戦局悪化で閣議決定で事務職や車掌などの40歳以下男子就業が禁止され、女性が鉄道にも多数進出、奮闘するもなめられたり…
太平洋戦争中の1943(昭和18)年2月に、日本軍はガダルカナル島からの撤退作戦を行います。補給を維持しうる進出限界線の先に突出したガダルカナル島での戦いは飢餓との戦い。ここから日米の戦局が大きく転換して、日本は完全に守勢に立たされます。
そんな1943年、労働力確保のため、政府は1月20日、生産増強勤労緊急対策要綱を閣議決定し、女子で大体しうる職場については採用標準率を高めて男子は兵士か重要産業に転換させるとしました。続いて5月3日、昭和十八年度国民動員実施計画策定に関する件の閣議決定によって、事務職や車掌、料理人など17職種への、14歳から40歳の男子の就業禁止が決まり、女性をもって充てられることになります。
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こちら、1944(昭和19)年11月1日発行の政府の宣伝誌「写真週報」第345号で、表紙は海兵団の青年、見開きで海軍志願兵募集をした次のページに、「乙女たちが守る鉄路」と題して長野県の国鉄信越線戸倉駅が取り上げられていました。わずか8ページの写真週報としては破格の扱いです。
説明によると、戸倉駅は駅長と助役以外はすべて女性で27人が転轍から荷物運び、貨車の入れ替えまで、すべてをこなしていたということです。
笑顔の応対で仕事もはかどる、というだけでなく、三十キロの荷物を担ぐ女子職員もいて頑張っています。
この時期より少し前、1943(昭和18)年12月ころには同じく長野県の小諸駅に女性駅員4人が配置され、その奮闘ぶりとお客さんへのお願いを1944年2月2日の信濃毎日新聞が記事にしていますので、著作権切れもあり、転載させていただきます。
「『怒鳴らないで下さい』 公衆へ・女駅員さんのお願い」
【小諸】男子はより重要な職場へという時局の要請によって生まれた女駅員が四名小諸駅へ配置されてからもう二か月になる。その間彼女達は午前六時廿分という早朝出勤もつらいが、またいろいろな公衆に接してずいぶん乙女心にかなしく切ないおもいもさせられた。しかし「すべて戦うお国のためだ」と、神経を太く偲んで頑張ってはいるものの、彼女達は公衆に対して次のようにお願いしてその協力を求めている。
(出札)▼発車間際に来て大きな札を出し「おつりが遅い」と怒鳴る人があるが、おつりのいらぬようにして下さい▼遠方へ行く人は一列車位前に来てゆっくり乗車券を買って下さい。
(改札)▼一列を励行して下さい。女の人、殊に年寄りは列へ割り込む者が多い▼手荷物は大きさが制限されているから余り大きなものは持たないで下さい。男の年寄りなどには、私達の制止も聞かず強引に大きな荷物を持って出る人がある▼工員には跨線橋を渡らず線路を横断するものがある。制止しても一人が聞かずにすると大勢がドヤドヤと真似るのでそうなると私達には大声で怒鳴ることが出来ないからもう手に負えない▼待合室で塵箱以外に紙くずを捨てないようにして下さい
(集札)▼工員の中には「すましてやがる」位はまだしも随分失礼なことを言って冷やかして行く人があるが余り馬鹿にしないで下さい▼男子はいいが女学生は列も組まないし定期券を碌に見せない人が多い。注意して下さい▼清算払い戻しを受けられる方は全部集札の終わるまで傍らでお待ちください
弱そうだから、女性だからと甘く見られているのに憤慨している様子がよく伝わります。しかし、おそらくこれは男性でもかなりされていたことかもしれません。
ところで、ここのところ話題になっている「教育勅語」で教育を受けた当時の皆さんの醜態、いかがお感じになりますか。あれは道徳でも何でもなく、天皇のためにこのように生きなさいというだけの文章で、しかも暗唱するだけですから、公共精神が育つわけもなく。臣民同士に対してはただ、上下関係だけがものを言っていたんだなということが伝わるようです。現代のほうが、公共のふるまいは、ずっとましになっていますね。
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