アンドロイド転生874
2118年9月10日 午後
イギリス:ハスミ邸
(訪問70日目)
ハスミユリエはプールのレッスンから帰って来た。29歳の子供を持つ年齢でありながらも美しいスタイルを維持していた。出来れば娘も通って欲しいが…まだ無理かしら…。
玄関を開くとピアノの音がする。ユリエは呆然となった。娘が…エマが弾いているのだ。イギリスに来て6ヶ月。心身共に傷付いたエマはピアノに触れる事が一度もなかった。
ユリエは聴き惚れた。嬉しくて胸がいっぱいになる。ああ…立ち直って来たのだ。最近は散歩をしたり、コンサートにも行くようになった。何よりも笑顔を見せる事が多くなった。
気付くと涙が落ちていた。
「あら…やだ…」
ユリエは頬を拭って深く息を吸い込んだ。冷静に。平静に。大袈裟に喜んではならない。
リビングの扉を開けた。ピアノの音が響く。
「ただいま〜。『月光』ね。ベートベンは素晴らしいわ。ママ、大好き」
エマは微かに頷いた。
天井が高く広い室内は音響効果に優れていた。ピアノの軽やかな音色は美しく、心が洗われるような旋律だった。エマはプロのピアニストなのだ。技量は確かだ。ユリエは満足だった。
弾き終わるとエマは少し不満そうな顔をする。
「久し振りだから指が鈍ってたな…。あと調律しないと…ダメかも」
「マシンに来てもらいましょう」
親娘で日程を決めていると執事アンドロイドのセバスチャンがやって来た。
「奥様。エマ様。リョウ様がお見えです」
2人は頷いてリョウを迎え入れた。
リョウの傷はだいぶ癒えていた。本人も元気そうでユリエは安堵する。3人は和やかにお茶を囲む。ユリエは思い切って言うことにした。
「リョウさん。エマちゃんがピアノを弾いたの」
ユリエは娘を窺い見た。余計な事を言ってと怒るかと不安になったがエマは平然としていた。リョウは穏やかに微笑んだ。
「へぇ!それは聴いてみたいですね」
ユリエは胸が高鳴った。人様の前で弾く気になってくれたら…嬉しいんだけど…。どう?エマ?やってみる?チラチラと娘を見た。エマはピアノの前に行くと弾き始めた。
エマは軽やかなモーツァルトを奏でた。誰でもよく知っている曲を選択しており、リョウはふんふんとリズムを取る。ユリエは嬉しかった。音楽が終了するとリョウは拍手した。
だがエマはやはり不満そうな顔をする。
「旋律が少し狂っていて満足な出来じゃないの」
リョウは暫く黙り込むと顔を上げた。
「僕の友達に調律師がいます」
親娘は目を丸くした。リョウが?調律師?
「アンドロイドじゃなくて人間です。まだヒヨッコらしいですけど…どうですか?宜しければ聞いてみますけど…」
リョウは続ける。
「その人曰く…アンドロイドの調律は正確性が高いけれど…人間の調律には『ゆらぎ』があると…。それが心地良いのだと…」
ゆらぎとは『1/fゆらぎ』の事であり、快適性と関係がある。人間は五感を通して外界からゆらぎを感知すると自律神経が整えられ、精神が安定し、活力が湧くと考えられているのだ。
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