第二章 三河の王、家康 〜三河一向一揆〜

今川家をはなれ、信長と仲よくなった今、尾張からせめられることがなくなった元康。
となると、もうやることは1つです。


元康「今川のせい力をけちらせーーー!!」


三河にいる今川がわの武将たちと思いっきり戦って、


今川氏真「松平コノヤロー! うらぎりやがったなーーー!!」


三河国の統一にかかるんです(三河国をまとめるってことですね)。

というわけで元康は、三河にある今川のお城(牛久保城(うしくぼじょう))ってとこ)をこうげき。
これで、まわりのみんなは気づきます。


「あ、松平さん、今川にケンカうった…」。


さらに元康は、信長のお城「清洲城」というところをおとずれ(たかどうかはビミョーなんだけど)、

『清洲同盟(きよすどうめい)』

というものをむすんじゃう。
信長とガッツリ手をくむ元康を見たみんなは、さらに気づきます。


「あ、松平さん、完全に今川と戦う気なんだ…」。


こうして、

「オレらは、松平につくぞー!」
という”元康につく武将たち”



「オレらは、それでも今川に味方するぞー!」
という”今川につく武将たち”

が、大ゲンカにとつにゅう。
三河国のなかでバッチバチのあらそいがスタートしたのでした。


ケンカが始まりゃ、いろんなことがおきるもんです。
「え、うそ!?」みたいなことがね。

おどろきその1
今川に人質にとられたままだった元康のおくさんと子ども(築山殿と竹千代)が、

帰ってくるんです。

元康は、今川についている「鵜殿(うどの)」って武将をたおしたとき、その子どもたちをつかまえます。
で、第一章に出てきた太原雪斎みたいなことを言うんです。

元康「この子どもたちを返して欲しければ、そちらにいるうちのおくさんと子どもと、こうかんしようじゃないか!」
今川氏真「その子たちはオレの叔母(おば)の子ども。つまり、いとこだ。うぬぅー……しゃーねーなー!」

となり、築山殿と竹千代をかえしてもらいます(ひと安心)。


おどろきその2
元康、まーたまた名前かえちゃう。

元康の"元"という字は、今川義元からもらったものでしたよね。
元康は、今川とかんぜんに手をきる意味をこめて、この"元"の字をグジャグジャ! っとまるめて、ドシャーン! とすてちゃいます。
で、"家"という字をつかうことにした元・元康(ややこしい)。
そうです。ここでようやく『家康』を名乗ることになるんです。
これで『松平家康』。
だんだん『徳川家康』にちかづいてきましたね。


そして、最大のおどろき3は、

「1番てごわいのは今川じゃなかったんかい」

です。
家康を苦しめるてき、ほかにもいたんですよ……。


あるとき、三河のなかで戦いをくりかえす家康は、こんなことをつぶやきます。

「あっちゃー……戦うときのみんなのごはんが足りなくなってきたなー…」(つぶやいてないでしょうが)。

これは兵糧がひつようだぞってことで、目をつけたのが"お寺"。
岡崎にある上宮寺(じょうぐうじ)というお寺から、

家康家臣「わりぃけど、米かしてくれ」
おぼうさん「え、そんな急に言われても……イヤです(キッパリ)」
家康家臣「じゃ、もってくかんな(かってに運びだす)」
おぼうさん「ちょ聞いてます!? ちょっ…! え! あ! ええ!!?」


ムリヤリ食りょうを運びだしちまうんですね。
とうぜん、おぼうさんたちはブチギレ全開。

おぼうさん「やってくれたな家康よ!! こうなったら、われらが浄土真宗の力を思いしらせてやる!!」

こうして、
"あの『一向一揆(いっこういっき)』"
がまきおこってしまったんです。



…………どの?


“あの『一向一揆』”とかいわれても、”どの”? ですよね。
ということで、いまから『一向一揆』についてパパッとお話ししましょう。

みなさんは、「仏教(ぶっきょう)」って聞いたことありますよね。
お寺、おぼうさん、おきょう……仏さまを信じ、おいのりをささげる大きなグループを「仏教」といいます。

さらに「仏教」の中でも細かくグループわけがされていて、家康がお米をとっていった上宮寺というお寺は
「浄土真宗(じょうどしんしゅう)」
というグループ。
で、戦国時代には
『一向宗(いっこうしゅう)』
とよばれていたんです。

ここまではオッケーでしょうか(オッケーじゃなくても、なんとなく読みすすめてみて)。
では、『一向宗』という単語をあたまのかたすみに残しつつ……つづいては『一揆(いっき)』の話。

このことばを聞くと、
「『年貢(ねんぐ)を下げろー!』のやつでしょ?」
という人が多いんですが、それは『一揆』のなかの1つのパターン。
ざっくり言うと

「〇〇って目的をいっしょに達成させようぜ!」

ということや、その集だんのことを『一揆』とよぶんです。
目的をたっせいさせるためには、ぶきを手にとり、ガチで戦うこともしょっちゅうで、

「みんなで立ちあがろう! オレたちをおさえつける大きな力に、ていこうしようぜ!」

というのが、一揆なんです。

ここまでくればもうおわかりですね。『一向一揆』とは、

「一向宗のみなさんによる、ていこう運動」

のこと。
そして今回、三河でおこった一向一揆は、

「家康ーー!! テメーがふざけたことやるなら、一向宗みんなで戦ってやらぁ!!」

というものだったんです。


では、あらためて……。


おぼうさん「やってくれたな家康よ!! こうなったら、われらが浄土真宗(一向宗)の力を思い知らせてやる!!」

こうして、”あの『一向一揆』”がまきおこってしまったんです(くりかえしてみました)。

一向宗の信者には農民も武士もいます。もちろんおぼうさんもいるから、人がたくさん。
それに、”なにかを信じる心”をもって、”目的のために力をあわせた人間"は、とんでもないパワーをはっきするんですね。

1488年の加賀国(かがのくに。石川県南部)では、なんと一向一揆が大名をたおし、そこから”おぼうさん”がしはいする国になっていたくらいですから(おぼうさんの国は、約100年つづきます)。

さらにです。

一向一揆だけでもゲキヤバなのに、そのいきおいにのって、

家康キライ武将「いまだーーー!! 家康をボッコボコにしろーーー!!!」

敵対していた武将たちが元気になり、一向一揆とともに家康を追いつめてきます。

さらにさらにです。

一向宗のなかには武士もいるといいましたが、まさかの、

家康家臣「家康さまは大切だけど……仏さまの教えにそむくことなんてできない!」

と、家康の家臣のなかにも一向一揆に参加してるヤツがいたんです。

一向宗信者「なーまーんだーぶー…なーまーんだーぶー…」
家康家臣「こいつら、おきょうをとなえながらむかってくる! 死ぬのがこわくないのか!」
蜂屋半之丞「なーまーんだーぶー…なーまーんだーぶー…」
家康家臣「きさまは蜂屋! おまえ、家康さまをうらぎり一向宗についたのか!」
蜂屋半之丞「なーまーんだーぶー…なーまーんだーぶー…」
家康家臣「なんか答えろコノヤロー!」
家康「蜂屋!!」
蜂屋半之丞「(ビクッ!)と、殿……!(逃げだす蜂屋)」
家康家臣「逃げるのか蜂屋! きたねーぞ!」
蜂屋半之丞「うるせー! 殿と戦うなんてできるわけねーだろ! おまえらから逃げるわけじゃねーよ!」
家康「蜂屋ー!! もどってきてオレと戦え!!」
蜂屋半之丞「だからそれだけはできませんて!!」

蜂屋半之丞(はちやはんのじょう)という家臣は、家康にだけはヤリをむけられないと、その場から逃げだしたそう。
一向一揆に加わったのは蜂屋のほかに、

本多正信(ほんだまさのぶ)、
夏目吉信(なつめまさのぶ)、
渡辺守綱(わたなべもりつな)

などの家臣たちもいましたが、家康をとるか一向宗をとるか、まよいにまよったあげくの選たくだったんですね。

家康が人質のときも、岡崎に帰ったあとも、あれだけ一つになってた家臣たち。
それを引きさくほど、一向一揆のえいきょう力はすごかったわけです。

おそるべし、一向一揆。

ただでさえヤベー出来事に、頭をかかえる問題がかさなってサイアクなじょうたいになってる。
ふつうでもおいしいラーメンに、とろけるチャーシューと味のしみこんだにたまごがトッピングされて、最高のいっぱいができあがった感じ(まぎゃくのたとえでごめんなさい)。
家康がこれまで生きてきたなかで最大のピンチです。

ただ、それでも家康は戦いました。
一向一揆に負けてしまえば、三河国の統一はかないません。
戦って戦って戦って……。この争いが半年間つづいたころ、気づけば家康軍のいきおいのほうが、強くなってたんですね。

すると、一向一揆との間に和ぼく(仲なおり)の話がもちあがったんです。


一向一揆家臣「やっと和ぼくかー。わたしは一向一揆に加わり、家康さまをうらぎった。しかし、一向宗と家康さまが仲なおりした今は、もう一度家康さまのもとにもどりたいと思っている。だが、そんなことを殿がゆるしてくれるはずはない……。ちなみにいま、ひとりごとを言っています」
家康「もどってこい」
一向一揆家臣「え……?(ふりかえり)と、殿!! ま、まさか殿がうしろにおられるとは! そうとは知らず、わたしときたらひとりごとをブツクサ………い、いまなんと?」
家康「もどってこい。お前たちのことをゆるす。そう言ったのだ」
一向一揆家臣「……い、い、家康さまーーーーーーー!!!!」
おぼうさん「(パチパチパチパチ)いやー、よかったよかった。これですべて、まるくおさまりましたな」
家康「あ、君たちは改宗してね」
おぼうさん「か、改宗…? それは、浄土真宗(一向宗)からほかの宗派(グループ)にかわる……そういうことですか?」
家康「そうだよ」
おぼうさん「ふ、ふざけんな!! ずっと浄土真宗の教えを守り、信じてやってきたんだ! 改宗なんてできるわけないだろー!!」
家康「りょーかい。じゃ、寺ぶっこわすわ」

寺、ぶっこわしました。

仲なおりしたとたん、寺、ぶっこわしです(会話はかってに作ったものだよ)。

一向一揆に参加した家臣がもどってくることは、ぜーんぜんゆるすし、なんのバツもあたえなかった家康。
なんて広い心の持ち主なんでしょう……
と思ったら、一向宗にはオニ康(オニの家康)。

改宗をことわったら、本宗寺(ほんしゅうじ)というお寺と、
三か寺
(上宮寺(じょうぐうじ)、勝鬘寺(しょうまんじ)、本證寺(ほんしょうじ))
とよばれるお寺をこわし、おぼうさんたちも追いだすというきびしさを見せたのでした。

というわけで、家康の三大危機(さんだいきき。ピンチ)といわれる『三河一向一揆』は、こうしてまくをとじたんです。


"三大危機"ってことは……


そう、家康の人生には、大きなピンチがあと"2つ"のこってます。



つづく。



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