主婦之友の1940年2月号付録は「節米料理」、逆に3月号付録は「おすしとサンドイッチ」ですが、そこには一貫性が…
日中戦争が泥沼化して、解決の能力もなくし引き時も見極められなくなっていた1940(昭和15)年の大日本帝国。主婦之友の同年2月号付録は「節米料理と栄養パンの作方八十種」でした。表紙にはトウモロコシやサツマイモ、豆と、いかにも代用食の雰囲気が満載です。
「今不自由しないからといって米飯にばかり頼っていることは心ないこと」と、あくまで強気で企画の理由を説明します。とりあえず、カラーの口絵になっている参考品を紹介しましょう。
そば粉入りシチューには肉代わりに車麩を使用。
「芋ランチ」はジャガイモのつぶしたやつに炒り卵、グリーンピースでごまかしかあ…簡単につくれそうではあるが…
里芋ごはん、がメイン。添えてあるのはケチャップのスパゲティーじゃなくて、ニンジンと玉ねぎのみじん切りなどを混ぜてうどんを入れたサラダ、兎リンゴが大人気か。
健康にはよさそうですが、全体的なカロリーの低下は免れなかったのではないでしょうか。
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さて、2月号で節米料理を特集しながら、3月号の付録では「おすしとサンドイッチ」。パンで代用はともかく、なぜ御寿司か。冒頭の説明ではっきりします。
日中戦争で政府は国の全力を戦争に傾けるため、「国家総動員法」を1938(昭和13)年5月5日に施行しました。簡単に言うと、政府が戦争に必要だとおもう「勅令」を、国会審議を通さずに閣議決定でいくらでも出せる法律です。ここで「お米」にかかわってくるのは1939(昭和14)年11月25日に国家総動員法に基づき公布された「米穀搗精等制限令」です。米穀業者は、政府が決めた割合以上に精米できないという法律で、当初は七分搗きとしました。
精米による搗き減りを抑えることで、米消費量を抑える狙いです。当然、配給割当(有料)が増えるわけではありませんから、これまでなら糠になっていたような部分が残るだけで、カロリーでいえば引き下げとなります。
余談ですが、糠が減って今度は牛馬の飼料が不足する事態となり、長野では繭から糸を取った後のさなぎを代用にとしたところ、今度は養魚業者が困ると言い出すという、逆桶屋のような笑えない話に。
2月号の里芋ごはんなどは、ぼそぼそした7分搗き米に粘りを与える工夫でもあったわけなのです。そんなわけで、白米でなくとも見栄えが良いお寿司の特集となったわけです。春先の御祝い事を意識したのでしょう。では、どんな工夫をしたか、口絵を紹介しましょう。
サンドイッチは、やはり米に慣れているところをパンに代用させるため、少し豪華なものも紹介しています。しかし、1940年といえば物資が不足してきたころ。どこまで役立ちましたか…。
国家総動員法は、こんなせせこましいことまで勅令で決めてしまうのです。庶民が国会を通じて異議を出せるなんてことはできないのです。せめてできるのが、あるものの工夫。主婦之友はたびたび使っていますが、そんな姿が透けて見えてくるのです。
戦争は、というより戦時体制は、ここまで臣民を縛れるのです。政治と暮らしは直結していること、ゆめ、忘れてはいけません。
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