見出し画像

生と死

脳溢血で母が倒れ、麻痺は懸念されるものの手術は成功。
その後、回復傾向から肺炎になり一時は覚悟する事態に。
そこから持ち直し、リハビリと言っていたところで急に亡くなりました。
死因は脳には関係なく、腸閉塞でした。
苦しかったろうな。

母が倒れたとき、うっかり「いつまで生きられるのか」と考えた途端、「83」という数字が降りて来ました。

母は82歳だったので、あと1年あるのかどうか、と危ぶんでいました。
倒れたのが10月で、誕生日は1月3日。
下手したら3カ月もないと思っていましたが、まさか数え年で83だとは思っていませんでした。

そのまま死んだら本人が後悔するのではないかと思い、神社やお寺でお参りしたおかげか、一時期良くなりました。
果たしてその短い期間で、どれだけ心残りがなくなったのかはわかりません。

母が亡くなったのは11月29日ですが、末弟が亡くなったのは6月29日でした。
死亡診断書では30日ですが、実際に亡くなったのは29日。
私の誕生日も29日なんですよね。

数字を見ると、とても不思議に思います。
私と母は1月生まれ、父と弟2人は18日生まれ。
2×9は18。
何の意味もないかもしれませんが。

末弟の葬儀会場へ行ったとき、義妹から「ここって結婚式を挙げたところだったんだよ」と言われ、思い返してみると確かにその場所でした。
結婚式と葬式が同じ場所だなんて、何の因果なのか…

末弟のときは、実家から「あと2週間の命と病院で言われた」といきなり電話がかかってきました。
でも、予兆があったので、不思議には思いませんでした。

以前、末弟の家に迷い猫が来ていたことがあり、その猫は実家で引き取りました。
その実家から「最近迷い猫が来たけれど、ご飯をあげたら排泄がうまくいかなくて死んでしまった」という話を聞いていました。
聞いた途端、末弟のことが思い浮かびました。

そんな矢先に末弟の入院の話が出て、これは長くなさそうだと思ったのを覚えています。
すぐに病院へ行って、その後2週間ほどで亡くなりました。

「死んだら光に向かって歩くんだよ」
「知ってる」
という会話を病院でしていましたが、今考えると、そんなことより「離婚しろ」と言った方が良かったな、と思います。
その方が治る可能性があったから。

末弟が30代で亡くなったときは、父の嘆きっぷりがすごかったです。
家庭を大切にする蟹座ということもあるのでしょう。
あとは、覚悟していなかったから、余計なのだと思います。
私は事前になんとなく判っていたので、仕方ないと思っていました。

でも、逆に言えば、そこで決めてしまわないで、いろいろやってみれば、ひっくり返すこともできたのかもしれません。

父の嘆きっぷりを目にしてしまったので、両親より長生きするのが私の目標の一つとなりました。
それでも数年前は、知人が情報をもたらしてくれなければ、そのまま死んでいたかもしれないということがありました。
大変な時は必ず助けが入るので、本当にありがたいと思います。

正月は当初、帰郷しない予定でしたが、事情が変わったので帰省して、父の顔を見てこようと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?