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兵隊育成の体力章検査を、今に伝える規格手榴弾

 男子青少年の基礎的体力を向上させる狙いで、厚生省が日中戦争下の1939(昭和14)年10月から始めたのが「体力章検定」です。日中戦争は解決の方向が見えず、中国大陸へ100万人もの兵力を投入している時期、長期の戦争を想定しての「健兵健民」政策の一環でした。
 当初は15歳から25歳までの男子が対象で、太平洋戦争下の1943(昭和18)年度からは一部種目を変えて女子も対象となります。
 男子は100m走、2000m走、走り幅跳び、懸垂、重量運搬、手榴弾投―の6種目で、特に重量運搬と手榴弾投げは、軍事目的であることが明らかです。ちなみに太平洋戦争下で始まった女子の種目では、重量運搬が両手でのバケツ運びとなり、これまた空襲対策が明らかです。

 検定では、記録に応じて上級、中級、初級の標準記録があり、体力章の所持や等級をスポーツ大会の選考基準の一つに当てるという名目も付けました。そして合格者には「体力章」と称するバッジが各級ごとに授与されています。表題写真は、体力章検定の手榴弾投げで使った規格手榴弾で、けっこう使い込まれたもの。ちなみに手榴弾投げの標準記録は初級35m、中級40m、上級45mでした。

 幸い、収集した長野県の小県(ちいさがた)蚕業学校(現・上田東高校)の1942年度卒業アルバムに体力章検定の写真が残されていて、手榴弾投げの様子もありました。

足元の芝が境界線で、踏み越えないように投げる

 この時使ったのが「規格手榴弾」です。

 持つとこんな感じですが、私は手が大きいので参考です。

 重さは540グラムが規格でした。金属の本体の表面を硬質ゴムが覆っています。左がゴムの残っているもの、右が金属の本体です。規格とはいえ重さが合わせてあるだけで、表面の刻みにはいろいろ種類があったようです。現在もある、大手スポーツメーカーなどが生産しました。ちなみに、当時陸軍で使っていた九一式手榴弾が530グラムでした。規格手榴弾は、これに準拠していたようです。
 一方、この形状から、ネットオークションや海外のコレクターなどで、軍隊の訓練用とする誤りが目立ちます。体力章検定自体が軍隊で活躍できる人材の育成という狙いがありますから、そういう意味では的はずれではないかもしれませんが、あくまで、検定用の道具です。

 また、この規格手榴弾、いつまで作られたかは検討の余地があります。金属の塊で貴重なゴムも使っており、1941(昭和16)年から国家総動員法に基づく金属類回収令で家庭の鍋釜まで集めた時勢を考えると、途中からは代用品に切り替わったとみるのが自然でしょう。陶器製の訓練用と称する手榴弾が出回っていますので、このあたりが使われたのかもしれませんので、また入手してみたいと思っています。

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