#256 話すのが苦手な人にオススメな自己表現は、「話すこと」であるという矛盾
こんにちは!
わたしは人の話を聞くことが大好きで、仕事を通じて、インタビューの勉強と実践を繰り返しています。
そんな中、「わたし、うまく話せないんです」とおっしゃる方が結構多いことに気がつきました。
話が脱線する人の頭の中
「うまく話せない」「話すのが苦手」のパターンのひとつに、「すぐ話が脱線してしまう」があります。
確かに、質問の答えから違う話に展開したまま、「 あれ?ごめんなさい。いま何について話していましたっけ?笑」となる方は一定数いる気がしますね。
これを素直に受け入れ、「わたし、すぐ違う話を始めちゃうんです。 その時は呼び戻してください笑」と公言している人もいれば、逆にそれを欠点ととらえ、「きれいにまとめてしゃべれないので…」と人前で話すことに恐れを感じている人もいます。
後者の場合、話の要約メモを作ったり、場合によっては台本を書いたりもするそうですが、 すると今度は、紙に目を落として文字を読み上げるだけになってしまい、目の前の相手に「伝える」ことが疎かになります。
その結果、ますます話すことへの苦手意識が強まるという負のスパイラルに陥るのです。
頭がとっ散らかるのは悪いことではない
自称「話すのが苦手」という方からよく聞く言葉に「頭がとっ散らかる」があります。
彼らは、自分の話がいつの間にか脱線していることには気がついているんです。
けれども、一度話題が逸れてしまうと、自分一人では話を元に戻せず、どこから話し直せば良いのかまったく分からなくなるようで、こうした現象を「とっ散らかる」と表現しています。
でも、これは悪いことでもなければ、劣っていることでもなく、ましてや恥ずべきことでもない、と私は考えています。
理由は、単なる得意・不得意の違いだけだから。
絵を描くのは得意?それとも苦手?くらいのことだと思っていて、「考えながら話すことが自然にできるのか、そうではないか」といったように、個人差のひとつ、特徴のひとつだと思っています。
ちなみに、わたしは絵を描くのが苦手です。自分で「下手だ」と思っているので、小学校の図工の時間に渋々描いたものを教室の後ろに貼られ、みんなに見られるのは、恥を晒されているようで、とてつもなく嫌でした。
だからこそ、話すのが苦手→人前で話したくない、という思考の流れも理解できます。
必要なのは「聞き手」の存在
内容を考えながら整理して話すことが苦手な人に必要なのは、適切な質問を投げかけてくれたり、自然なナビゲートで話を導いてくれる「聞き手」の存在です。
わたしは、一から絵を描くことは苦手でしたが、塗り絵は大好きで、グラデーションをつけるなど自分なりの工夫も楽しんでいました。
つまり、決められた「枠」さえあれば、絵は好きだったのです。
「話す」も同じこと。一人で話すことに苦手意識があったとしても、うんうんと頷きながらインタビュアーのように話の展開(=塗り絵の枠)を作ってくれる相手が目の前にいると、「苦手」という意識は確実に薄れます。
そして、おもしろいことに、苦手意識のせいで普段はそれほど前のめりに自分のことを話さない人は、実はユニークなネタをもっている、珍しい取り組みをしているなど、掘れば掘った分だけ、興味深い話をしてくれることも少なくありません。
本当は、誰もが自分語りをしたい
この世の中、自分の話ばかりしたり、ましてや人の話を奪って自分の話題にすり替えたりすることは、好ましくないと認識されていますよね。
けれども、自分の話を聞いてもらえるって、とても楽しく嬉しいことですし、心が満たされる時間でもあるんです。
わたしは数年前、 新聞記者さんに1時間半のインタビューを受けたことがあります。
人生で初めてのインタビューなのに、事前準備は必要ないと言われ、本当に聞かれた質問に対し、普段の自分の考えや在り方を素直に話しただけでした。「こんな話が本当に役立つんですか?」と思わず聞いてしまったほど。
けれども、それを最後までしっかり聞ききってもらえたあとには、「あー、楽しかった!」と、爽快感があったのを覚えています。
「自分は話がへたくそだ」と思っている人は、「一人で話をまとめること」が苦手なだけです。わたしはこれまでに、「聞き手さえいれば饒舌に話す人」を何人も見てきました。
人は誰でも自分語りをしたいもの。
話すのが下手だから…おもしろおかしく話すなんてハードルが高すぎる…とふさぎ込むのはやめましょう。
「この人といると、ついつい色々しゃべり過ぎちゃうな」くらいに思える相手を見つけて、話すことを楽しみながら、自己表現を楽しんでいきませんか。
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