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よい土をつくること

最近、2つの出来事がありまして、少し思うことがありました。そこで、自分の中で整理するためにこの記事を書くことにしました。一つ目は私が所属している大学で実施されているビジネスプランコンテスト(通称ビジコン)。もう一つはXデザイン学校(大阪校)の最終発表会。前者はゼミの教員としてゼミ生のチャレンジを見守る立場で、後者はコメンテーターとして講評する立場です。何を整理したいかというと、発表する立場の人が、自分達の発表に対するフィードバックをどう受け取るのかという問題です。

まず、ビジコンの概要について記述します。ビジコンでは、企業様からお題をいただいて、お題に対する商品やサービスのアイデア(ビジネスプラン)を提案します。企業様のお困りごとを解決したり、斬新なアイデアを提案します。コンテストですので、優勝チームなどが決まります。私のゼミは2チームだけ出場したのですが、ゼミによってはゼミ生が全て参加することもあります。そうなると、応募するチームは結構多くなりますので、表彰されないチームの方が多くなるのが実情です。そうなると、表彰されなかったチームの中には、落ち込んだり、不満を口にしたりするチームも出てきます。

次に、Xデザイン学校の発表会におけるフィードバックについて簡単に記述します。発表者は、1年間かけて取り組んできた成果を10分間に凝縮して発表するわけですが、それに対して私は講評をします。今回は、浅野先生の発案で「甘口」と「辛口」のいずれかを選択できるというユニークなシステムで実施されました。結果的に全チームが辛口を選択されましたので、私は慣れない辛口のフィードバックをさせていただきました。そのフィードバックを好意的にうけとっていただいたのか、不満に感じたのかは、人それぞれだと思います。辛口のフィードバックをしたので、もしかすると後者の人が多かったかもしれません。

さて、ここからが本題です。両者の共通点として、評価する側の人は、発表者の取り組みや思考の足跡などは把握していないので、限られた情報をもとに評価するしかありません。しかも、評価の価値基準は人によって異なることも多々ありますので、評価される側からすると納得がいかないケースも出てきます。しかし、それは重要なことではないと私は考えます。つまり、もともとコミュニケーション・ギャップが生じる構造であることが前提ですので、その前提に立脚すると、評価する側としては、どうしても理解不足や誤認識は生じてしまいます。では、評価される側としては、どう対応するのがよいのでしょうか。私見ではありますが、結果を引きずったり、ギャップを埋めることに固執するのではなく、一つ上の視座で捉えて次に活かすことに意識をシフトすることが重要だと思います。例えば、自分達の取り組みは、自分達が一番わかっているので、それを自分達が褒めてあげたり、反省したりして、次のチャレンジに活かすという観点です。花を例えにするのが妥当か否かはわかりませんが、花を育てるだけでなく、よい土をつくるということにも注力するイメージでしょうか。よい土ができればよい花が育つ、みたいな感じ?

とは言え、実際はそんなに達観できないかもしれません。その場合は、くやしいとか、やりきったのになぜ、とか、そういう感情はそのまま持っておいてよいと思います。ネガティブになってしまうのもしょうがないでしょう。それを無理にポジティブに変換しなくてもよいと思います。経験を積んでいくと、肥やしになったと思える時がくるはずです。私は、人に自慢できる輝かしい実績はないですが、自分に素直に悔いのないようにチャレンジした経験だけは豊富にあります(笑)。その経験から、期待通りにいってもいかなくても、チャレンジしたことに無駄なものはないと自負しています。もちろん、期待通り結果を出せるに越したことはありません。でも、期待通りいかなかった方が、考える余白を与えられていると考えることもできます。自分の期待通りにいかなかったからといって学びを止めるのではなく、今後の肥やしにしてほしい。どっしり構えて、自己肯定感を強く持てば、チャレンジしたあとのリフレクションも自ずと視座が高くなると思います。


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