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憲法記念日に、あらためて「大日本帝国憲法」を読んでみた

 大日本帝国憲法は、天皇が臣民に与えた形をとる「欽定憲法」です。ですから、最高権力者である天皇が、こんな風に国を運営せよと指示した文書ともいえるわけです。下写真は、金権腐敗が横行していた戦前の選挙について、正しく行うよう訴えた1935年発行の冊子の表紙で、1889(明治22)年の憲法発布式の様子です。

左側の天皇が壇上から与える形が分かる
明治天皇が憲法を御下賜、一君万民の美しき国体、と正当化

 では、その憲法の中身を見てみます。こちらは秋田魁新報第二号付録で1889(明治22)年2月16日刊行の大日本帝国憲法です。発布が11日ですから、当時の印刷通信事情を考えると、かなり頑張って発行したものです。

傷めないよう、元の所有者がさらに厚紙表紙を付けてとっていたものです

 大日本帝国憲法にも憲法制定経過が最初にあります。天皇が天皇の先祖から受け継いできた国家統治の大権を、この憲法に従って行うとし、臣民の権利財産は「憲法及び法律の範囲内において」享有を認めるとしていますが、この「法律の範囲内において」が曲者でした。

「法律の範囲内」の権利しかなし
大臣は天皇の為に憲法を施行し、臣民は永遠に憲法に従順の義務

 天皇が臣民に与えたものですから、天皇が認める(憲法、法律の)範囲内でしか権利がありません。現在のように、基本的人権などはないのです。法律でいくらでも縛れるのです。
 このように、大日本帝国憲法は天皇が臣民に「このようにせよ」と与えたものです。よって、最初の「第一章 天皇」はその背景となる天皇の権力を17条にわたって規定します。

天皇は日本で何とでもできると書いてあるようなもの

 第3条によって、何があっても天皇は責任を問われないことになります。第4条で天皇は元首であるとし統治権をすべて持つとしています。第5条の立法権も帝国議会は協賛するのみ。第11条で陸海軍を統帥し、第12条で
陸海軍の編成や常備兵額を定めるとあります。
 ここらへんが、後々の混乱の原因となっていくのですが、陸海軍のかかわる条約や予算を帝国議会がとやかく言うのは11条の「統帥権の干犯」にあたるとして、軍部が独走することになっていきます。また、内閣も軍が起こした事は軍が片づけるという、軍事と外務の乖離を生む遠因となっていきます。
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 さて、「第二章 臣民権利義務」は、ごらんのとおり、「法律の定るところにより」の行列です。義務は兵役と納税の二つですが、憲法に兵役の義務が規定されていることから徴兵制がしかれ、これによってそれこそ誰でも兵役に引き出せる根拠となっています。その最大化が、1945(昭和20)年の国民義勇兵役法となります。
 また、ここで「法律は守って当然だろ!」とお感じになられるかと思いますが、法律はどんどん作ったり変えたりできるのです。先の徴兵の事例のほか、例えば治安維持法。曖昧な文言で適用範囲をどんどん広げられたし、最初の高刑は懲役だったのを死刑に改悪しています。

「法律の範囲内」の怖さ

 また、第23条、法律によらずして「逮捕監禁尋問処罰」を受くることなしとありますが、これは保護の条文ではなく、逮捕監禁尋問処罰の法律を変えることで、いくらでも厳しくでき、「等」といったあいまい表現を最大限に活用されてしまいます。信書の秘密も同様。所有権は「侵さるることなし」とありますが、「公益の為必要なる場合」は処分されてしまいます。

第2章の続きです

 第二十八条、信教の自由も「臣民たるの義務に背かざる限りに於いて」有すと、これまたどうとでも解釈可能です。そして第二十九条「法律の範囲内において言論著作印行集会及結社の自由を有す」とありますが、これも治安維持法が最大限に力を発揮した分野であり、警察に出版の届け出が必要だったりしました。現在、新聞雑誌は届け出も許可も必要ありませんし、集会結社にも思想信条による規制がありません。これが自由な研究や論議を保証しているのはいうまでもありません。

改正手続きもあるにはあり、これを受けて日本国憲法に改正しています

 第七十三条の憲法の改正は、天皇が出したものですから、天皇の勅命によってしか発議できないようになっていました。日本国憲法は、この条規に沿って改正されていますが、実態は全く新設したという状況です。
 大日本帝国憲法はアジアで最初の憲法であり、不平等条約改善に役立ったという歴史的な評価はできます。一方では、民衆の自由意思を抑えるため、政府や軍の意に沿うように運用されたこと、地方自治がない中央集権制で、国の権力が大きかったこと、また内閣の取り決めがないため、首班は天皇が指名し、その首相が内閣を組織するので、臣民が行政権にかかわることはできませんでした。臣民の政治参加は立法の帝国議会衆議院に限られ、しかも実態としてその上位に貴族院があったので、上意下達の国政運営となっていました。
 日本国憲法は、基本的人権を最大限尊重し、そのうえで行政、立法、司法に国民の意思を反映するシステムとなっています。しかし、長期にわたる一党支配で、その三権分立が形骸化し、戦前の上意下達の意識が、戦後も長く現在まで続いているように感じます。投票率の低下は、自分たちでは変えられないというあきらめの意識や、お上が何とかしてきたからこれからも何とかなるといった意識が、それこそ私達の底流にある「上意下達」と共鳴しているのではないでしょうか。

 でも、二度とこんな報道がされる世の中にしたくありません。

新聞の戦死者を伝える記事

 こんなものが必要になる社会にしたくありません。

空襲が常習化した中で登場した防空ずきん

 そして、一部の特権階級が享楽を得られる社会も断固として拒否したい。

東京大空襲から2日目の役人御用達レストランの食事(「戦中気侭画帳」武井武雄より)

 そして現在も命の危険にさらされている戦争の当事国があちこちにある現実。日本は米国と軍事的関係を深くすることで安全保障を確保してきたといいますが、大国の抑止力は大国同士にしか効かないと、本日の信濃毎日新聞の論説は述べ、「抑止が破綻した世界に必要なのは、安心を与え合う地道な努力だ。それを広げてゆく理念と歩むべき道を憲法が示している。(略)戦争をしないという約束は、今の時代にあっている」(2024年5月3日付信濃毎日新聞「平和憲法と今の世界」より)と結んでいます。

 憲法九条は、積極的に使ってこそ光るものだと思います。戦争をみづからしない国の役割は、ますます重い。そんな思いを広げた、戦後79年目の憲法記念日でした。過去を伝え、未来の誤りを少しでも減らしていきたいとの信念のもと、活動を続けていきます。

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