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{コミュニケーション}もしそばにいる大切なヒトが、心の病気だったら。仙華の体験談1

365日投稿no8 今日から私の体験談。あの日あの時をフラッシュバックしながら、描いていきますので。ランダムになったり、まとまりなかったらご容赦下さい。何かのきっかけにしていただければ、そんな気持ちで綴ります。

ある日おそらく様子がおかしい・・・そんなことから始まることもあれば、まったく予想できなっかった・・・そんなこともあるかもしれない。本人も、そばにいる方も。きっとその状況は100人いたら100のパターンがある。つまりは、たった数十分の診察と処方されるお薬で、劇的に変わるという事は皆無に近いと、そう経過して経験して理解している仙華がいます。離婚後に、更なる学びを様々継続して、なぜ?ひとが病気になるのか?なぜ?治らないのか?何がたりていないのか?治りたいと話す言葉の奥にある潜在意識は?を中心にサポートしていますが、その頃は、渦中にいすぎて必死過ぎで見えていなかったこともたくさんあったのです。

そばにいて、自分は同調して患うことはなかったですが、統計的にご一緒に過ごす時間が長ければ長いほど同調することが多いそうです。(人の波動に関連しているかもしれません。)

仙華が当時、『どう思って対応し、何を感じていたか』を今日はお話します。

まず自分が慌てます。我が家はまず、相方は鬱になっていました。記憶は曖昧ですが、長男が幼稚園の時だったかと思います。下の子は生まれてましたね。明らかに様子がおかしい。他の経済トラブルの最中ですので、超絶不安だった思い出がwww。まだ、自然療法の知識や食育知識の浅かった当時の私は、病院に行ってほしいと話した記憶があります。本人も仕事を継続できない状況。診断書を手に帰宅し、そこから半年でなぜ次の仕事を始められたのか?いまでしたら説明ができます。(心と行動と病気については、鑑定・相談の中でお話しています。)何よりも自分の心情は荒れていたはずですが、子供たちにも両親にも話していなかったので、おそらくなんとか自分がしなければ!自分はしっかりしないと!と勇気づけていた記憶があります。そして、相方は転職しいつもに戻っていった時期。

ある日、また変化が訪れます。状況としては悪化した状況にあたりますが、双極性障害に。一度、一緒に心療内科を受診。この一度目を作るのに、難儀しました。双極性障害を相手も自分も一般的な情報レベルでしか理解できていない。でも、改善していきたい。相手は兎も角、自分はなんとかしてあげたい、なんとか変えてあげられることはないだろうか・・・と必死だったですね。ダブルワークしながら、子育てをし、改善策も探す、寄り添いながら社会復帰に向けての日常がスタートしていきました。子供が3人になったのか?それよりも大きな何かを抱えているような、当時そんな心境でした。

 お昼休みに、ラインを確認。不満と暴言と探さないでくださいの文字に、一気に青ざめたことも。状況を説明し、早退をさせてもらい、探す当てもないまま探し回った記憶があります。この世からいなくならないことだけを祈って数日不在が続き、診察日になっても帰宅はなく、継続して時折来る責められる文字を見ながらも糸口を探すことに専念していたかと思います。

 一人で診察ではなく状況説明に伺った病院の女医さんから、(同じ働く女性であり、妻であり、母であるかたでもありお医者様のベールを外してお話下さる方でした。)、『あなた自身がこわれてしまうことが一番問題ですので、お子さんもいる、治るかどうかよりも、ご自身を大切にしてくださいね。もし話し合いが必要でしたらサポートしますから。』と。そのころ、まだ私にはきっとできることがあるはず、まだやれていないこともたくさんある。そんな気持ちと共に果敢に戦っていたんですね。今を思うと。その頃は離婚しようとは全く思っていませんでした。

 最初のころ、必死だった自分は、相方を変えようと、相方に変わってもらおうと、あらゆる手を尽くしていました。恐らく、こうしたほうがいいとか、こんなことも一緒にしてみたらどうだろうか?とか、傷つけないようにもしていたかと、腫物にさわるように。この相手に治ってもらいたい私の意識は、相方をイライラさせるばかりか、どんどん心も離れていきました。一緒に居る空間も、まるでそばにいません!と意思表示されているような感覚さえ持つくらいに。仙華自身、何が悪循環を作っているのかに悩みました。恐らく数年かかったかとwww。

 では、相手を変えてあげることは、難しいのであれば、自分の在り方が変われば、何か変化するのでは?大事に思う人だからこそだったんですよね。自分が変わることで、少しでも何か心の化学反応が起きればいい。根拠はないので、実践です。トライ&エラー。(そのころの自分にはこれしかなかったwww。今は四柱推命や五行、病気の在り方から、根拠と行動が見えているので。全て経験です。)

 そこから、自分の改革が始まります。やってきたことが、『自分がかわること』でした。きっと、もしかしたら、我が家の場合は、浴びせられる言葉のなかから、自分の中にもその原因になりうるものがあるのかもしれないという仙華の行動への判断でした。自分磨きや自分探し、できないことを相手にゆだねないで、まず自分で出来るようにする。相手の負担になりうることを、減らしてみる。などなど。そのなかでも、少しでも寄り添えないか、笑顔を増やせないか工夫してみていたはずです。状況を把握し、対応し、もちろん時は止まってはくれません。子供たちは成長し、離婚後状況を聞く友人たちは、まったくわからなかったよ・・・と。もちろん、子供たちにさえ、わからないようにサポートしていたのです。ネガティブ要素は、子供たちが小さいうちは出来るだけないほうがいいという私個人の理論です。(状況を感情ではなく、理解できる段階というのがあります。) 夫婦としての形は、それぞれだと思いますが、わたしのイメージしていた話し合う・高めあう・喜びを増やすからは、ほど遠い時間の経過でしたね。

 一緒に楽しむにも、相手の様子を見ながら、周りの配慮もしながらでしたからwww.。当時の写真の中にいるわたしは、笑顔でいたわけがありませんよね。

では、また続きを後ほど。

今日もきっといい日になる。最後まで読んでくださってありがとうございます。by仙華

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