平成の思い出

2019年12月23日㈪

 12月23日が平日なのが少し違和感があるくらい、令和元年が終わろうとしても私の中の平成は抜け切れていない。平成元年生まれの私にとって、平成が終わって令和になる、というのも生まれ変わりのタイミングのように感じていた。せっかくなので、今年の4/30の平成終わりの思い出を綴ってみようと思う。

 4/29、古市憲寿さんの『平成くん、さようなら』は平成のうちに読んでおかねばならないと思い、一気読みして朝になった。その日に書いた感想文をのせてみる。

***********************************************************************

 愛ちゃんの気持ちが、痛いほど分かった。

 私は平成元年に生まれた。もちろん生まれたときのことなんて知らない。近い記憶のほうが当然鮮明に覚えている。

 平成くん、さようなら。私にとっても、結果的にではあったが、平成がおわるまでの数年間、人生で初めて『死』を目の当たりにした。死は少なくとも、残された人に影響を与えるのもだと思った。人間どんなことにも、終わりがくるということを知った。実際私自身が、平成30年と31年、他人に言えることではないが、もう死んでしまいたい、と人生でまともに思ったことが何度もあった。

 これ以上、欲をもたせないで。似たような目に、ここ最近何度か見舞われた。欲を持つから、満たされないときに虚無感に襲われる。希望をもてなくなる。

 平成くんの安楽死の選択からいえることは、現代の人はかつてよりも、現実的な選択肢が多いこと、それを選択する自由があることを表していると思う。誰かの意思を、ほかの人が捻じ曲げることはできない。あなたはあなたの人生を、どんな場合でも生き抜かなければならない、ということを、私個人としてはみえたように思う。

 かつてはしきたりや世間体といったものに縛られていた不自由は、ある面では固い結びつきを与える機能を果たしていてくれていたのかもしれない。けれど、今の東京ではそんなものは関係がなく、自由を与えられた一方、誰とどんな交わりをもつのか、それとも独立して生きていくのか、すべてを自分で選ばなければならなくなりつつある。愛ちゃんは、生まれてきた環境から、自分という存在は周囲に決められてきて育ってきた象徴なんだと思う。二世として生き方を決められてきた愛ちゃんが、平成くんと出会い失うことによって、自分という人間を少しずつ築きあげていく物語だと思った。

 私のお母さんは、私のことを、自分のしたいようにしてきた、と常々いう。でも自分としてはとくに高校生以後、家族に対し迷惑をかけないように努力してきたしもはやお母さんの意向に沿うようにできるだけ行動して面も多々あり、言われる度に私の内側は見えていないんだな、とすこし寂しい気持ちになった。でも、そうするように選択してきたのは自分だったのだ。自分が不幸だと思うことにあったとき、ほかの何かにただただ原因を求めても、解決には遠いかもしれない。次にどんな選択肢があるのかを考え、自分の意志で選び抜かなければならない。

 生きることそのものが難しかった時代は、死ぬことが問題だった。でも平成は、どのように生きるか、が問題になった。自由になって世界を知れば知るほど、自分という存在がいなくても世の中は何も変わらない、ということが分かってしまう。平成は、生きる意味なんてない、ことを明らかした時代だと思う。自由に情報にアクセスし、選択肢を抽出し、意志によってえらぶ。平成はこのような生き方を作り出した時代なんじゃないかと思う。

***************************************************************************

 読み終えて感想文を書いたあとにも、実際のところ自分の中でもやもやが続いていた。もやもやは一種の絶望感だった。私はこれから何を選択して生きていくのだろう?自分は何がしたいんだろう?その問いへの答えが見えないことに、用意された袋になにも入れることができない空っぽさに、不満を覚えるような気分になった。

 4/30、お父さんと下北沢にライブに行く予定だった。お父さんは元ミュージシャンで、若い頃の音楽仲間のライブに付き添うことは私にとっても楽しみだった。その日の日記も載せてみる。

************************************************************************

 平成の大晦日は、下北に行った。平成くんさようならを一気読みして、寝たのが4時近くになったのでやや寝坊した。大学に行って少し実験をしてから下北沢に向かった。実は、ちょっと行くのがおっくうだった。めんどいと思った。

 ライブは18時半頃からで、さすがにすきっ腹に飲むのはよくないと思ってつまめるお店を散歩した。ちょうど良い感じのカフェを発見した。アボカドシュリンプナンサンド、800円。個人店では適正価格だと思うし、観光気分だったのでこれにした。店員さんはいかにもシモキタっぽい男子2,3人。とても会社員にはなれなそうな格好で、ゆるーい感じ。水をもってきたと思ったら、「アボカドシュリンプ、あ間違えちゃった」可愛い。(笑) サンドイッチが運ばれてくるなり、「お願いしまーす、やべお願いしますじゃなかった!間違えちゃった!」といって戻っていった。なんなんだ。(笑) 3日ぶりくらいに笑った。

 Gardenで行われたのは、正木五郎さんというドラマーの古希お祝いライブだった。会場に着くとお父さんが先に着いていて、いつものように優しい笑顔で迎えてくれた。ライブは正木五郎さんと親しいミュージシャンがたちが、それぞれのバンドの演奏をきいた。

 一曲目から、しびれた。Soul Seekersという紅一点バンドの "If i ever loose this heaven"は、初夏の風を感じるような最高に爽やかな音楽だった。目の前に青い海、白い砂浜が広がり、まさに天国にいるような気持ちになった。

 一番面白かったのは、『上田正樹とSouth to South』。最高だった。めちゃ笑った。歌もかっこよかった。有山順二さんと、めちゃくちゃ楽しそうだった。歌う姿は、夢中そのものだった。

 ライブの良さは、ミュージシャンの人たちが、夢中になって演奏している姿を目の当たりにできることだと思う。はっきり言って、お客さんなんて関係ない。自分のやりたい音楽をやる。そしてその音楽が自分とぴったりと重なったとき、自分も夢中になっている。音楽とカンパリソーダに酔いながらこんなことを思った。

生きる意味なんてない。ふつうに、生きるのってしんどい。しんどいけど、簡単に生きるのをやめることはできない。
生きる意味なんてない。生きる意味を考えるよりも、どうやって生きるかを考えなければいけない。

平成最後の結論は、何かに夢中にならないと死ぬ。
目先の楽しい事を楽しまないと死ぬ。
目の前の事を一生懸命やるだけで、十分。

何のために生きるのかではない。生きることが目的。
生きるために、楽しい事をしないといけない。生きるために、何をするか。

 平成のさいごに気づけてよかった。ライブが終わったあと、お父さんの知り合いのバーに行った。カウンター4席くらいとテーブルのほんの小さいお店で、お兄さんくらいの年齢の人が2人いた。バーのマスターとお兄さんたちとお父さんと私でカウントダウンをして令和を迎えた。最高に楽しかった、平成の大晦日になった。

この記事が参加している募集

推薦図書

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?