第二章 三河の王、家康 〜元康におとずれた転機〜

・松平家がサイアクのときに生まれた竹千代。長い人質生活を味わうことにはなったが、その中で元服、初陣をはたす。が、元康と松平家臣団は、いまだ今川のしはいからのがれられずにいた——。


とつぜんですが、"ターニングポイント"という言葉を知っていますか。日本語では"転機(てんき)"、なんて言ったりします。
どんな人にも、そのあとの人生を大きくかえるような出来事がおこります。それがターニングポイント。

あなたにもあるし、歴史上の人物にもありました。
そしてもちろん、徳川家康にも何度となくターニングポイントはおとずれます。
このあとお伝えするのは、家康の運命を大きく変えた出来事です。


それは、元康(家康)19さいのとき、永禄3年(1560年)のことでした。
今川義元が、長年の敵『織田』と戦うため、尾張国にせめこんだのです。
その相手となるのは、織田信秀のあとをついだ、息子の

織田信長(おだのぶなが)

です。
この名前、聞いたことがある人も多いんじゃないでしょうか。もしかすると、戦国武将の中で1番有名で、1番人気があるのが、この織田信長かもしれません。

戦国時代は、かれが登場したことによって、ものすっごく変化しました。言ってみれば、戦国時代にとってのターニングポイントは、織田信長だったと思います。

ただ……この時点じゃ、だれがどう見ても今川義元のほうが強いんです。

尾張をやっと自分のものにしたかしないかの信長に対して、今川義元は、駿河、遠江を完全に支配する大大名。それにくわえて、信康たちの三河までものみこもうとする、ちょう巨大勢力。

かんたんに言えば、レベルが違います。

力の差は兵の数にもあらわれていて、織田軍が3000〜5000のところ、今川軍は2万以上(兵数にはいろんな説があります)。

レベルです。レベルが違うんです。

そんな、レベルの差がありまくりの戦いに信康も参加。今川義元から命令を受けるんです。

今川義元「尾張の大高城(おおだかじょう)に、兵糧(ひょうろう)をいれるんだ!」


今回の元康のミッション:「大高城へ兵糧をとどける」

兵糧とは、戦いのときの軍隊の食りょう。

これを味方のいる大高城まで届けることが、元康の仕事というわけです。

「なんだ、ただのおつかいかー」

と思った人います? 

それはもう大まちがい。

おつかいはおつかいでも、ただのおつかいじゃなく、

「死にものぐるいのおつかい」

ですから。

問題は、大高城のある"場所"なんです。

大高城はね、尾張国にあるんですが、このときは今川のお城となっていました。でも、尾張にあるってことは……敵である織田さんがすぐそこにいる。

そうなると織田さんも「勝手なことさせねーからな!」と、大高城のまわりに”砦(とりで)”をきずくんですよ。

(”砦”ってのは、戦争のとき、せめたり守ったりするために作られる建物です。「お城のかんたんなやつ」みたいものかな)。

大高城のまわりには

「丸根砦(まるねとりで)」

「鷲津砦(わしづとりで)」

という2つの砦があり、兵糧を届けるにはこの2つをとっぱしなければならない。
というわけで元康にくだされた命令は、ちょうキケンな大仕事だったんです。


だったんですが……


元康ひきいる松平家臣団は、みごとに砦をとっぱし、大高城に兵糧をいれることに成功。そればかりか、砦の一つ「丸根砦」もせめおとしちゃって、もう、強さが止まりません。

ひとつになった三河武士の勇ましさを、織田にも今川にも見せつけるんです。

今川義元「よくやった! そのまま大高城にのこって城を守れ!」

兵糧入れを成功させた元康に、大高城の守備をまかせた義元。このとき、今川の家臣が「鷲津砦」もせめおとしたことを知った義元は、テンション上がりまくりです。

やはり、レベルがちがう。こう思ってたかもしれません。

そのあと、いよいよ義元がひきいる本隊も尾張に入ります。
戦いは、今川軍にとって有利な方向にすすんでいました。


おもいがけないことを聞いたとき、聞きちがいと思ったり、聞いたことが信じられなかったりすることを、「耳をうたがう」といったりします。
大高城をまかされた元康。その日のうちに届いたしらせに、耳をうたがうことになるんです。


家臣「も、も、もも、もとますかま!! いぃ、いぃ、いまかまこもこもたまが! とけはまなみめ、このぶたばらにすたびらいざー!!!」
元康「最初から最後までわからん」
家臣「も、も、もも、元康さま!! いぃ、いぃ、今川義元さまが! 桶狭間(おけはざま)にて、織田信長にうたれました!!!」
元康「え? ………………うそだろ!!!!!?」


耳も目も頭も体も、今聞いたことを全力でうたがいます。

義元さまが殺された? 織田信長に? そんなバカな……今川の大軍団が、織田のような少数の軍ぜいに負けるはずがない……! 
そうだ、もしかするとこれは織田のワナかもしれない。大高城から自分をおい出すために、信長が流したウワサかも……。ウワサを信じて、ここからにげ出せば、オレが死んだあとの世の中でもバカにされるぞ。
しかし、義元さまがなくなったという話が本当ならば……。

あまりにも信じられない知らせに、いろんなことを考える元康。ですがこのとき、今川義元は、本当に織田信長にうたれていたんです。

元康だけじゃなく、日本じゅうの大名がビックリにつつまれたこの大ぎゃくてんげきを、

『桶狭間の戦い』

といいます。

(今川軍はぜんぶで2万人くらいいたかもしれませんが、義元の本隊の人数は5000くらいだったといわれています。だから、じっさいは、織田軍の2000〜3000と、5000の戦いだったことになりますね。2、3000と2万がちょくせつぶつかったわけじゃありません。
あと、この戦い、ぼくが子どものころは”奇襲(きしゅう。横や後ろから、とつぜんおそうやり方)"だったといわれてました。
でも、さいきんは「信長は"正面"からぶつかっていったんだよ!」といわれてたりするんですね。
さらに、今でも「桶狭間」という場所がどのあたりなのかハッキリしてません。すごく有名な『桶狭間の戦い』だけど、ナゾもいっぱいです。)


今川義元がうたれたことを信じきれなかった元康。
ですが、しばらくすると「義元死す」のニュースは、本当のことだとわかります。


元康「義元さまが、うたれた……」
家臣「元康さま、ひとまずここを出なければなりません!」
元康「そうだな……。たいきゃくのじゅんびだ!!」


義元は、今川軍をまとめる総大将。
その総大将が死んだとなれば、命令を出す人がいなくなるので、いったんはにげなきゃダメです。
今川の武将たちは駿河ににげますが、元康がにげこむべき場所は……。


そうです、いまこそ"岡崎"に帰るとき。


大高城を出た元康は、自分の国、三河にある岡崎をめざすんです。

しかし、岡崎城にはまだ今川の武将たちがいます。そこで、まずは近くにある大樹寺というお寺に入り、

元康「今川さんとこの人たち……もう…いなくなった……よな……。よしいこう!」

今川の武将がいなくなるのをみはからい、ついに岡崎城に入ります。


元康「みなのもの……。またせた」
松平家臣「元康さまが……殿がお帰りになられたぞぉぉーーー!!!」
松平家臣団「おおおおぉぉぉーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」


こうして元康は、尾張で2年、駿河で11年、じつに13年間もの人質生活をおえ、岡崎家臣団の真の主君(殿)として帰ってきたのでした。


つづく。



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