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【雑記】芥川龍之介と横光利一の小説を読む: 想い出の授業

 芥川龍之介(1892~1927年)の『羅生門』の「続きを書きなさい」という課題を、現国の授業で与えられたのを覚えています。当時のわたしは(いまとなっては読み返すことができないほどの拙い)小説を書いていたのですが、そのこともあり、得意になって指定された文字数の物語を紡ぎました。

 その『羅生門』の続きを書くというユニークな課題は、成績をつける際の参考としての意味合いが強く、自分の作ったその二次創作は、担当の先生にだけ読んでいただいたものでした。

 この『羅生門』という短篇小説は、芥川龍之介の代表作であると同時に、教科書に掲載されている以上、一番知名度のある作品かもしれません。

 いまでも印象に残っているのは、その現国の先生が、「蟋蟀」(こおろぎ)とは「きりぎりす」のことだと強調していたときの熱量です *1。もしかしたら、 先生にとって『羅生門』は特別な作品だったのかもしれません。

 そんな『羅生門』は、芥川の小説の中では「王朝物」に分類されている作品です。その他『芋粥』『地獄変』『藪の中』などが、代表的な「王朝物」として挙げることができると思います。

 余談ですが、「筋のない小説」をめぐり、芥川と論争を繰り広げた谷崎潤一郎(1886~1965年)は、芥川の死後、「『羅生門』の中にある短篇物などは最もよかったと思う」と発言しています *2。

 大学時代に「文学」の講義を履修していたのですが、『地獄変』に関して二週に渡り講義していただいたことを覚えています。またもや、芥川の作品を「授業」という形で読むことになるとは思ってもいませんでした。

 この『地獄変』という小説は、ざっくりとまとめてしまえば、娘を溺愛している高名な絵師が、その娘の命を犠牲にしてまで、大殿様から描くように命じられた「地獄変の屏風」を完成させるという物語です。

 この悲劇の物語は、大殿様の側近による回顧録のような形で紡がれています。そのため、大殿様の悪辣な言動を正当化したり誤魔化したりしている「語り」もあります。そんな彼の述懐を鵜呑みにするのではなく、彼の「語り」に隠された「別の解釈」を拾っていくことが、本作を読む上での楽しみのひとつだと思います。

 その「文学」の授業で取りあげられた作品は、すべて日本の近代文学でした。谷崎潤一郎の『少年』であったり、横光利一の『蠅』であったり、いまでも愛読している小説ばかりです。

 わたしが初めて横光利一(1898~1947年)の小説に触れたのは、高校3年生のときです。岩波文庫の『日輪・春は馬車に乗って 他八篇』が、最初に手に取った文庫本です。

 この『日輪・春は馬車に乗って 他八篇』を「買った場所」のことを、鮮烈に覚えています。なぜなら、遠足先で見つけた本屋さんで購入したからです。遠足の自由時間のときに、次の集合時刻まで一緒に過ごす友達がいなかったからこそ、初めて入った本屋さんを楽しむことができました。

 そしてこの文庫を「読んだ場所」のことも、はっきりと覚えています。大学受験の前日です。「最後の追い込み」より「リラックス」を優先しようと思い、読書に耽ったわけですが、当時のわたしには『機械』という作品を読み解くことができませんでした。

 しかし、あの「文学」の授業で、横光利一の作品の「読み方」を教わったおかげで、いまでは、先生の説明を参照しつつ、自分なりに楽しむことができています。

 芥川龍之介の『羅生門』について、2,000字くらい書こうと思っていたのですが、打鍵をしているうちに、最終的には、横光利一に逢着してしまいました。無計画に文章を書きはじめると、よくこうなります。

 一貫したテーマのない「雑記」になってしまいました。良いまとめの一文が思い浮かびません。

 そんな「雑記」ですが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

【注】
*1 次の文献の注釈に詳しい。芥川龍之介『羅生門・鼻・芋粥』角川文庫、2007年改版、203頁。
*2 芥川龍之介・谷崎潤一郎(千葉俊二編)「記事 遺書と手記とを残して 芥川龍之介氏自殺す」『文芸的な、余りに文芸的な・饒舌録ほか――芥川vs.谷崎論争』講談社文芸文庫、2017年、276頁。

【参考文献】
・芥川龍之介『羅生門・鼻・芋粥』角川文庫、2007年改版。
・芥川龍之介『藪の中』講談社文庫、2009年。
・芥川龍之介・谷崎潤一郎(千葉俊二編)『文芸的な、余りに文芸的な・饒舌録ほか――芥川vs.谷崎論争』講談社文芸文庫、2017年。
・谷崎潤一郎『谷崎潤一郎マゾヒズム小説集』集英社文庫、2010年。
・横光利一『日輪・春は馬車に乗って 他八篇』岩波文庫、1981年。

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