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春になったら苺を摘みに

SENSE OF WONDER4月のカートの準備で、春らしくて明るい気持ちになるような小説を探していたところ、ふと自分の本棚で目に留まった1冊。

『春になったら苺を摘みに』 梨木香歩/著

かれこれ10年以上私の本棚に居ながらにして、10年以上開かれることなくそこに在り続けたこのエッセイ。久々に手に取って、パラパラとめくりながら、『あ、これは`今`紹介しなきゃいけない本だ』と強く思った。
本当は、4月のカートに入れたかったのだけど、諸般の事情から仕入れが難しいので、ここで紹介したい。


もともと梨木香歩さんは、とりわけ好きな作家だ。
世の中の不思議とリアルの境界線があいまいで、そこを心地よく行き交うようなストーリーが魅力的だし、その世界に浸る感覚はまさにSENSE OF WONDER。同志社大学を卒業されていて、京都に所縁のある物語が多いことも親近感がわく理由かもしれない。古き良き日本が舞台の小説も、留学されていた英国を思わせるような小説もあり、どれも好きな作品なのだが、今回紹介する『春になったら苺を摘みに』はエッセイだ。ただ、読後はひとつの小説を読み切ったような感覚になるからとても不思議な気持ちになる。

あらすじにはこう書かれている

「理解はできないが、受け容れる」それがウェスト夫人の生き方だった。「私」が学生時代を過ごした英国の下宿には、女主人ウェスト夫人と、さまざまな人種や考え方の住人たちが暮らしていた。ウェスト夫人の強靱な博愛精神と、時代に左右されない生き方に触れて、「私」は日常を深く生き抜くということを、さらに自分に問い続ける――物語の生れる場所からの、著者初めてのエッセイ。

作者である梨木香歩さんが、留学先でお世話になったウエスト夫人とそれをとりまくたくさんの人たちとの暮らしやエピソードを率直に綴っている。登場人物は人種も性別も様々で、だからこそ自分の物差しで測れないこともたくさん出てくる。そんななか、ウエスト夫人は頭を抱えるようなことにも、聖人的に受け入れていたわけではなく、頭を抱え、ため息をつき、こぼしていた。『理解できないが受け入れること。それを観念上だけのものにしない』ことを大切にしながら。

私もいい大人になって、心にとめていることがある。

自分の常識とあなたの常識はピッタリ一緒でないこと
自分の物差しとあなたの物差しは違うと理解すること

文章を書くときに無音ではないと考えがまとまらない私
音楽をかけた方がスイスイと手が動くあなた
どっちが正しいわけではないし、それぞれがしたいようにしたらいい
ふたりが同じ空間で作業する時は、お互いで折り合いをつける。
これは本当に小さなことだけど、わかりやすい例えなのではないだろうか。

文化や宗教が絡むととたんに複雑になる。
どうしても譲れないものがぶつかるから。
それでも、人と人が関わりあって生きていくのだから
自分とは価値観の違う人と共存していく意識を持ちたい。

このエッセイは、実際におきた多種多様なエピソードとともに、作者が感じたことや、折に触れてじっくりと考えたことを自分に置き換えて考えることができる。あまりに考えることが深すぎて、ちょっと難しいなと感じるかもれしない。当時のアメリカ同時多発テロやアフガンの爆撃のニュースなどに触れ、世界中に知り合いがいるウエスト夫人の心中はいかばかりかと思う。
今、テレビのニュースではロシアとウクライナの問題でもちきりだ。私ひとりでどうこういう問題ではないのだけれど、ふとこの本を手に取って、『理解できないが受け入れること。それを観念上だけのものにしない』と言われた気がした。

最後にウエスト夫人から作者に宛てた手紙からという章がある。そのなかでも、最後の最後

親愛なるK
ああ、こういうことがすべてうまく収まって、また一緒に庭でお茶が飲めたらどんなにいいでしょう。(中略)いつものように、ドライブにも行きましょう。春になったら、苺を摘みに。それから水仙やブルーベルが咲き乱れる、あの川べりに。きっとまた、カモの雛たちが走り回っているわ。私たちはまたパンくずを持って親になった去年の雛たちの子どもたちにあげるのよ。私たちはそういうことを毎年続けてきたのです。毎年続けていくのです‥‥。

『春になったら苺を摘みに』最近のウエスト夫人の手紙からー2001年末ー

あたりまえの日々がどんなに有り難いことか。噛みしめ、私の周りの人たちとの価値観の違いに驚き、戸惑い、面白がりながら、日々の暮らしを丁寧に誠実に楽しんで生きていきたい。

『今』だから、読んでほしい1冊です。


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