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“失われた30年”は          失われる100年”の序章に過ぎない

 日経平均株価が史上最高値を更新しました。株式市場は久しぶりに活況を呈し始め、急激な円安を含め、日本経済にとって明るい空気が醸し出されています。熊本県に建設された台湾の半導体メーカーTSMCに対する期待感も高まり、日本は再生するという希望を抱かせるような空気感がしばらくは続くかも知れません。しっかりとリスク管理をしたうえで、この上昇気運に乗ってみるのも良いかもしれません。
 ただ私はこの雰囲気を歓迎しながらも、一方で、これが将来に対する過剰な楽観論を生み出して、現実を覆い隠してしまう危惧を抱かざるを得ませんでした。・・・危機の構造は変わっていないのです。アメリカもヨーロッパも経済の危機を本質的には何も解決していません。日本を振り返っても、増え続ける財政赤字、円安、上げられない金利、少子高齢化、社会保障費の肥大化、エネルギー問題、そして何よりも深刻なのは、数年前から始まった「人口減少社会」が、着実に規模を拡大し、スピードを速めながら、日本の社会を大きく蝕んで行こうとしているのです。
「人口減少社会」は将来的に国内市場のパイを大きく収縮させ、深刻な労働力不足を生み出し、都市を疲弊させ、農村部を壊滅させる可能性があります。また、経済的な影響に留まらず、私達の生活のあらゆるシーンを一変させるような社会の大きな変化をもたらします。
 これまで日本社会は、「失われた30年」と言われてきましたが、この30年間人口は大きくは減っていません。子供が少なくなり高齢者が増えていますから、売れる物は変わっていますが、これは人口構成の変化が原因であり、市場の縮小ではありません、物が売れなかったのはむしろ他の要因によるものです。経済のグローバル化が進む中で不景気が長びき、所得が増えなかったのが、その大きな原因ではないでしょうか。
しかしこれからの100年は全く異なります。マーケットそのものがどんどん縮小してしまうのです。従来の経済にもたらす様々な要因にプラスして「人口大幅減」という新しい要因が加わってくるのです。2012年時点の経団連の21世紀政策研究所の報告書「グローバルJAPAN」によれば、日本のGDPは2030年以降マイナス成長が右肩下がりが続く「縮小社会」となることが示されていました。その後、超金融緩和策、コロナ禍、ウクライナ、パレスチナ問題、インバウンド需要の拡大など大きな変化に晒されましたが日本が抱える危機の本質は変わらず、何もよい方向には改善していないのではないでしょうか。いやむしろ少子化のスピードは予想を上回るものとなっています。

私達はこれまでの100年間「特別な時代」を生きて来ました。
そして、これからの100年間、もう1つの「特別な時代」を生きていかねばならない

国立社会保障人口問題研究所データより

日本人の誰も経験したことのない長い「人口オ―ナス期」が続く

 今までの100年とこれからの100年を視覚的に見れる上のグラフを見てください。どのように思われますか?
 グラフは、日本の人口がピークだった2010年頃を境にそれまでの100年間は、日本で生まれ生活している人達が、0歳児から100歳に至るまで、ある意味で特別な時代を生きてきたことを見て取ることができます。それは、それ以前の日本とはまったく違う、またこれからの日本とはまったく違う、「特別な100年」でした。それは日本の歴史上経験したことのないような、人口がどんどん増え続け、市場の拡大と共に経済が発展していき、世の中が便利になってどんどん生活が向上していく右肩上がりの社会でした。まさに「人口ボーナス」と言えるものです。その中で生きてきた私達は多少の景気変動は経験したとしても、未来は必ず豊かで明るいものであることを信じて疑わなかったのです。
 もう一つこのグラフで人口ピーク以後の、これからの100年を読み取ってください。その多くはまだ私達が体験していない「未来」ではありますが、畏怖と不安を呼び起こすような未来が見えてきます。ただ指をくわえて見ているだけでは、人口オ―ナス期の100年は今まで日本が積み上げてきたものをすべて失うことを意味します。失われた30年は失われた100年に伸びてしまうのです。
上のグラフを見ただけで、これまでの100年とこれからの100年はまったく違う時代だということが理解いただけたと思いますが、そうなると、これまでの100年のシステムや発想が、これからの100年においては通用しないであろうことが予想がつくと思います。

安倍首相「高齢化は重荷ではなくボーナス」

 ここまで書くと、人口減少社会を悲観的にとらえ過ぎる「人口減少ペシミズム」だという批判もあると思います。そこで悲観論、楽観論、公平を期すためにも楽観論を取り上げて見ましょう。
楽観論のポイントは、
➊少子化対策などで人口を1億人程度で安定化させることを前提にして
➋ロボット、AIなど日本が誇る高い技術力で生産性を上げ労働力不足を補う
➌グローバル競争が進み、品質や特徴的な価値が見直され、日本の良さが再認識されつつある強みを生かす
➍女性や高齢者の就業を促進するとともに、外国人・移民労働者を活用することで労働力人口の減少をある程度相殺することをめざす
➎海外からの資本流入を確保し資本ストックの蓄積を確保する
➏労働力の減少が労働節約的な生産方法や技術進歩を促す
➐少子化の進行が一人当たり教育投資の増加を通じ、人的資本の質を高める
などによって成長を維持できるということですが、要は「外国人労働者の受け入れ」と「技術革新」の2本柱と言う事ができます。
この楽観論をよく表している安倍元首相の発言を見てください。

安倍首相「高齢化は重荷ではなくボーナス」(2016年9月22日;日テレニュース)
『アメリカ・ニューヨークを訪問している安倍首相は日本時間21日夜、金融関係者らを前に講演し、日本の高齢化や人口減少について、「重荷ではなくボーナスだ」などと強調した。
 安倍首相「日本は高齢化しているかもしれません。人口が減少しているかもしれません。しかし、この現状が我々に改革のインセンティブを与えます。日本の人口動態は、逆説的ですが、重荷ではなくボーナスなのです」
 また、安倍首相は「日本はこの3年で生産年齢人口が300万人減少したが、名目GDPは成長した」として、「日本の人口動態にまったく懸念を持っていない」と強調した。また、「日本の開放性を推進する」として、「一定の条件を満たせば世界最速級のスピードで永住権を獲得できる国になる。乞うご期待です」とアピールした。』

「外国人労働者の受け入れ」と「技術革新」頼りで「人口オ―ナス」を乗り切ろうとしていることががよくわかるスピーチです。しかし移民に反対する保守層を基盤とする安倍さんが数千万人単位の外国人労働者の受け入れをどのように実行しようと考えていたのかは、今となっては誰にもわかりません。
しかしどちらにしても、この極端な人口減少は日本社会にとってオーナスであることは否定できませんし、逆に楽観論は問題点を包み隠し、対策を遅らせることになるのではないでしょうか。

失われる100年を高齢者はどう生きるか

 これからの100年を生きる高齢者【ここで言う高齢者とはもちろん現在の高齢者と言うよりは、これから高齢者になる予備軍を指します】は今までの高齢者とは違う生き方を迫られます。最大の変化は「リタイア」ではなく「働くことが常態」になることです。
どこで働くか?何をして働くか?を若い時から計画していくことが必要になるでしょう。そしてそれを可能にする基盤になる「健康」と「お金」について早くから考えて実践していくべきでしょう。
 よくイノベーションを生み出すのは「若者」「よそ者」「バカ者」と言われますが、これからの乱世の時代を変えるには従来の発想にとらわれにくいこれらの人達が生き残れるという意味で使われています。
 発想の転換が必要な社会となると、高齢者は今後厳しい時代を生きて行かなければなりません。
彼らは「若者」と違い、それまでの人生の経験と考えが染み付いてしまっています。「よそ者(外国人)」のように初めて見・体験する文化・慣習に対する疑問も沸き起こってきません。人生の途中から「バカ者」になって常識の壁を壊すことはできないでしょう、発想の転換はよほど意識的に能動的に取り組んでも簡単にできるものではありません。
 国は高齢者雇用の促進をうたい、生涯現役社会の実現をうたっています。
しかしただ漫然と「雇用延長」を続けることも難しくなります。
定年で同じ会社に残るのではなく、会社や仕事を変われば「よそ者」になれます。違う文化の中では高齢者もイノベーションを生み出すかも知れません。逆に時代がダイナミックに動いている時に過去の成功体験を引きずり、旧来の仕事、ポストにしがみ付く事は、新しい発想でこれに対応しようとする若い人の仕事の妨げになり、イノベーションの芽を摘むことになるかも知れません。人生後半部分の設計を練直すことが求められています。

人口問題はまだ先の未来のことのように思えますが、未来のようで実は現在の問題なのです、未来の人口は今、毎年決まっていってるのです。

 

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