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【腹は、据えとく】

鍼灸師で易占家の仙亀です。

昨日はお仕事をお休みして、路線バスに乗って目的の用事を済ませてきました。

帰路、やっぱり路線バスに乗り合わせました。
そんな路線バスに乗ってみたところで、久しぶりにけんかの仲裁をさせていただきました。

男性二人。
喧嘩の原因は、どうやら整列乗車をしていないとか、いやちゃんと並んでいたとか。


人には自分の正義というやつがあるみたい。
そんな正義というやつは、偏った価値観とも言いなおすことができるかもしれません。

たとえば、戦争でどっちの国が悪いかって、明確なこともあるかもしれないけど、利権や正義を振りかざしてお互い向き合っているわけだから、どちらにも言い分がある。

今回出くわした喧嘩の仲裁。

たまたま僕の目の前で始まっちゃったので、仲裁に入ったのですが、どちらかの良い悪いに寄り添ったら、仲裁にならない。

結論。
順番はどうあれ、みんなちゃんと席につけて良かったじゃない、という落としどころへ導いてみました。


確かに順番を守らない人がいたら、みんなで非難の目を向けるのでしょう。
でも、一見並んで見えていなくても、ご本人は並んでいるつもりだったとか。

こうした認識の違いでどちらも自分の正義を貫き通そうと、口論になるんだったら、まずは悪意を持って解釈しないっていうアイディアをもって、言い分というやつに耳を傾けるってことができたらいいのかもね。

頭ごなしに正義を突き付ければ、突き付けられた方も、正義という刃を持ち出して歯向かおうとする。


こんな状況、街中や繁華街を歩いていると、とかく頻繁に遭遇します。

もちろん万人共通の正義っていうやつもあるのでしょうが、あまり先入観に執着して視野が狭くなるばかりだと、ただただ不機嫌しか生まれない。

様々な言い分を突き付けられても、どれどれとシッカリ腹を据えて聞いてみるくらいの度量を備えておくことで、怒りや不機嫌の感情に振り回されることなく、自分だけは機嫌よく居座れることができる。


今回の喧嘩の仲裁では、場の緊張感を解きほぐすために、終始和やかな言葉と態度で仲裁させていただきました。

緊迫感のある怒りの感情のぶつかり合いの中、突然朗らかな感情が居合わせると、ぶつかり合う怒りに混乱が生じて、怒っていられなくなる。

相手を言いくるめてやろうという自分の願望にとらわれている人たちに、別な価値観や新しい視点を提供することで、感情面だけじゃなくロジカルに納得することもできる。


そのためには、状況をフラットに眺められる腹を据える胆力というやつが備わっていることが必要。

なんだか今回の一件、窮屈になっている今年の世間の情勢の中で、自分試しをさせていただいたような気がします。

何でも狭い見識や自分のちっちゃい価値観にとらわれることなく、中立な観察者としての立ち位置を、自然と見つけられるような過ごし方をしていけたらなぁと、思いましたとさ。

最後までお読みいただきありがとうございます。


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