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バカループ

将来が不安になる

死にたくなる

どうせ死ぬなら好きな事やろー

でも、本当に好きな事をやってしまって大丈夫?

不安になる

死にたくなる…


バカループだ!


まったくの余談だか、

“将来”って当たり前に使うが

良く見ると普段“将来”と使う軽さと

その漢字の厳つさに違和感を感じる

将軍とか王将とかの“将”ってだいぶ厳ついのに

アホみたいに「将来の夢は~パイロット!」

とか軽々しく使っていいものだろうか?

というか、将来の夢がパイロットって

いつの時代の話だろうか?


話を戻すと

全く持ってくだらないバカループなんだが、

それでも日々、そこから抜け出せない

そもそもそんなループの中にいるやつに

“将軍が来る”将来なんて来るはずがない

でも、仕方がない

なぜ、ループしてしまうかというと

死が確定していないからだ

終わりが見えず、逆算できない

たぶん、ループしない人からすれば

「終わりが見えないのではなく、とりあえずフラグを立てなさい!そこまで何が何でも決めたことを達成しなさい!そうすれば結果がどうであれ次が見えてくる!!」

なんて言われちゃうのだろうけど、

そんな正論をいけしゃあしゃあと語る

デリカシーのナイナイ人間にはなりたくナイ。

余談だが

“いけしゃあしゃあ”って変な言葉だなー

江戸時代くらいから使われているらしい※所説あり


そして、“死”の取り扱いが難しいことも分かっている

「いや、お前は分かってない!」と

お叱りを受けることもあるだろうが、

その程度の人間だから仕方がない

「生きたくても生きられない人もいる」

ごもっとだ

不条理だ

神々の遊びに付き合ってはいられない

以前、友人に「死にたい」て漏らしてしまった時、

とても怖い顔で「そんなのことを言ってはいけない」

と説教された。

身近な人の死、残された人の辛さ…

普段は見せない表情で屑々と話してきた

そして最後に

「自ら死を選ぶ人間は末代まで人間に生まれ変われない。って美輪明宏が言ってた」

と言い放った

その瞬間が一番死にたくなった


なんて人の思いを踏みにじるようなことを

いけしゃあしゃあと書き綴るようなオレは

人間として下の下だ

来世は人間にはなれないだろう

しかし、人間に生まれ変われないことが

不幸する考えも傲慢極まりない

いい加減にしないと本当に怒られそうだ


結局のところどうしたらいいのだろうか?

将来に不安を感じるといいながら

今までそれなりに生きてこれているから

この先もなんとかやっていけると楽観視していいのだろうか?

不安になるのは

得たものを失いたくないという強欲さと

それでも日々失っていく無謀さ

そう、煩悩まみれ


そもそも何で悩んでいるかというと

この経営不振の中

バイクの免許を取るために教習所に25万円を払うことは

アリか?ナシか?

死にたくなるほど悩む47の初夏


大変申し訳ございませんでした。



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