【書評・解説・実践】『直感と論理をつなぐ思考法 VISION DRIVEN』(佐宗邦威 著)

VUCAの時代をどう生きるか

企業活動や教育、または個人の人生設計において、過去の成功・失敗に基づく未来予測と意思決定が絶対正義だった時代は過去のものとなった。変化のスピードが速く、世の中の見通しがつきづらくなったことは多かれ少なかれ誰もが体感していることだと思う。

VUCAという言葉がある。
Volatility(変動) Uncertainty(不確実) Complexity(複雑) Ambiguity(曖昧)の頭文字を取った、現代の経営環境や個人のキャリアを取り巻く状況を表現するキーワードだ。

このVUCAの時代、正解を見つけること、導き出すことは極めて困難になった。ビジネスにおいても、教育においても、人生においても、確かな正解というものは存在しなくなったと考えた方が良い。僕らは、「答えがない」という前提のなかで動くしかなくなってしまった。

その「答えがない」時代に、我々が何を大事すべきか、具体的にどのように動くべきかを示しているのが本書だ。起業家やマーケター、事業創造に関わる人はもちろんのこと、これからの人生100年時代を生きる全ての人にとって指針となる内容が凝縮されている大変お得な一冊なので、自信を持ってお勧めしたい。

戦略ファームを経営する著者が書いた本という性格上、企業人向けの内容を多く含むが、むしろ個人的には公共政策や地域づくりに関わる人に読んでいただきたいと思う。

「ビジョン思考」という新たな武器

本書の主題になっているのが、「カイゼン思考」「戦略思考」「デザイン思考」に続く、「ビジョン思考」という新たなフレームと、その体系的な実践方法、そしてビジョン思考がもたらす可能性とインパクトだ。

マネジメント層が情報を集約してゴールを設定したり、戦略を立案したりしながら、ヒト・モノ・カネを動かしていくモデル自体に限界が来ていること、もしくはそのことによる弊害については、企業人が共通認識として持っているかと思うが、そのような硬直した状況に対して、ビジョン思考が一つの突破口になるというのが本書の一貫した主張である。

ビジョン思考は、これまでのデータ、論理、KPI、外的な問題・課題、戦略ありきの思考フレーム(Issue Driven)とは異なる、個人の妄想、直感、感性、自分自身の内面の声、ワクワク感といった超主観領域の分野を駆動力・起点にした思考サイクルだ。

「他人モード」ではなく「自分モード」を突き詰めていくこと。ここにビジョン思考の本質がある。

具体的には、ビジョン思考は以下の四つのプロセスを経て、プロトタイピングを繰り返しながら組織や社会にインパクトを与えていく。
①妄想する(Drive=自分の妄想をカタチにする)
②知覚する(Input=ビジョンの解像度を上げる)
③組替えする(Jump=自分なりの切り口を考える)
④表現する(Output=自分らしい表現に落とす) 

周囲の空気感を読みながら、他人のニーズを満たすことにフォーカスすることを社会の潮流の中で半ば強要されている我々にとって、この「妄想ありき、妄想こそ正義」のビジョン思考のプロセスは、馴染みのないものであるが、本書では、その身につけ方、各プロセスにおいて障害となる要素およびその克服の仕方について丁寧に且つ体系的に記されている。

ビジョンの生み出し方、余白づくりの方法、言語とイメージの往復の方法、センスメイキング理論、アナロジーを活用した組替の理論、「英雄の旅」フレームを活用したストーリーテリングなど、それらの詳細について説明することはここでは割愛するが、紹介されている理論・メソッドはどれも興味深く、説得力がある。本書は読んで終わりでなく、実践して何ぼの部分が大きいと感じるので、僕自身も皆に勧めつつ、実際に活用していきたい。


僕とビジョン思考(実践編)

ここからは少し、僕個人の体験を踏まえた話をしたい。

実はこのビジョン思考、僕にとっては結構馴染みが深い。実は、ビジョン思考に触れるのは初めてではない。

仙台市が実施している社会起業家育成プログラム(Social Innovation Accelerator)の一期生に採択していただいたことが僕の人生の大きな転機の一つになっている。

「湯沢市院内地区の地域再生と東京一極集中の解消を実現するための事業」という、今思えば壮大過ぎるクソデカ妄想をテーマにして、大きなイベントにも登壇させていただいた(その時の様子はこちら)。今思えば事業計画が粗削り過ぎてプレゼンを聞くのが恥ずかしくなるレベルなのだが、ビジョン思考の文脈で言うと実は評価に値する点が結構ある。

画像2

このプログラムの肝は、自分が実現したい社会の姿を描き、それを事業として形にすること、つまり「個人の妄想を持続可能な事業として形にすること」にある。まさに、本書で言われていVISION DRIVENをベースに事業創造を行うという画期的なプログラムであり、改めてのその価値とビジョン思考の持つ破壊力についてひしひしと感じているところである。

プログラムの中で、アートを活用した言語を介さない内面表現や、自分が実現したい10年後の世界の手書きでのビジュアル化等を通して、金銭や社会的承認への渇望に留まらない、自己のより根源的な願望と向き合うことができた。イメージ脳と言語脳の激しい往復を要求される事業計画作成と超個人的な話に他者を共感させるためのストーリー作成にはかなり苦労したが、ビジョン思考の方法論を掴むには、大変良い機会だった。行政がこんなプログラムを主導するというのだから、時代も随分変わったものだ。

改めて、関係者の皆様には感謝と御礼申し上げたい。

ちなみに、僕はプログラムでこんな10年後の実現したい社会の姿を描いた。
(今ならもっと解像度高いものができるはず……これでは雑というか、メッシュが全然細かくない)

ビジョン図FB_1209

そんなこんなで、僕はその時に描いたビジョンを駆動力に、プロトタイピングを自分なりに繰り返しながら院内・湯沢市という小さなコミュニティ、小さな自治体で様々な取り組みを仕掛けている。最初に産み出したプロトタイプとは大分違う形で事業創造(=地域社会デザイン)が進んでいるが、ビジョンに共感してれくる仲間は確かに増えたし、その繋がりも強くなっているのを感じる。思えば、活動の資金なんかも何だかんだ言って賄えている。ゆっくりではあるけれども、僕が描いた10年後の地域社会に近づいている手応えがある。そう言えば、このプログラムを終了して1年後に登壇した秋田県のビジネスコンテストでは同じテーマを扱って、入賞もさせていただいた。

僕が扱った「東京一極集中の解消と地域再生」という社会課題は扱うには大きすぎたと当時は思っていたし、実際事業にも失敗したのだけれど、「10年後に都市と地方で人口の逆流が起こるという」という妄想を駆動力にするのは、ビジョン思考の文脈で言うと実は結構いい線いってるんじゃないかということに、この本を読んでいて気がついたのだ。実に感謝なことである。

そう、僕はビジョン思考の分野では、一定程度フロントランナーのカテゴリに属している。そのことは主観的にも、客観的にも理解しておくべきだろう。

最初のプロトタイプは派手に失敗したが、僕が本当に問題にすべきは失敗したことではなく、「自分の妄想の価値を低く見積もっていたこと、さらなるプロタイピングをないがしろにしていること、妄想を磨かなくなってしまったこと」だ。もう一度、自らが心の底から欲するものと向き合い、ビジョン思考のサイクルに自らを投じて手足を動かすことが、今本当に求められていることだと感じる。本書でも言われているように、論理や戦略の世界にはいくらでも「猛者」がいる。この世界で抜き出るのは至難の業だし、そんなのは得意な人達に任せておけばいい。

僕はビジョン思考の世界で勝負してみようと思う。
もちろん、論理や戦略の部分も軽視はしないし、一定程度の理解は必要とは認識しているが。

本当に妄想は世界を変え得るか?

さて、終章で著者の佐宗氏は大変興味深い記述を残している。
多分、これらのことは経験した人しかわからない世界だと思うので、一応そこそこの経験をさせてもらっている身から、「その通りである」ということを補足しておきたい。

・他人の視点や市場からの評価を脇に置く。「自分モード」のスイッチをオンにしておきながら、背中を押してくれる「大波」を待つ。そうすれば、どこかで期待を超えた爆発に巡り合える。

・クリエイティブなことをしている状態においては、その行為自体から幸福感を得られる。

・自分だけのオリジナルな妄想を突き詰めれば突き詰める程、逆説的に、同じような妄想を描く人と出会う。ビジョンドリブンの人程、同じビジョンを持つ人と一緒に何かを成し遂げたい、と考え、マーケットを見ている人程、相手を出し抜こうと考える。

・「内発的な関心」にフォーカスし、どこまでもオリジナルなビジョンを突き詰めていくと、それは何故か社会的な課題解決のような大きな流れへと接続していく。

個人の内発的な関心の力というのは、益々力を帯びてくると感じている。これから世界がどのように変質していくか、いや、個人の妄想がどのように世界を変えていくのか、観客席で眺めているのではなく、当事者として体験していきたい。

こっち側の世界はなかなかに面白い。

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