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【小説】風船はきれい?

いつの間に悠は、風船を膨らませられるようになったのだろう。息を風船の狭い入り口にぴったりと吹き込んで、右手の親指と人差し指で、入れた空気が脱出するのを阻止し、再び自分が吸い込んだ息を吹き込む。風船は最初、急激に膨らみ、その後はスピードを落としながらも、確実に膨らんでいく。ある程度まで膨らんだら、口を離して、風船の入り口を縛る。そんな器用な事を、悠はいつ出来るようになったのだろう。

 もう私の出る幕はない。昔は、私が風船を取り出して、悠に遊ぼうと声を掛け、悠が膨らませる事にチャレンジして失敗し、私が代わりに膨らませてあげたのだ。今は、膨らませる役割どころか、風船を取り出す役割すらも、私から剥奪されている。悠は私から何かを勧められる事を嫌がるようになってしまった。風船を攻撃的に叩いて悠が遊ぶ時、私の姿はそこにはない。

 一方で、最近歩けるようになった世那が風船を手に取る時には、私は一緒にい遊ぶ事が出来る。けれども、私はそこに心からの楽しみを見出す事は出来ない。あまりにも世那が、風船を大切そうに抱くから。彼女は風船を宝物のように扱うのだ。風船って、そんなにきれいだろうか。膨らんでいるけれど、キラキラしている訳ではない。パーティーとかの装飾物の中では、一番くすんでいるだろう。しかし、世那は風船を大切に扱い、決して投げようとしない。私は世那と一緒に、風船を美しいものとして眺めて遊ぶ。それは本当に、一緒に遊べていると呼べるのだろうか? 私は風船をきれいだと思えないのに?

 風船は何故あの形なのだろう。どうしてあんな作りなのだろう。風船は、子供を楽しませる事ばかり考えて、大人を決して楽しませない。風船は、私と子ども達とのコミュニケーション・ツールには、決してなり得ない。

 私には、風船がきれいだとは、もう一生、思えないのだろう。

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