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”泣く”ことは人が前に進む原動力になる・・・ドラマ『星降る夜に』を観て感じたこと

恋愛ドラマのようでもあり、深い人間ドラマのようでもあり、さすが大石静脚本は一筋縄ではいかないと感じさせられたドラマ『星降る夜に』の最終回。登場人物たちそれぞれが迎えたハッピーエンドに心がほっこりしました。

人間の生と死はいつも隣り合わせであって、”命の始まり”と”命の終わり”にそれぞれ携わる産婦人科医と遺品整理士が出逢って恋に落ちるというドラマティックな展開にまずは引き込まれました。

それと同時に<人は心に抱えた闇とどう向き合い、それでもどう前に進んでいくのか?>という裏テーマのようなものにも強く惹かれていきました。

産婦人科医として着実にキャリアを積んできたけれど、様々な現実と戦い続けてきて心が疲弊し切っている主人公鈴。

音の無い世界を生きているけれど、それをまるで単なる個性と言わんばかりに自信を持って自由奔放に生きている一星。

奥さんとお腹の中の子供を同時に亡くしたけれど、一念発起して45歳で産婦人科医になった天然の心優しき深夜。

この3人がストーリーの中心。

一星の働く「遺品整理のポラリス」の社長千明が「鈴先生と一星と深夜は、”太陽”と”月”と”地球”みたいな関係。ああいう関係は恋とか愛とか単純な名前はつけられない。一列に並んだり陰になったり欠けたり満ちたりしながら3つは回り続けている」と三人の関係性についてそんな風に言うセリフがあったけれど、これは実に言い得て妙でした。

それぞれがお互いに”好き”という感情を抱き合いながらも、それは男女間の単純な恋愛感情というものだけでは計れない側面もあり。例えば対人間としての尊敬の念であったり、愛しさだったり、大切に想う気持ちだったり、同志のような強い仲間意識だったり・・・とても複雑に絡み合っているもので。そんな男女を超えた人間同士の絆を少しずつ築き上げていった三人のキャンプでのシーンはドラマの中でも非常に印象に残っています。

妻の命を救えなかった鈴に対して逆恨みをする伴が登場してきてからの、鈴を演じる吉高由里子の怯える演技は非常に素晴らしかったです。

それ以上に、キャンプの時にやった花火を見ながら号泣する演技は、自分の心の整理はまだまだつけられないけれど、それでも感情全てを吐き出したような説得力のあるもので心を奪われました。

この”泣く”という行為は心のデトックスになるとよく言われますが、鈴もこの時これまでずっと押さえつけてきた自らの感情を爆発させることができて、だからこそ伴もここにいればよかったのかな・・・と素直に思えたのだと思います。

伴は鈴を攻撃することで自らを正当化したかったのかもしれないけれど、悪者の自分に対しても優しさを見せる鈴や、同じ境遇の深夜の優しさに触れて、この先どう生きていけば良いのか分からず自ら命を絶とうとした。その伴を一星が力強く抱きしめてあげると、伴は子供のように声を上げて一星の胸で泣きじゃくった。

妻を亡くしてから子供を一人で育て、そのせいで仕事もクビになり、行き場のない怒りと悲しみを持て余していた伴の心もこの時やっと”泣く”ということで昇華されたのかもしれません。ムロくんのこの”泣き”の演技、それまでの恐怖心を煽るような激しい演技とは対照的で見事でした。

この後一星が伴と鈴をも一緒に抱き締めたシーンは、二人のわだかまりを静かに溶かしていってくれるような、そんな大きな一星の優しさに満ち溢れていて大好きでした。

最終回。10年前妻とお腹の子供を同時に亡くしてからそのままにしておいた家の遺品整理をやっと決意した深夜。一星が最後に持ってきた箱に入っていたのは、妻が子供が生まれてから三人でお揃いで履こうと買っておいたスニーカー。そのスニーカーを抱きしめながら号泣した深夜。

この10年間”泣く”ことのできなかった深夜がやっと泣けた瞬間で、私も思わずもらい泣きしてしまいました。

人は本当に悲しいと泣けなかったり、感情を心に閉じ込めてしまうと涙が出てこなかったりするものだと思います。鈴、伴、深夜。みんな”泣く”ことによって自らの心を開放することができて、”泣く”ことでこれから先前に進める原動力を得られたのかもしれないと感じました。

鈴と一星も、深夜も、伴さんも。
それぞれが歩き出した新たな未来に幸あれ!

何度も観返したくなる素敵なドラマがまた一つ増えました。

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