木村 歩|銭湯はしご酒研究家♨

休みの日には「銭湯」に行き、番頭さんにお勧めのお店を聞いて「はしご酒」をすることがライ…

木村 歩|銭湯はしご酒研究家♨

休みの日には「銭湯」に行き、番頭さんにお勧めのお店を聞いて「はしご酒」をすることがライフワーク。大衆酒場や立ち飲み屋が大好きです。 銭湯はしご酒研究家/THE SENTO & Goファウンダー/湯あがりコーラクリエイター

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旅と銭湯とあの町

僕が旅に出る理由はだいたい大体、僕はひとりで旅に出る時、 夜行バスで目的地に行く。 すると、到着するのは早朝で、 サウナに行くことが多い。 有名なのは、京都タワー内の大浴場か、 横浜のスカイビル、 スカイスパと行った辺りか。 そのあとは、駅前の喫茶店に行き、 モーニングを食べる。 別にごはんが食べたい訳ではない。 お店の方と常連の方のお話を 聞くのがすきなのである。 段々と町に馴染んでいく感じがしてくる。 旅先ではないが、横浜のシネマリン横の 「あずま」は僕の気に入りの

    • #11よこはま・たそがれ 裏町銭湯 酔いたいお酒(横浜関内/利世館) /町に出よう 銭湯浸って台湾料理からの地下の楽園酒場  

      港町には色街あり横浜が開港以来150年余り、その間に町では多くの男と女の物語が生まれてきたのであろう。今の横浜スタジアムも開港当時は浜崎遊郭として、多くの外国人が訪れた。その後、火災等もあり、浜崎遊郭としての姿は消すことにはなるが、遊郭は移転を繰り返し、その後の赤線を形成していく。 ちなみに、日本三大ちょんの間と称され、映画『天国と地獄』の舞台ともなった黄金町に関しては、赤線ではなく非合法の青線に分類される地区となる。 赤線・青線地区の跡は今も見るみることが出来るが、遊郭

      • #10 こころと身体がととのう時間(金沢八景/亀遊館)/町に出よう 銭湯浸ってお参りからの町中華

        銭湯と〇〇銭湯近くには、こんな施設が多いよなということが、銭湯に通う様になってから感じることが出来る様になってきた。 例えば、川沿いにある銭湯の近くには必ずと言って良いほど材木屋さんがあるということだったり、銭湯近くにあるお肉屋さんは、辻に面していることが多いということだったりである。 その他にも、様々な気づきがあるのだが、それはまたの機会に紹介させていただければと思う。 銭湯があるからこそ、普段の暮らしの中では、見過ごしてしまう様なことでも気が付く様になっているのかもしれ

        • #9 変わりゆく町 変わらぬ町の銭湯(武蔵小杉/今井湯)/町に出よう 銭湯浸かって 湯上りはセンターロードにて

          きっとずっと変わらないものはない。それは町にも言える。 ただ、変わりゆく町の中で、変わらない文化の様なモノもある。 その文化が脈々と受け継がれている町に。 僕は、どうやら惹かれるようである。 今回、紹介させてもらう銭湯がある町もそんな町だ。 武蔵小杉。この駅名を聞いた時、多くの方はタワーマンションをイメージするだろう。 ただ、僕にとっての武蔵小杉は10代半ばから過ごした青春の恥ずかしさの詰まった町であり、高校を卒業して20年弱もたつのに、未だに駅に降り立った瞬間にあの頃の気

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          眼鏡を手放せない銭湯好きがお風呂用メガネを買ったら、視界も心も晴れた件。

          普段から眼鏡を手放すことが出来ない方にとって、銭湯や温泉へ行ったときに出会う「浴室内眼鏡着用禁止」という文句は、銭湯や温泉を100%楽しむことは出来ませんよという宣告に近いものがある、これはきっと当事者にしか分かりえない感覚だろう。 とは言え、普段着けている眼鏡をそのまま着けていく訳にも行かず、視界のモヤモヤと共に、気持ちのモヤモヤは抱えたまま、毎回、湯舟につかっていた。 もう一生、このモヤモヤと共に、銭湯に通わなければいけないのか。と想いを募らせている時に出会ったのが、

          眼鏡を手放せない銭湯好きがお風呂用メガネを買ったら、視界も心も晴れた件。

          銭湯からのはしご酒 一軒目にお薦め 三大町中華@湘南・横浜

          銭湯と町中華の関係性とは銭湯が僕にとって心と身体のオアシスであるとすれば、町中華は心の底から魂を揺さぶる火力発電所である。 川沿いに雰囲気の良い材木屋さんがある町には、その近くに、昔からまちの人たちに愛される銭湯があることが多く、そんな銭湯の近くには、これまた雰囲気の良い町中華があることが多い。 今回は、勝手に自分が銭湯あがりに行くと最高の時間を過ごすことが出来ると感じている町中華を3軒選び、三大町中華という形で紹介をさせていただいた。 湘南・藤沢 富士見湯からの古久家

          銭湯からのはしご酒 一軒目にお薦め 三大町中華@湘南・横浜

          山利喜本館で飲んだ あの1杯で 湯あがりに飲みたくなる クラフトコーラをつくり始めた話。

          時は緊急事態宣言下、居酒屋ではお酒を出すことが出来ずにお客さん離れが進んでいるとの報道が多く出ていた。そんな中で、歴史深い名店と言われる酒場も御多分に洩れず苦戦を強いられていた。 その様な状況であっても、お店に来てくれるお客様の為に、新しい商品をだす名店の心意気に痺れた。お酒を出すことが出来ない状況下でも酒場の本質に則って、山利喜本館は自家製のクラフトコーラを提供していた。 名物である「もつ煮」を食べた後の下をさっぱりとさせると共に、スパイスを多く使った風味は、レモンサワ

          山利喜本館で飲んだ あの1杯で 湯あがりに飲みたくなる クラフトコーラをつくり始めた話。

          旅する様に暮らし 暮らす様に旅をする そんな未来を考えた

          移住や多拠点生活など、多様な暮らしが出来る様になっている今 2020年。この年は、世界が変わった年として、今後も語られるだろう。結果として、それまでの働き方を見直す必要に迫られたことにより、働き方が大幅に変化した人も多くいるはずだ。 リモートワークが主流となり通勤する必要性が以前と比べて少なくなったことから、会社に通うために都心に暮らしていた多くの人が、自分の暮らしや時間の使い方を考える様になったと感じている。何年後かの社会の教科書には、満員電車の写真と一緒にこんな通勤風

          旅する様に暮らし 暮らす様に旅をする そんな未来を考えた

          #8日常が旅になる町 旅気分に酔っちゃいな (石川町 えびす温泉)/町に出よう 銭湯浸かって 湯上がりは食堂で1杯

          石川町に訪れる人・働く人・住む人にとってのオアシス「えびす温泉」 僕が「えびす温泉」を知ったのは、学生時代に安い飛行機チケットを買って、早朝便に乗る為、寿町にある安宿に泊まり、そこのフロントスタッフの方にお薦めしてもらったのが始まりだ。その時には、その後、その町で働き、その町のそばに住むなんてことは考えてもみなかった。この時点での「えびす温泉」は、石川町に訪れる人にとってのモノであり、初めて入る寿町という町に緊張していた僕にとっては、安心することの出来る場所であった。 新

          #8日常が旅になる町 旅気分に酔っちゃいな (石川町 えびす温泉)/町に出よう 銭湯浸かって 湯上がりは食堂で1杯

          #7鉄道にゆらゆら揺られて江の島。銭湯。歩いた後のビールが美味い。(富士見湯 藤沢)/町に出よう 銭湯浸かって 湯上りはしご酒

          かつて、京浜急行線という名の有料道路があった地に今あるのは前回、赤い電車に乗って訪れた「蒲田温泉」。その赤い電車を運営している会社が、その名も「京浜急行線」という日本で初めての有料道路を1950年から所有、運営をしていた。ちなみに、こちらの道路の1931年に供用が開始されており、道路運送法上による道路としては、日本初の有料道路とのことらしい。 今では、市道となった、かつての「京浜急行線」の上に重なる様に湘南モノレールが走っている。 なので、赤い電車に乗って訪れた「蒲田温泉

          #7鉄道にゆらゆら揺られて江の島。銭湯。歩いた後のビールが美味い。(富士見湯 藤沢)/町に出よう 銭湯浸かって 湯上りはしご酒

          #6赤い電車に乗っかって まだ見たことのない景色を見せてよ(蒲田温泉 蒲田)/町に出よう 銭湯浸かって 湯上りはしご酒

          いつも早く走っている「赤い電車」で向かう 蒲田温泉きっと赤い乗り物は、早く走ることが生まれた時から宿命づけられているのだろう。 ミハエル・シューマッハが乗るフェラーリは真っ赤(例えが古くてすみません。今季のフェラーリは不安しかない。ホンダさんの有終の美を期待しています)で、シャアが乗り込むザクも真っ赤である。 今回、蒲田温泉までの足として使わせていただいた「京急電鉄」の車両も赤い電車として知られている。  そしてこの「赤い電車」も、他の赤い乗り物と同様にとてつもなく早く

          #6赤い電車に乗っかって まだ見たことのない景色を見せてよ(蒲田温泉 蒲田)/町に出よう 銭湯浸かって 湯上りはしご酒

          #5 令和の今、昭和レトロに癒されて(太平館 大倉山)/町に出よう 銭湯浸かって 湯上りはしご酒

          辿り着くまで 不安に襲われ 入ると落ち着く太平館その昔、綱島駅は綱島温泉駅と言う名だったらしい(東急が自社で温泉浴場を運営していたこともあったと史料には記されていた)。仕事関連で大倉山を訪れる機会を得て、近くの銭湯を調べる際に知った。かつては、80軒もの宿泊施設があり芸者も300人という規模だったとのことで、東京の奥座敷と言われていた時代もあったが、そんな時代も、今は昔で、2008年をもって、宿泊施設自体はゼロとなり綱島温泉(樽町・大曽根)にある温浴施設(銭湯)も数えられる程

          #5 令和の今、昭和レトロに癒されて(太平館 大倉山)/町に出よう 銭湯浸かって 湯上りはしご酒

          #4 生麦温泉からの大衆酒場「大番」が最幸だった件(朝日湯 生麦 ) /町に出よう 銭湯浸かって 湯上りは酒場で1杯

          日常の中にあるハレ時間 それが僕にとっての銭湯♨学生時代に、旅先で銭湯へ行き、そこで出会ったお客さんや番頭さんに聞いたお薦めの店をはしごすることが、僕の一人旅でのスタイルとなった。でも、それは旅先での話であって、日常での僕はと言えば、実家の風呂にお湯を張って入っていた。 大学を卒業し、ひとり暮らしを始めてからも、最初のうちは、湯船にお湯をはっていたが、いつの頃からかシャワーで済ます様になってしまっていた。その当時は、新卒で、まだまだ体力だけには自信があって、効率なんてものは

          #4 生麦温泉からの大衆酒場「大番」が最幸だった件(朝日湯 生麦 ) /町に出よう 銭湯浸かって 湯上りは酒場で1杯

          結婚式はコロナ禍で延期 仕事も様変わり 僕の2020ダイアリー

          結婚式最終打ち合わせから10日後、緊急事態宣言は発令された緊急事態宣言が発令される10日ほど前、僕ら夫婦は4月25日(土)に予定されていた結婚式の最終打ち合わせを終わらせた。この時点では、結婚式は予定通りに決行する決断をしていた。 そこから1週間ほど、僕らふたりは、悩みに悩んだ。最終的に判断を下したのは、緊急事態宣言は発令される3日ほど前だった。 妻の出生地である 熊本県に住む多くの親戚が、こちらに向かうことが難しいとの声からであった。3月に妻の祖父七回忌で熊本に足を運ぶ

          結婚式はコロナ禍で延期 仕事も様変わり 僕の2020ダイアリー

          #3 湯上りに古本片手に もつ焼きで1杯 そぞろ歩きが愉しくなる町(いなり湯 山手)/町に出よう 銭湯浸かって 湯上りはしご酒

          #3 湯上りのそぞろ歩きが愉しくなる町(いなり湯 山手) 町のA面・B面という言い方があるのであれば、この通りはきっとB面に当たるんだろうなと思いながら、今回の目的地である「いなり湯」へと足を運ぶ。 山手と言って、イメージするのは、外国人墓地や洋館、そして、みなとの見える丘公園だと思う。そうそれが、山手なのであるが、観光の方を悩ませる種にもなっているだろうなと思う駅名でもある。 実は、多くの方がイメージする「山手」へのアクセスは、山手駅のひとつお隣、「石川町」の方が良かっ

          #3 湯上りに古本片手に もつ焼きで1杯 そぞろ歩きが愉しくなる町(いなり湯 山手)/町に出よう 銭湯浸かって 湯上りはしご酒

          また“あいつ”と乾杯する日までには。

          彼との出会いは、今から10年以上前、僕が大学に入学した当初まで遡る。確か、同じ授業の初回説明を受けたことがきっかけだったと思う。 結局、その授業は、僕らの所属する学部では、単位認定されない授業だというコトが分かり、受講はしなかった。そんな感じで僕らは出会った。別にこれは、ここからの話には深く繋がりはしない。 そこで、なんとなく意気投合した何人かで、彼の実家で呑むことになった。彼の実家は坂の上にあった。その坂を登っていく時間すら、楽しいヒトトキとして記憶している。 僕らは

          また“あいつ”と乾杯する日までには。