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高校教育の再創造に挑戦するファーストペンギンであれ。求む!「本気で挑戦し自ら道を拓く人の母校」を一緒につくる教育者

札幌の中心街、地下鉄「さっぽろ」駅から電車に揺られること15分。自衛隊前駅で下車し、徒歩10分の少し坂を登ったところに札幌新陽高校はあります。

最初に目に飛び込んできたのは力強く書かれた「本気で挑戦する人の母校」という同校のスローガン。この言葉の通り、同校には生徒も教員も前のめりになって挑戦する文化が根付いているとか。

教育界のファーストペンギンとして、本気で高校教育の再創造に取り組む同校では現在、一緒に働く仲間を募集しています。どんな学校なのか、どんな人と一緒に働きたいのか、同校に勤めて15年目を迎える教務部長の高橋励起さんに聞きました。

生徒は変わらない。変わったのは教員のマインド

高橋さんは、小さい頃から家族でパラグアイやカナダ、オーストラリアなど多数の海外移住経験を持つ。大学院で農学の博士号を取得後、札幌新陽高校に国語科教諭として入職。今年、入職15年目を迎える。高橋さんは、同校のどんなところに働く魅力を感じているのだろうか。

「やりたいってことに対して、背中を押してくれるところは昔から変わらない本校の良さだと思います。僕は山登りが好きなんですけど、ヒマラヤに登ってきますと当時の校長先生に伝えたときも、 “行っといで”と快く送り出してくれました。普通の学校だったら “えっ?”ってなるのかもしれませんが、そういう自由さがあります」

在職中に2度のヒマラヤ登頂に挑戦したという高橋さん。同校の個人の挑戦を後押しする文化やコミュニケーションが活発でアットホームな雰囲気は、高橋さんが入職した2008年当時から変わらないそうだ。では、生徒の様子はどうだろうか。

「当時、チャイムが鳴って教室に行っても、半分くらい生徒が座ってない教室もありました(笑)。偏差値教育で自信を失った劣等感の強い生徒たちが多く、それを先生たちが守ろうとして、 生徒を抑制している部分もあったと思います。一方で、生徒自体はあまり変わってないんじゃないかなと思います。素直で純粋で、ポテンシャルの高い生徒ばかりです。ただ、そのポテンシャルがネガティブに引き出されることよりも、ポジティブに引き出されることの方が多くなってきたような気がします」

お話を聞いた教務部長の高橋励起さん

同校は、数年前に存続が危ぶまれる経営状態を経験している。そのような状況を打破したのが「開く」学校づくりだった。2016年2月に民間出身の荒井優さんが校長に就任し、外部の大人がどんどん学校に入ってくるようになったこともあり、教員のマインドも変化していったという。

「最初は外部の方が来るから、生徒指導をしなきゃとか、綺麗に見せなきゃという変な色眼鏡がかかってたんですけど、外部の方がどんどんいらっしゃるので、生徒が勝手にコミュニケーション取り始めちゃったりして(笑)。必然的に先生たちの色眼鏡が通用しなくなっちゃったんですよね。こんなに開いてる学校、なかなかないんじゃないかと思います。社会に開いてるのも本校の特徴だと思いますね」

「生徒がやりたいことをやる」動きが顕著に

荒井優さんの校長就任により、定期テストの廃止や探究コースの設立など、学校改革が進んだ同校。さらに2021年には民間出身の赤司展子さんが校長に就任し、その進化は加速している。現場の教員として、高橋さんはどんな変化やおもしろさを感じているのだろうか。

「本校は今、若い先生たちがすごく多いんですよ。そして若い先生たちが考えていることから、新しいものがどんどん生み出されているところが、すごくおもしろいなと思います。例えば、TikTokは象徴的な取り組みですよね。フォロワーが7.5万人くらいます」

登録者数が7万人を超える同校の公式TikTokは、生徒と教員が協力して作り上げている。もともとは生徒募集の定員割れを危惧した広報施策として始まった取り組みだが、生徒のみならず教員も全面に登場することで、学校の楽しそうな雰囲気が伝わってくる。大人目線で作られたものではなく、TikTokユーザーと同世代の在校生が企画しているからこそ、伝わるものがあるのだろう。

「今までも、学校や先生主導で何かが生みだされる瞬間はたくさんあったと思うんですけど、今は本当にもう、生徒が中心です。 生徒がやりたいことをやるという動きが顕著に見えてきていて、最近の象徴的な取り組みが今井くんが作った映画じゃないですかね」

そう言って高橋さんが紹介してくれたのは、同校3年生の今井柊斗さんが自主制作した映画「叫びたいくらい青色の、」だ。NPO法人映画甲子園が主催する全国の高校生の自主制作映画コンクールeiga worldcup 2022にも出品され3部門で最優秀賞を受賞している。

同校では、学年も部活も関係のない生徒が集まり、プロジェクトを立ち上げて動き出すことも少なくない。これまでは教員主導でプロジェクトが始まることが多かったそうだが、ここ数年で変化しているという。その結果、高橋さんを悩ませているのは社会側の高校生に対する見方だ。

「高校生がやるプロジェクトは、僕はもう高校生だけでできると思って任せています。でも、外部の方からすると、まずは先生から連絡がほしいと言われることもあって。それは高校生を子ども扱いしてることにもなるなと思うんですよね。社会がまだその高校生を大人として認めてないというか。もちろんそうなんですけど、生徒の可能性を信じてもらえたらなと思っています」

今では学校のパンフレットにも生徒が撮影した写真が使用されている。学校の制作物=先生が作るという意識でいたら、生徒にお願いするという発想はなかっただろう。当たり前のように生徒と教員が協働する土壌は、同校の魅力であり大きな特徴だと感じた。

スノーピークエリアのある職員室

同校には現在、約60名の教員が在籍している。フリーアドレスの職員室には、デスクが並ぶエリアに加えて、アウトドアブランドSnowPeakのギアが並ぶ「スノピエリア」と呼ばれる空間もあり、一般的に想像される職員室と一味違う。この職員室は、同校の象徴的な部分だろう。

取材は職員室のスノーピークエリアで行った

「私ともう1人の先生で、スノーピークさんの新潟本社に伺いました。そこで本校の職員室にスノーピークのギアを入れたいんですとプレゼンしたところ、快諾いただいて。椅子やテーブルを決めていきました」

スノーピークと同校は、創立年度が同じというご縁もあり、山井太社長が来校されたこともあるそうだ。

「実は、本校の生徒の中にスノーピークのキャンプ場に家族で小さい頃から通っている子がいたんですよ。その生徒のことを山井さんがご存知で、本校に講演に来てくださったときに、その生徒に“進路どうするんだ”と声をかけられていました。そしたらその生徒が、“僕スノーピークに入りたいです”と答えて。その返答に山井さんは“分かった。じゃあせめて大学は卒業してほしい”とアドバイスをされたんですが、それがきっかけでその生徒のやる気スイッチが入りました」

リーダーシップに長けていたものの、勉強嫌いだったその生徒は、同校を卒業後、短大に進学。短大で自治会長を務めるなど活躍したそうだ。そして、四年制大学に編入し、現在はスノーピークの本社で働いているというんだから夢がある。そんな奇跡が、社会に開いている同校の中ではたくさん起こっている。

2030年を見据えて、前のめりに変化していく学校

教育界のファーストペンギンとして、本気で高校教育の再創造に取り組む同校では現在、一緒に働く仲間を募集している。高橋さんに、どんな人と働きたいのか聞いてみた。

「まず、うちは常に前のめりに進んでる学校なので、そこの変化に対してちゃんと理解してくれる先生というか、一緒に前のめりになってくれる先生に来てほしいなって思いますね。前のめり方は色々あると思うんですよ。ちょっと慎重に考えながら進んでいってもいいし、僕みたいにもうとにかく突っ込んでいく形でもいいですし。方法は色々あると思うんです。ただ、本校はファーストペンギンで、高校教育を再創造するというミッションが根幹にあるので、その部分をちゃんと理解して行動を起こしてくれる先生がいいなと思います」

同校の『本気で挑戦し自ら道を拓く人の母校。常に新たな改革に取り組み、高校教育を再創造する。』というスクールミッション。このミッションを土台に、2030年に向けて「人物多様性」をビジョンに掲げている。

「教員それぞれに自分の経験則や教育論がありますよね。そうすると先生たちって、個人商店みたいになっちゃうんで、それを1つにまとめるものは、やはりビジョンやポリシーなのかなと思います」

本気でビジョンの実現を目指しているからこそ、つねに挑戦し、変化していく。ビジョンを羅針盤にしながら、確実に歩みを進めている同校。「本気で挑戦し自ら道を拓く人の母校」という言葉は、生徒だけでなく、教員にとっても向けられている言葉だと感じた。

ほんとうの生きるチカラを、生徒にも教員にも

同校の採用ページを開くと、「至難の旅。わずかな報酬。極寒。挑戦の日々。絶えざる探究。安定の保証はない。成功の暁にはかけがえのない経験と同志を得る。」という気になるコピーが並んでいる。

このコピーは、アーネスト・シャクルトンという探検家が1914年にロンドンタイムスに出した、「南極探検乗組員募集」の求人広告を同校がオマージュしたものだ。ここまで赤裸々に表現して本当に応募が来るのかという懸念はあったそうだが、逆に、こういう覚悟を持った人に来てもらいたいと高橋さんは語る。

札幌新陽高校の採用ページ

「僕はずっと、泥船に乗ってると思ってるんですよ。鉄骨で作った船じゃないし、木でしっかり作られた船でもない。本当に泥の船に乗り続けてると思ってます。だから、いつ沈没しても仕方ないという思いもあるのですが、泥船だからこそサバイバルというか、生きる力はつきますよね。なんとしてでも、次の岸にたどり着くぞみたいな。

多分しっかりした鉄骨の豪華客船に乗ってたら、 何にも考えなくても、次の目的地までたどり着くと思うんですよ。それって教育の現場でも同じだと思っていて、 何も考えなくても、次の目的地にたどり着く。それを毎年ただ繰り返すっていうのが、今までの教育の中で培われてきたものであるとすれば、全く意味がないもので。逆に僕は泥船だからこそ、ここをなんとかしないと前に進まないぞと、常に考えてこられたのかなって思ってます」

なんとかしないといけない、という状況があるからこそ、教員同士の関係性がフラットになり、一緒になって考える力がつく。

「コロナ禍になって、今まで人々があると思っていた“安心・安全”は幻だったなと実感したんです。学校もそうで、学校に来れば安心・安全なわけでもなく、社会に出てもそんな場所はないですよね。だからこそ、学校も本当の意味での生きる力を育む方にシフトしていけたらなと思っています」

最後に高橋さんに気になっていることを聞いてみた。生徒も教員もさまざまな経験ができる開かれた学校だからこそ、先生たちの視野も広くなり、他の学校や教育以外の職種に挑戦する動きも出てくるのではないかと思ったのだ。雇用の流動性について、最後に高橋さんの考えを聞いてみた。

「全然ありだと思いますね。僕もそれこそ、おもしろいところが見つかったらそっちに行くかもしれないですし。でも、それが人生の楽しみ方ですよね。僕の中では、一度新陽の先生を経験した人たちは、離れたとしても新陽の先生だなって、思ってます。別に働く場所が変わったとしても、一緒にやっていく仲間だという風に思ってるので、特に若い先生たちにはね、チャレンジしてほしいなって思ってます。でも、やめろっていうわけじゃないですからね(笑)」

▼札幌新陽高校の雰囲気を動画で見たい方はこちらから
https://www.youtube.com/watch?v=9GCxfW2Eazo&t=295s

取材・文:三原 菜央 | 写真:芝田 陽介