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戦争の熱狂は加速するー加速させなきゃ臣民がついてこないからね

 1944(昭和19)年11月15日発行の政府の広報誌「写真週報 第347号」は、爆弾を固定した飛行機を操縦したまま敵の艦船に体当たりして果てる「神風特別攻撃隊」を大々的に報道します。

表紙は初の神風特別攻撃隊「敷島隊」の関行雄大尉

 10月25日に海軍により行われた初の攻撃は、初の戦法に米軍が慣れていなかったこともあり、輸送船護衛用の小型の護送空母を撃沈する戦果を挙げます。もちろん、大本営発表では一線級の空母を連想するよう「空母撃沈1、空母撃破1,撃沈巡洋艦1」と発表されました。そして大本営海軍部は「『日本人のまごころ』で驕敵を激攘しよう」と、精神論を行きつくところまで行かせます。

頼るのは「まごころ」

 そして11月29日発行の「写真週報 第349号」は、今度は11月12日の陸軍初の特別攻撃隊万朶隊をこれも大々的に取り上げます。戦果は戦艦1,輸送船1と。続く富嶽隊も戦艦1撃沈とします。

尾翼にマーキングする富嶽隊が表紙に
万朶隊の訣別の場面。右から4人目の佐々木友次伍長が9回出撃することに。

 若者が命と引き換えに敵の軍艦を撃沈しているという、確実な「死」を任務とする特攻隊の出撃は、疲弊してきた大日本帝国にとって、臣民をつなぎとめる大きな役割を果たし、政府も写週報をはじめとして臣民に「特攻精神」を求めました。

「一億神風」とあおる1945(昭和20)年1月3日の写真週報
生産現場で使われたであろう神風鉢巻き

 そんな時代の空気を示すのが、2024年から数えて79年前の今日、1945(昭和20)年3月4日の消印がある、こちらのはがきです。長野県大豆島村(現・長野市)から出征し、滋賀海軍航空隊で訓練を受けている息子に、母親があてたものです。

海軍の息子にあてたはがき

 前段は家族が皆無事で働いていること、軍部に納品する凍み豆腐作りで忙しいが、同窓生が応援に来てくれていると、近況をつづっています。

「死して名を残せ」との母親のはがき

 後段は、いよいよ働ける時期が来た、最後の5分間を見逃さぬようにと注意しつつ、「昔より人は死して名を残せと言って居る通り皆んな一機一艦といって居るがそんなことなら普通だ。一人で二艦も三艦も撃沈さしてくれよ。そうして家の父さんや母さんを安気させてくれよ。それを何より今より待って居るぞ」と、体当たり攻撃を当たり前とし、それで戦果を挙げることが安心と書いてあります。
 もちろん、検閲があることを見越して勇ましく書いただけという見方もできるでしょうし、長く生きろと暗に言っている可能性もあります。
 ただ、「皆んな一機一艦といって居る」周囲の雰囲気はあったのではないでしょうか。そして先に挙げたように死を称揚する宣伝が続いたことで、それが当たり前の文章になってしまってもおかしくないのではないでしょう。当時の雰囲気は、命を捨てるのを当たり前のこととなっていたのではないかと、このはがきを見るたびに思い、そのように人々を引っ張ってきた軍と政府の思惑に怒りを感じるのです。
           ◇
 ところで、関行雄大尉は出撃直前、新聞記者と一対一でその気持ちを残しています。鴻上尚史さん「不死身の特攻兵」より、「神風特攻隊出撃の日」小野田政さんの記述を紹介させていただきます。

 関大尉は「報道班員、日本もお終いだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて。ぼくなら体当たりせずとも敵母艦の飛行甲板に50番(500キロ爆弾)を命中させる自信がある」「ぼくは天皇陛下とか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛のKA(妻)のために行くんだ。命令とあれば止むをえない。日本が敗けたらKAがアメ公に強姦されるかもしれない。ぼくは彼女を護るために死ぬんだ。最愛の者のために死ぬ。どうだ、素晴らしいだろう!」と語りました。

 しかし、このエピソードは当時、報道されませんでした。記者が「人間関大尉」という記事を書こうとして軍部に怒鳴られ書き直しを命じられていたのです。「関は女房に未練を残すような男じゃない。特攻隊員は神様なんだ。その神様を人間扱いしヒボウするとはけしからん。それが分からんとは、貴様は非国民だぞ!」ーと怒鳴られて。
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 身を捨てて「国」を救うことこそ、特攻隊員に求められたことでした。関大尉の「最愛の者のために死ぬ」という言葉は、天皇のために死ぬことを求められた当時にあって、最大の反抗だったのです。
 死を命じられたものは、死ぬ理由まで、軍に縛られ、国のため、天皇のために死ぬことを求められた時代。それが教育勅語の時代であり、軍人勅諭の時代であったのです。それこそ、今の価値感で美化してはいけない。一方、その中にあって、9回も出撃を命じられながら生き残った佐々木友次さんの価値が光ります。死ぬのが目標ではないのに、死ぬことにこそ価値があると思わされる時代の中で、生きて成果を上げる道を貫いた精神こそ、見習いたいし、流されてはいけないと思うのです。間違っていることは間違っていると。

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