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「論文には論文で批判を」といったことに対して寄せられた、小宮友根、清水晶子さんらによる批判にこたえて

私の論文に対する小宮さんからの批判には、すべて反論しましたので、もうこれ以上twitterなどでは終わりになるといいと思います。泥仕合になるのは良くないと思いますが。小宮さんは、私の論点の3にだけ反論されて、私を「差別者」と呼ぶことへの反論の残りの論点に関しては、お答えになりませんでした。補足の形で追加されたようです。↓

「はい?」という気持ちは共有しつつも(失礼)、一応これで収束かなと思っていました。しかし、こう書かれたあとも、twitterではまだ続いているようなので、それを記録していくことだけはしようと思います。

小宮さんによってつぶやかれたツイートですが、私も同感です。SNS上ではこれ以上もうやめませんか?あまりよい影響を、社会にも学会にも与えないと思います。

あくまで、納得がいっていらっしゃらないのはよくわかりました。
論点の3に関しては↓

とまだ続いているようです。注の1文をめぐってですが、それではまたこれは機会を改めて書きます。「怪しな翻訳」と言われますが、元記事が削除されましたのであくまでネットで参考にと書きましたし、BBCによるストーンウォールの検証の他の記事も出しましたが…。

私が、BBCによるストーンウォールの検証のところで、ストーンウォールの「過大な影響下にある」と書きましたが(検証のポッドキャストなどを聞いても、間違いではないと思いますが)、「常識に帰属する」とは書いていませんし、そこまで罵倒されるようなことでしょうか…。

「学術的な手続きを踏んで提示され」ていないとまだ思っていらっしゃるのですね…。

小宮さんが、リツイートされているツイートですが、若手研究者の方ですから少しためらいますが、

「差別的なクリーシェと同型の記述を含む論文が社会学評論のジェンダー特集の巻頭に掲載されたことに若手の研究者やトランスジェンダー当事者の研究者がショックを受けたり学会での研究活動に対して不安を覚えたりするのではないかという懸念」と書かれていますが、小宮さんは私の反論に反論されませんでした。こうやって「差別的なクリーシェと同型の記述を含む論文」という、小宮さんによる決めつけが通用していくのだと思うと困ったなという気持ちです。またそれを小宮さんがリツイートされるのも。繰り返しますが、「差別」という言葉は研究者にとって重いものです。できれば、小宮さんには謝罪して欲しいと思うのですが、到底無理なお願いなのでしょうね。

「論文への批判は論文で返せばいい」といった意見に対して、学会に対する不信感を表明されています。私も「フェミニズムはイズムであって、学問ではない」等と言われるなかで研究を始めましたのでそのような懸念があることは了解しますし、若手の方の不安も理解できます。それでも納得されないと思いますが、やはり学会というシステムを信頼するなかで、学問をしていくしかないとは思います。ただ若手の方に対しては、これ以上控えたいと思います。

これに関しては、私は事実としてこのツイートを拡散していません。なぜこんなデマが出回るのか、困ったなと思っています。引用リツイートの形で他の方も、ご指摘されていますので、このツイートからたどれるかたちで、状況の説明をお願いしたいと思います(しかし一度こうやってインターネットで流れた以上、またこうしたデマで私がバッシングされ得ると思うと、やりきれない気持ちです)。

「学問には学問で」と私がいったことについては、清水晶子さんも批判されていらっしゃいます。

「クィアは良いけどフェミニズムはもう古い」と言われるんですね。なんだか羨ましいといったら怒られますが、その「フェミニズム」の研究をしてきたことで私自身、いろいろな思いはあります。

「女性学会で『クィアがフェミニズムを分断する』と言われたりしてきた」のところは、事実無根であると思います。清水さんが念頭に置いていらっしゃることは、いつも繰り返されているあれかなと思うのですが。その時代表幹事だった故人の井上輝子さんは、病床で「もう私は死にます」と電話をかけてこられ、このような誤解(とういかデマ)を払しょくするための資料一式を私に託されました。ほぼ発声もままならない状態で、「絶対に公表してください。その方法はあなたたちに任せます」といわれたので、やはり、井上さんの遺言に従って、きちんと公表することにしたいと思います。もう死にゆく病床で、これを何とかしないと死ねないと輝子さんが思われていたと思うと辛い気持ちになりますが、それを受け取った責任があると思います。ですのでそれまで、女性学会に関して、このようなことを書くのを、ひとまず清水さんが控えてくださると幸いです。

私は清水さんと同世代か、ほんの少しだけ年齢が上になると思うのですが、海外に行かれていた清水さんよりも早く、日本で学者としてのキャリアを積んできました。ジェンダー研究に対する逆風ももちろんある中で、「就職なんてない」というだけではなく、「そんなものは研究対象とならない」といわれ、理不尽だと思われることももちろん、いわれました。ときには当然、涙しながらキャリアを積んできた私の経験もまた、尊重していただければと思います。

小宮友根さん、清水晶子さん、福永玄弥さんによる批判を受けましたが、論文に対する反論は、論文で行って、学問の発展に寄与したいという気持ちは、申し訳ありませんが、変わることはありません。出かけなければならないので、雑駁なかたちの文章になりますが、一度公開します。


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