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230508 痛いの分担できたらいいのに

友人まなみの子が無事に産まれた。

本当に心の底から嬉しい。私は詳しくは分からないのだが(調べろという感じ)兎に角ずっと入院していて、手術もして家族とも面会謝絶で何ヶ月も会えなかったことは知っている。日々をただひたすらに追う日々を繰り返し、少しの異変に生命の危機を感じて怯え、時には自分の、もしくは自分の体質のせいだと責めたかもしれない。暗くひんやりとした病院のなかで、ひとりで、自分の身体に不安定な命を抱えたまま、あとどれくらい?あとどれくらい頑張ればいい?と問いかける日々は、とても辛かったのではなかろうかと思う。終わらない苦しみ、目処が立ちそうにない問題。解決の糸口が見えてこない悩み。漠然とした将来への不安。死への恐怖、いや自分の愛する子供を失くすかもしれないという絶望に近い怯え。慈しみ腹を撫でた今日までの時間が一瞬で消え失せる可能性。こういったものをひとりの女性が細い身体で抱え、耐えているのだ。いや、耐えてきたのだ。今日まで。とても長い期間、何ヶ月も、たったひとりで。どれだけしんどかったことだろうか、と考えても分からない。私はまなみではないから。でも考える。泣けてくる。時々人の大切な核の部分に触れる時、本当につらくなる。みんなそれぞれ抱えてて、本来ティンカーベルのようにひとつの感情しか抱えきれないはずなのに、何種類も抱き、ついでに他人の悲しみまで背負おうとするひともいる。大切だから。っは〜〜〜〜、やばいよやばいよ(出川)泣いちゃうよ僕は。バッドブレインだから、ドントアンダスタンド。


苦しくなるはずなのに、

友達や好きな人の苦しんだ経験や乗り越えた傷について聞く時さらに好きになる。なんて凄いひとなんだろう、どうやってそんな辛いことを乗り越えて、こんなに明るく、他人にも優しくできるんだろう?なんてきれいな人なんだろう?と思う、それの代表格がまなみである。もうほんとうに、私はあんなに優しいまなみを傷付けるひとがだいっきらいなのだ。もう、兎に角憎いのだ。悔しくて泣き、腹が立って泣き、そして結局自分が蚊帳の外であることに泣く。私には力がないもん。ただただ微力で、自分の生活もあって、私利私欲もあって、友人がきつい時にも飲みに出たりしてしまったりする。更にそういう辛さを抱えてる人が周りにいることを忘れていたりする。

またそれとこれとでは話が変わってはくるのだが、

本当にまなみが生きていてよかったということ。赤ちゃんも無事で嬉しい、まなみのたいせつなそんざいだから。でも私はまなみの友達だからまなみが生きていたことのほうが嬉しい。でもまなみはきっと(赤ちゃんが助かるならそれで)なんて母親だから思ったりするのだろう。
なんで自分がこんなに涙しているのかが分からない。まなみが安堵しただろうな、という気持ち。子が産まれればうまれるだけ幸せも苦労も増えるだろうがひとつだけ言えるのは、間違いなくまなみは今回もいい母親になるに違いないということ。今日まで上の子たちにそうだったように。そして今までの私たちの良い友人でいてくれたことに感謝して、わたしも良い友人になれたらいいな、ということ。

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