようなことを通信簿に書かれた。なんだか、その時は、叱責されたような感じがして、気持ちが重かった。ややトラウマにもなっていた。だが、いま思えば、一般的な価値観で、人間を一刀両断にしているわけで、いまでは<てきとう>ということが、それほど悪いこととは思えない。むしろ、<てきとう>である方が、よいこともある。ま、思想、哲学的には、昭和の小学校の教員をはるかに超えてしまったわけだ。

灯台撮影に関しては、かなり<てきとう>に考えて、次に進んだ。日程については、少し書き残しておこう。14日9:32分の大宮発、秋田新幹線<こまち11号>に乗る。そのためには、七時過ぎには自宅を出て、最寄り駅から電車に乗らなければならない。さらに、逆算して、五時半に起きれば、七時には出られる。さらにさらに、五時半に起きるということは、前の日、夜の九時に寝ればいいわけだ。

さてと、前置きが長くて、失礼しました。ついに、第十回目の灯台旅、男鹿半島旅が始まる。前の晩は、予定どおり、すべての準備を完了して、夜の九時にベッドに入った。だが、眠くない。当たり前だ。いつもは、だいたい、午前零時前後に寝ているわけで、寝られるはずがない。で、最近の習慣で、ベッドで読書。ジャズ関連の本だ。うかうかと読んでしまい、あっという間に、十一時近くになってしまった。いかん、いかん。消燈。

灯台旅も慣れてきたので、しかも、車で高速運転するわけでもないので、気楽だった。以前のように、遠足の前の小学生みたいに、緊張して眠れないということはなかった。とはいえ、一、二時間おきに、夜間トイレ。これは、ま、いつもの習慣だ。で、ふと目覚まし時計を見たら、すでに午前五時過ぎになっていた。よく寝られた方だ。眠気はない。すっと起きた。

整頓、洗面、朝食・豆腐入りのお茶漬け、バナナ、牛乳。排便は小量。そのあとに、着替えた。どんな<出で立ち>なのか、たまには書き記しておこう。

足元は<ダナー>の灰色っぽい軽登山靴。中に、こげ茶色の厚めの靴下をはいている。ズボンは、おなじみになった<ギャップ>のホワイトジーン。少し、ウェストが緩いので、太目の黒いベルトをつけた。上は、中に茶色のTシャツ、羽織るものとして、同じく茶色の長そでシャツ。これは、やや麻っぽい風合いである。あと、首に、浅黄色の綿マフラーを巻いた。ま、これは手ぬぐい代わりだな。自分で言うのもおかしいが、全体的に若作りで、70歳にもなろうとしている爺には見えないかもしれない。頭の毛も黒々としていているしね。

あとは小物。ベルト通しに磁石と腕時計をくっ付けた。<エース>の黒のポシェットを肩掛けし、そのストラップに黒い袋を取り付け、中に<ニコン>のコンデジを入れている。青色スカイのバックパックを背負い、キャスター付きの、飛行機持ち込み可能な黒いカメラバックを手で引きながら、移動するつもりだ。

いざ、出発。おっと、ニャンコに<行ってきます>というのを忘れた。だが、もういいだろう。<ペットロス>からは回復していたし、ニャンコのことは、ほとんど思い出さなくなっていた。

移動1

大宮に着いたのは、八時過ぎだったと思う。通勤時間帯だったので、車内が混んでいた。一応、周りの目を気にして、バックパックを、前に抱えるように背負った。背中でなく体の前面に背負ったわけだ。かなり大きなものだったので、胸が圧迫され、息苦しいような気がした。が、がまんした。

車内でバックパックを、前に抱えるという習慣は、最近のものだ。通勤、通学の際に、手持ちのバックではなく、バックパックを背負うことが常態化した結果で、車内での小競り合いが増えたからだろう。たしかに、自分も、電車の中で、背中をどんと押されるような経験をしたことがある。バックを背負っている奴は、それも、バックが大きければ大きいほど、他人にぶつけていることに気づかないのだ。

狭い車内、他人とぶつかったら、目礼したり、すいませんとか何とか、ちょっとした言葉をかけあえば、全然問題はない。だが、ドカンとぶつかってきて、知らん顔、いや本人は気づいていないのだから、知らん顔ではないのだが、ともかく、シカとされると、やや気分が悪い。小心で、臆病な自分でさえ、虫の居所が悪ければ、文句のひとつでも言いたいところだ。そんなこんなで、多少混んでいる電車では、バックは前に抱えるというマナーが定着したのだろう。自分もそれに従って、朝の通勤電車に乗り、大宮駅に着いた。

大宮の駅は、久しぶりだ。きれいになり、広くなっていたので、新幹線の乗り場はすぐにわかった。ポシェットから<PASMO>を取り出し、右手の掌に包み込むように持って、改札口の所定の場所に押し当てた。すると、ピッと音がして、小さなゲートが開いた。ほ~、ちゃんと通れたよ。

JR東日本の<えきねっと>というシステムで、事前予約していて、料金もすでに引き落とされている。PCで予約ができ、しかも、手持ちの<ICカード>で改札を通過できるのなら、事前に駅まで行って、切符を予約したり、買ったりという手間が省け、かなり楽ちんだ。そういえば、以前、テレビでこのシステムのことを宣伝していたっけ。

だが、疑り深い性質であるからして、新しい物やシステムには、多少の警戒心が働く。心のどこかでは、なにか齟齬があって、通れなかったらどうしようと思っている。出発時刻の一時間以上も前に着いたのは、そうした不安が払拭しきれなかったからでもある。一時間もあれば、たとえ不都合があったとしても、処理できるだろう。

ちなみに、不安の源泉は、普通の切符ではなくて、15%割引の<トクだ値>という切符で予約したからだ。この切符は、列車、日時の変更ができない。しかも、乗り損ねたら、それでおしまい。払い戻しされないようだ。いや、全額ではないらしいが、とにかく、予約した<こまち11号>大宮発9:32には、絶対に乗らねばならないのだ。ま、金のことを考えなければ、絶対に乗らねばならない、ということはない。

もっとも、<PASMO>で改札を通過できたといっても、秋田駅ですんなり出られるという保証はない。まったく疑り深い性質だ。だが、秋田駅まで行ってしまえば、齟齬があろうがなかろうが、そんなことは、たいした問題ではない。

で、案ずるよりは産むがやすし。あっさり、新幹線乗り場へ入った。出発までは、まだ時間がある。ホームには上がらず、待合室のような、広場のような所で、時間調整だ。ぐるっと見まわし、ちょうど、案内板が見えるベンチが空いていたので、そこに腰掛け、くつろいだ。

案内板には、まだ<こまち11号>の文字はなかった。ぼうっとしていると、七、八メートル離れたとここで、爺たちが三、四人、立ち話をしている。それもでかい声で。マスクはしているが、騒々しい。このコロナ禍の中、公共の場所で、なぜあんなにでかい声でしゃべっているのか、やや不快である。思うに、声のでかさと知性とは反比例するようだ。いや、これは偏見だろう。

さてと、九時十分も過ぎた頃、案内板の中の<こまち11号>の文字を、再再度確かめ、長いエスカレーターに乗って、ホームへ上がった。マナーに従って、エスカレーターの左側に立ち、キャリーバックは、立ち位置の一段上に置いた。お行儀がいいことだ。

出発時間には、まだ二十分も早いが、数人すでに待っている。まずもって、日本人は気が早い。並ぶほどでもないので、ベンチに腰掛けた。ふと思いついて、そばの自販機で、アルミボトルのコーヒーを買った。一口、二口飲んで、ちゃんと蓋を閉めた。あとは、車内に持ち込み、飲むつもりだ。

九時二十分頃に、鼻先がひゅっと赤い<こまち>がホームに入ってきた。あわててコンデジを取り出し、一枚撮った。自分の後ろには、大きなバックを抱えた、大学生たちが五、六人いた。おそらく、野球部か何かの合宿だろう。<14号車>と案内のある場所から、列車に乗った。

急かされるような感じで、列車内の通路に立ち入ったが、座席番号をど忘れして、一瞬、通路で立ち往生してしまった。後ろに人の気配がしたので、すぐに座席側に入って、大学生たちをやり過ごした。その後、手帳で座席番号を確かめ、再度通路を歩き出した。と、今度は大学生たちが、通路で、荷物を棚にあげたりしていて、通れない。無理して、横を通り抜けようとしたら、後ろから、すいません、というような声が聞こえた。あたふたしている後輩の非礼に気づいて、先輩がフォローしたわけだ。まあ~、若いのに、礼儀正しい。いや、むしろ、若い奴の方が、中高年より、礼儀正しいような気がする。ただし、若い女は、全くダメだな。いや、これも偏見だね。

窓際の席に落ちついた。あっという間に<こまち11号>は走りだした。黄色っぽい、クッションのいい座席で、足元も広い。ひじ掛けの内側に黒いボタンがあり、押すとリクライニングできた。むろん、リクライニングするときに、後ろを確認した。座っている人がいたら、一言、ちょっと下げます、とか何とか言うのがマナーだろう。ただし、このマナーは、必ずしも守られていないような気がする。いきなり、前の座席が、がくんと倒れて来る、というような経験が、自分にすら、二、三度ある。

今回は、そんな気遣いは無用。コロナ禍での、平日の秋田行きだ。ちらっとうしろをふり返えると、例の大学生のグループのほか、四、五人しか乗っていない。ガラガラだ。軽登山靴を脱いで、くつろいだ。そのあとは、条件反射的に、窓の外の景色を眺めていた。これから旅が始まる、というようなワクワク感は、まるでなく、気分的には平静だ。ただ、久しぶりの新幹線、やっぱ速いなと思った。前橋あたりからは、さらにスピードが上がり、風を切る音が大きくなる。すこし怖い感じがした。

いま調べたら、<こまち>の最大スピードは、320キロくらいあるらしい。どおりで、一時間ほどで仙台に到着してしまうわけだ。

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