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深い深い”親子愛”を魅せてくれて「ありがとがんした」~映画『銀河鉄道の父』~

宮沢賢治作品は子どもの頃に読んで以来、その唯一無二の世界観に魅了されてきました。大人になってからも絵本は手元に置いてあって、折に触れ見返したりしてきました。

色彩と音楽と自然と、ときには狂気や恐怖も…賢治にしか描けない”文字なのに胸躍る感覚”は永遠に愛され続ける作家の証だと思っています。

作品はよく知っているのに、賢治の人となりは実はほぼ知らずにいました。今回映画『銀河鉄道の父』を観て、初めて人間・宮沢賢治に深く触れられた気がしています。

裕福な家庭に育った賢治がそのこと自体に違和感を感じ、質屋を継ぐことに抗いながら生きてきた裏側にはどこかで「自分たち家族だけが苦労を知らずに満たされて生きていたくない」という気持ちがあったからではないかと感じました。

後に農学校の教諭となり農民として生きる人々に熱意を持って力を尽くしたのも「人の役に立つ人間になりたい」という賢治の熱い想いゆえであり、自分の進むべき道を追い求め葛藤しながらも、紆余曲折を経て”書く“ということに辿り着くためには必要な過程だったのだと納得できました。

この映画の主役である父・政次郎にしてみれば、何不自由ない暮らしを送らせてやり、質屋の跡取り息子として大切に育ててきた息子・賢治が素直に自分に従わないことに対しては複雑な想いを抱いていたことでしょう。

ただ時代背景ももちろんあったとは思いますが、自らが自由にやってみたいという想いもありながら規律や上下関係を重んじる厳格な父・喜助の元で生きざるを得なかったからこそ、「ダメ息子」賢治のわがままを″無償の愛″ですべて受け入れてくれたのだということが伝わってきました。

賢治が6歳で赤痢になった時「男子が息子の看病をするなんて!」と喜助に怒られながらも、かいがいしく賢治の世話をしていた政次郎がチャーミングでとても印象に残っています。

愛する息子のためなら何でもしてやりたいという親心は、後に賢治の紡ぐ物語の一番のファンになってしまう政次郎の姿へと間違いなく繋がっていました。

生前は評価されなかった賢治が死後にこれだけ世界的に愛される作家になり得たのは、宮沢家の家族みんなが賢治の才能を信じて死してなおずっと応援し続けていたことに他ならないわけなので…。

妹・トシがいなければ、宮沢賢治は誕生していなかったかもしれないということも今回初めて知りました。

子供の頃は「日本のアンデルセンになる」と賢治が言っていたのに「物書きは俺の才ではない」と”書く”ことをしなかった賢治に”書く”きっかけを与えたのは、結核になってしまったトシだったからです。

トシの病床で『風の又三郎』を読み聞かせる賢治と涙を流して喜ぶトシの”兄妹の絆”が作家・宮沢賢治の原点だったんですね。

”書く”原動力であったトシを失った賢治に再び”書く”力を取り戻させたのは政次郎であり、一番のファンがすぐそばにいてくれたことはさぞ心強かったと思います。

映画は政次郎役の役所広司、賢治役の菅田将暉、トシ役の森七菜の見事な演技で淡々と進行していきます。

トシの亡くなるシーン、葬儀のシーンでは不思議と泣けなかった自分がいたのはどこかストーリーに没入できなかったからでしたが、賢治がトシと同じ結核を患ってからラストまでは私自身の心がグッと大きく動かされました。

「お父さんのようになりたかった。なれなかったから代わりに物語を生んだんです」
「だから俺はお前の物語が好きなんだ。孫のようなもんだ。もっともっと聞かせてけろ。お前の物語を…。大丈夫だ。まだ終わりでねぇ」
「俺もとうとうお父さんに褒められた。ありがとがんした」

映画『銀河鉄道の父』より

賢治がいろんな道を模索していた頃、母・イチが政次郎にこう言ったことがありました。「あの子は本当は旦那様に褒められたいだけではないですか?」

きっとこの母の言葉通りだったのかもしれませんね。父に迷惑をかけていたことを重々分かっていながらさまよい続けたのは、いつかは心から父に褒められたかったから…。父はとっくに賢治のことを認めて、たくさん褒めてきたつもりだったのに…。

それまで決して表に出ることがなかったイチが身体を拭いてほしいという賢治の言葉に「私にさせてください、最期くらいは…」と父に願い出て、背中を拭いてあげるシーン辺りから涙腺が緩み始めました。

賢治がもうすぐ亡くなる瞬間が来たと思われた時、政次郎がまるでこちらの世界に呼び戻すかのように「雨ニモマケズ」を大声で詠い始めました。このシーンは原作とも違うらしく、成島監督は撮るのか迷っていたそうです。でも父の愛情と悲しみが溢れ出たこのシーンはこの映画一番の見せ場であり、名優・役所広司の力量に圧倒されました。さすがの演技力でした。

実は「雨ニモマケズ」の詩に感銘を受けた子供の私は、長い間部屋の壁にその詩を貼っていました。うん十年経った今もフレーズが頭に刻まれていて、政次郎と一緒に思わずつぶやいていました。

その詩を聞き届けて賢治は穏やかに逝ったように見えました。

映画のラスト・シーンはいきなりファンタジーの世界になりましたが、成島監督の言葉「家族が銀河の先で、もう一度巡り会えるという終わり方にしたかった」とパンフレットに書いてあった通り、そんな希望溢れるいいシーンだったと私は感じました。

父・政次郎の「ありがとがんした」という言葉と笑顔に、この映画ならではの心地よい余韻が残された気がします。

家族って本当にありがたい存在だと改めて感じられた作品でした。

実は私自身まだ宮沢家ゆかりの花巻を訪れたことがありません。いつかいつかと思いながら…。この映画をきっかけに「宮沢賢治記念館」をはじめとする賢治の世界にどっぷり浸る旅をしてみようと思います。


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