serendipity01/toshi ito

開店休業中、の脚本家・劇作家。10年前に仲間内で❬絶筆宣言❭するも、実は秘かに作品を書…

serendipity01/toshi ito

開店休業中、の脚本家・劇作家。10年前に仲間内で❬絶筆宣言❭するも、実は秘かに作品を書き貯める。書かずの作家か、やらずの作家か。映画と競馬と少しのアルコールで、未だに心は永遠の25歳、を自称する世間ズレした♂。

最近の記事

映画、という旅の途中で

さよなら東京、さよなら映画 半年の間、沈黙を守ってきた。 物書きが沈黙する、それは才能が枯渇した、を自覚する時か、はたまた書くべきものが熟成するまで待っているか、はたまた他にやる事があったからか。さらには書く環境にいなかったからか。刑務所にいたとか?残念ながら最後はあてはまらない(笑)。 故郷に戻るための準備で忙しかったからだ。 昨年の初夏、母親を亡くし、本来なら年末までに完全帰省するはずが、そんな時になると不思議といろいろ仕事の話や、人間関係の諸事情が絡みに絡み、仕事の執

    • 映画、という旅の途中で

      感性が違うから感想も違う 映画はエンタメだ、という人がいる。 映画はアートだ、という人もいる。 娯楽なのか芸術なのかはあくまでも受け手の感性、といえばそれまでだが、小説にだって純文学や私小説、そして娯楽小説もあるわけで、感性はジャンルを選ばない。 好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。 例えば私は映画に好き嫌いを言わない。だが、当然肌に合わない映画は避けるクチで、「ターミネーター」や「ブリット」は飽きるぐらい見まくるが、「タイタニック」は見直す気にはならない。同じジェーム

      • 映画、という旅の途中で

        坂本龍一を偲ぶ「最後の皇帝」 教授、が逝った。 永年の闘病生活の末に。 坂本龍一。 1月に親友・高橋幸宏を喪い、その後を追うように。 今更、この事を書く必要もない、天才的音楽家であり俳優でもあり、そして活動家でもあった彼の訃報が流れた時、私は何故かすごい動揺に襲われた。 それまで彼に対してそれ程の思い入れがあったわけではなかった「はず」だった。 だが、その訃報に私は衝撃を受け、そして何故か嗚咽していた。泣いていたのだ。 何故なのか、それはわからない。 だが、人の死に対して泣

        • 映画、という旅の途中で

          映画はもはや変質したのか アカデミー賞の季節も過ぎて、季節も春。 だが、私は未だにそのアカデミー賞の話題作なるものを見ていない。昔は喜び勇んで、賞を獲った作品を見に出かけたものだが、ある時からそれをピタリ、と止めてしまった。 なんか躍らされている気がして(笑)。 それは多分、何かの賞を獲った映画があまりにも私の感性と合わなかった事に原因があるのだが、それがどんな作品かは忘れてしまった。 だが、それ以来テレビやメディアで煽る映画は信用ならない、さらにはオシャレな雑誌なんかで

        映画、という旅の途中で

          映画、という旅の途中で

          映画の追経験と疑似体験 物語のパターンとは30種類しかない、とは昔、脚本を学んだ時によく言われた劇作のあるある話だ。だから我々は映画を見た時に、 「どこかで見た話だな」 と、感じながら、微かに違う物語の展開に無意識に乗せられ、感動した、つまらなかった、とつぶやいたり、激昂したり、人に語ったりするものだが、所詮はその30種類のパターンで一喜一憂してるに過ぎないのである。 だが、だからこそ、そのパターンにはまりながらまったく違う体験をするのも映画の醍醐味。ある一本に感動した、

          映画、という旅の途中で

          映画、という旅の途中で

          映画とテレビ、動画と芝居 「映画とは映画館で見るものである」 誰が言ったかは知らないが、既に映画館はあらゆる意味で敷居の高いものになりつつある。 そもそもその迷言は映画が娯楽の王様だった時代の話であって、今や映画は動画のカテゴリーの一つ、でしかない。それを証拠に映画はスマホ片手の画面の小さい画面で、若者なんかはそれこそ飛ばして見る時代だ。暗闇でじっと我慢の3時間、なんてやる若い奴等は奇特なお人だろうね(笑) それでも映画館に通う人々は、前述の言葉を金言にしているのだろうか?

          映画、という旅の途中で

          映画、という旅の途中で

          クレイジーなのは我か社会か 2023年前も明けて約一月。 基本的にテレビを必要な時しかつけない私、その理由はネガティブなニュースと、馬鹿馬鹿しいバラエティしか飛び込んで来ないからだが(笑)、それでもネットでニュースを検索する限りにおいても、そのネガティブな事件事故のニュースが飛び込んでくる。 ストーカー殺人、強盗殺人、火事に車の逆走。増税にロシアとウクライナの殺しあい、だの、またまた流行り病が増えてるだの、マトモに聞いてたらまさに、 「気が狂う」 みたいなニュースを、さらに

          映画、という旅の途中で

          映画、という旅の途中で

          監視社会下の自由は果たして自由と呼べるか? マイナンバーカードが事実上の義務化、だという。任意、と言ってたはずが国民に真も問わないで勝手に閣議決定、という時点で今の政府の独善かつ独裁色が強いのは明白なのだが、それに対して国民が抗議活動が起こってる、なんて話も聞かない。いや、本当はものすごく運動が起きてるのかもしれないが、大手マスコミは報道はしない。あのお注射による被害さえ報道しないのだから、国のお墨付き報道機関なら当然か。いやはや。 監視社会が刻々と現実味を帯びてるのに、

          映画、という旅の途中で

          映画、という旅の途中で

          クリスマスに映画を見る 年の瀬も近づき、今夜はクリスマス。 でも、別に個人的にパーティーの予定はない。 そんな世の中の押し付け行事はとっくの間に卒業したから。 若い頃はそんな世の中に憧れ、すねたりしたものだが、彼女がいるいない、一緒に過ごす人間がいるいないなど、今さら嘆く年でもない。 と、いうか、充分すぎるくらいに楽しんだ反動かも(笑) 今では映画と本と音楽、競馬と少しの酒があればいい。そんなわけで、クリスマスに関係ある映画を観ることにした。有馬記念で競馬を締めくくる午前中

          映画、という旅の途中で

          短編集 英単語の一文字より

          Choice 我々は選ばされている。 何かを選んでいる、のではなく。 そこに「自分の意志」が介在しているかの様に、意識は選択の自由、を持っているかの様に人々は振る舞っているが、それは嘘だ。 その選択も「何者かの意志」によって選ばされている。決して自分の産み出した願望ではないのだ。 例えばファミレスのランチ、お得なワンコインで各種の定食が用意されているが、既にワンコインの縛りの中で食べたい、と思わせる選択の網に捕らわれている。本当は違うものを選択すればいいのに、そのお得、の中

          短編集 英単語の一文字より

          映画、という旅の途中で

          何かの間に線を引く、という事 ある町に突然、線が引かれた。 それは国境、という名の線。 それまで一つの町だった所に、外部から勝手にここからがAが支配する、こちらはBのもの、と町の議論も何もそっちのけにたった一本の線が人々を隔てる。 これを理不尽、と言うのは簡単だ。 ところが、世界ではそれをいけしゃあしゃあ、とやってのける輩が存在する。それを人々は国家、というが、国家だけではない、声のデカイ奴が平気でそんな事をやる世界。線は見えずとも、規制だの、区別だのと屁理屈を並べ立て、今

          映画、という旅の途中で

          映画、という旅の途中で

          ジャイアンツは永遠に不滅です 私はアンチ、ジャイアンツである。 これは野球の話。 ヤクルトスワローズの長年のファンなので、今年もまた優勝、そして日本シリーズ、と楽しみなのだが、今回は当然、映画の話。 「ジャイアンツ」。 こちらは大好き、なのだが、いかんせん長い。 3時間半の大作を気軽に観ようとする、と気が重くなる。でも、芸術の秋、重い腰を上げて棚を飾っていたDVDを取り出した。 もう冒頭から一気に画面に惹き付けられる。列車での長い旅をしてきたテキサス男が見る緑が広がる大地

          映画、という旅の途中で

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          噛めば噛むほど味が出る映画 もう映画を観る人生を40年も続けている。 はまったのは14歳の時だから、只今54歳になっても映画を見る旅は止められない訳で(笑) だが、最近は何度も見たはずの作品を、見直すという事が多い。最初に見た印象と今見る印象が全く違う、というものもあれば、全く変わらぬものもあるが、年を取るという事はこーいう事か、と感じ方も変わるものも多くて、義務的に見た名作の意味が今になって分かる事もある。 昨夜、季節外れだが、久々に「異人たちとの夏」を見た。劇場公開

          映画、という旅の途中で

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          私の昭和アイドルとスター 土曜の夜、たまたまテレビをポーッ、とつけていたら、昭和アイドル博士が選ぶアイドル、ベストテン、なんてのをやっていて、なんとその選考者が全員子供たち! 令和の時代に、昭和のアイドルにハマる子供たちのその熱量に思わず笑ってしまった。ま、ベストテン、ってのはありがちな人選に決まる辺りがいかにもテレビって感じだが、彼らにとって我らの時代の青春が新鮮に見える、ってのはレコードが今になってブームになるのと同じ感覚なのか、そこに並ぶスター達に未だにオーラがあるの

          映画、という旅の途中で

          映画、という旅の途中で

          映画で戦争を俯瞰する 昨日からずっと、自分企画、として戦争映画を鑑賞し続けている。 この季節はテレビも戦争特集をするが、何故か地上波では映画をやらない。少なくなった名画座もあまり取り上げない。映画ほど人々の心を揺さぶる媒体はないのだが。 だったら、手持ちのソフトやネットで見てやろう、とマイセルフプロデュース。これも今の時代の恩恵だ(笑) まずは昨日の「軍閥」に続く東宝〈8.15〉シリーズ第5作目、「激動の昭和史 沖縄決戦」から。いわずとしれた、日本唯一の国内戦、沖縄での激

          映画、という旅の途中で

          映画、という旅の途中で

          8月15日、戦争映画を観る 77回目の、終戦記念日、だ。 いや、正確に言えば敗戦の日、である。 左翼側から見れば記念日だろうが、右から見れば屈辱の日。あの戦争を教科書的に信じる人はこの日、靖国神社に参拝する人は非国民だが(笑)、参拝しない日本人こそアメリカに隷属する非国民だと、思うか思うかは定かでもないが、どちらにしろ、戦争が終わった77年前を一つの視点にしてこの8月、テレビは戦争を回顧する番組発信に忙しい。だが、どれもが毎回当たり前の話に終始し、 〈戦争はいけない〉 の

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