多様性を“受け入れる”ってなに?“受け入れる”ってなに?“受け入れる”とは?
の、答えはたぶんとっても複雑で
キット答えは1つじゃないし
自分の中で答えを出すには至ってない。
けど今ふと思ったこと、明日になったら思い出せないかもしれないし、来月には考え方が変わっているかもしれないので2022年7月7日時点で思ったことをメモしてみた。
そもそも声が大きくて圧の強い人がちょっぴり苦手なのも影響してると思うんだけど
企業の会見や選挙演説で
「多様性を受け入れましょう」
って表現。ん?
受け入れる?
多様性って受け入れる側と受け入れてもらう側の話
なんだっけ?
と
違和感センサーがピコンピコンしてて。
おそらくその演説をしている人は
マジョリティに属していて
多様性の中心にいる感覚があるから
“受け入れましょう”になるんだろうなって。
言葉の揚げ足取りだと言われたらその通りだし
それ以外の何物でもないんだけど
性別のこと、障害のこと、働き方のこと、学歴のこと、結婚してるしてない、子供がいるいない
などなど
“普通”の枠組みがガッチリ組まれてるからこそ
枠組みの中の人
枠組みの外の人
がいて、多様性を“受け入れる”って表現になるんだろうなってモヤモヤしてる七夕の夜。
あぁ。なんかちょっと難しいこと考えたら
こんな時間なのにラーメン食べたくなってきた。
“普通”は健康のためにこんな時間にカップラーメン食べたりしないんだろうけど、ちょっとお湯沸かしてこよっと。
多様性の時代だし。
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