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【#バトンリレー企画 人生は人喜ばせ合戦】〜友人の言った言葉の破壊力〜

私の大切な友人で、コネクション・プラクティスの認定講師で、noterのかよちゃんから


チェーンナーさんの企画する
【バトンリレー企画2023 ◎人生は人喜ばせ合戦】のバトンを受け取りました。


チェーンナーさん、かよちゃん、ご縁をいただきありがとうございます。

チェーンナーさんの【人生は人喜ばせ合戦】というこの企画は、
・自分がしてもらって嬉しかったこと
・人が喜んでくれたこと
をテーマに、自分自身の体験を記事に書き、次の方にリレー形式でつないでいくというものです。

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 私が嬉しかったことってどんなことだろう?
人が喜んでくれたことって何だろう?
そう思いを巡らせた時、ふと思い出したことがある。
今回はそれを書いてみようと思う。

ウチの夫はアメリカ人で、私達は世間でいう国際結婚夫婦だ。
そのご縁でこれまで何組かの国際結婚したご夫婦との出会いがあった。

その中にサヤカさんという日本人女性がいる。
サカヤさんは、体の大きなアメリカ人の夫と、うちの娘より一つ年が下の息子さんと3人家族だった。

私達が知り合ったのは、娘が1才で、サヤカさんの一人息子のTが生後6ヶ月くらいの赤ちゃんの頃だ。
それから6年くらい、サヤカさん達が海外へ引っ越すまで、家族ぐるみでお付き合いをしていた。

私とサヤカさんはウマが合い、よくお互いの家を行き来した。

サカヤさん達が住んでいるところまで、ウチからは40、50分くらいで、最寄り駅から電車で一本。
下の子をベビーカーに乗せ、娘の手をひいて、親子3人でよく遊びに行ったし、サヤカさんも息子のTと2人で遊びに来た。

私達は、子育てのこと、アメリカ人夫のこと、当事者同士だからこそ伝わる国際結婚のことなど、本当にたくさんのことを話し共有した。

私が下の息子を妊娠中、そろそろ予定日も近いという定期検診で、破水するかもしれないから気をつけるようにと医師から言われた。
サヤカさんと会った時に呑気にそんな話もしていたようで、サヤカさんは相当心配をしていたらしい。

その時、娘は3才。夫はいつも出張で不在の為、うちは母子家庭みたいだった。
私の実家も他県にあり、サヤカさんは娘を預かることを提案してくれたが、出産予定の病院が、いつ何時でも娘を一緒に連れて行ってもいいとお墨付きをくれた為、サヤカさんには感謝とともにそれを伝えた。

私はそれから間も無く破水することもなく出産し、メールで報告した。サヤカさんは一人で私達親子に会いに病院まで飛んで来た。そして、母子が元気で安心したと言い、産まれたての息子を愛しそうに抱っこして誕生をとても喜んでくれた。

私はそんなサカヤさんの気遣いが本当に嬉しかった。有り難かった。心強かった。

サヤカさんの方はというと、一人息子のTは、体の大きな父親のDNAを受け継ぎ、幼いながら手足のスラリと長い、超かわゆいハンサムボーイに成長していった。

そして、サヤカさんの話を聞くに、Tは私が見て知っている以上に、めちゃくちゃ活発な男の子のようだった。
よく「あれはマグロだね。回遊魚だよ。止まれないらしいよ」と苦笑いしながら言っていた。

雨の日もカッパを着て自転車を乗り回すとか、土砂降りの中、公園で滑り台でひたすら遊ぶとか、
「雨の日の公園なんて誰もいない」
「とにかく家の中にいたらもたない」
と言いながら、いつも親子で外に出ていたみたいだ。

私はいつも「え”ーっっ」と驚いたが、その時はまだサヤカさんの本当の大変さをわかっていなかった。

あと、サヤカさんの話を聞いていると、児童館に行った時などに、そこにいる男の子達にTがいじめられることがあるような印象を受けた。

私も一度だけ、そんな場面を見た。

ある時、私達は共通の友人の息子さんの誕生会にそろって親子で参加した。
私達の他に、主役の子の保育園の友達親子も7、8組参加していて、とても賑やかな誕生会だった。子供達はうちの娘と同じ年で、Tより1つ上の学年だった。

子供が10人近くいるので、そりゃもう賑やかだ。
保育園男子が走り回っている。

サヤカさんは私達と話しながらも、ずっとTのことを目で追っていた。
心配というより、なにをやらかすかわからくて目が離せなかったのではないかと思う。
という状況は、私も自分の息子が成長するにつれて理解できたことだ。

そんな中、男子達の様子がなんだかおかしい。と感じた。
気をつけて見ていると、普段から仲良しであろう保育園組の子達が、その日初めて会ったTをからかい、仲間に入れないように逃げ回っていた。
Tはそれを一緒に遊んでいると思ったのだろう。笑いながら彼らの後を追う。

その時、1人の男の子がTに近づいたと思ったら、腹部をパンチして、仲間のいる方へ走って行った。
Tはお腹を抱えてかがみ込み、そのままうずくまってしまった。
私は、あっ! と思いサヤカさんの方を見たが、サヤカさんは何も言わずにTの様子を見ていた。

負けるな。立て。強くなれ。

多分サヤカさんはそう思っていたのではないかと思う。悔しかったと思う。
男の子だし、一人っ子だし、将来どこの国に住むかわからないし、強く育って欲しい。
ハーフってだけでも色々あるのよ。
サヤカさんは普段からそう言っていた。

でも、どう見ても相手が悪いぞ。
しかもTはまだ3才か4才だった。

私はうずくまっているTのところに行き、
「T、どこが痛い?」と顔をのぞき込んだ。
そして気をつけながら自分の膝の上にのせて抱きかかえた。
Tは苦しそうにしていたけれど、声も出さずに泣くの堪えていて、こんなに小さいのに…と私は胸が痛くなった。

直ぐにサヤカさんが近づいて来て、
「Seikoさん、ありがとう」と言って、私の膝からTを抱き上げた。
サヤカさんが悲しそうな、複雑な表情をしていたのを覚えている。
そこへ、パンチをした子の親らしき人が慌てた様子で走って来て、「すみません」とサヤカさんに謝った。
サヤカさんが何と答えたのかは聞こえなかった。

こういうことがあるのか。
サヤカさんの話す児童館でのことは、こういうことか。サカヤさんとTは、こんな風に嫌な思いをすることがあるんだ。

西洋人の父親似の容姿をしているTは、日本人の子供達の中にいると目を引く。
見た目が違うという理由で、からかいの的になることがあるのは事実だ。
だからサヤカさんは、強くなれ、そう思っていたのだと思う。

あの頃、サヤカさんは本当に大変だったのだと思う。
一度だけ「Tと一緒に死のうかと思った」と言ったことがある。
私は驚いて何か言ったけれど、何と言ったのかを覚えていない。
あの時の私がサカヤさんを余計に傷つけるようなことを言っていませんように…と心底思う。

確か、それからTを保育園に預けて仕事をしたり、Tが精神的に落ち着くようにと気にかけながら、試行錯誤を繰り返していたように思う。

そしてTが小学校にあがる前、「海外に引っ越すことになったの」と打ち明けられた。
外資系の企業に転職したご主人の勤務地に合わせてのことだった。

「行っちゃうんだなぁ」
もう簡単には会えなくなると思うと無性に淋しかった。

日本を発つ直前にサヤカさんが一人でうちにお別れを言いに来た。
娘も息子も小学校と幼稚園に行っている時間で、私とサヤカさんは二人で静かに話すことができた。
「Tを保育園に迎えに行く時間だから」
そう言ってサヤカさんが立ち上がるまで。

玄関まで行くと私達はもう一度、ありがとうと言い、また会おうね、と多分ハグをした。

そして扉から外に出た時にサヤカさんが言った。
「今までありがとう。
   あなたがいてくれてよかった。
 私はあなたに救われた」

思いがけない言葉に驚いた。
けれど、サヤカさんがそんな風に思っていたことを知り、それを伝えてくれたことも…嬉しかった。

知らないうちに、少しでも自分が大切な人の支えになれていたのなら、それはとても嬉しい。

でも、時間が経てば経つほど、サヤカさんの言った言葉が私の中に深く浸みていくのはどうしてだろう? ありがとう、と思うのはどうしてだろう。
そう言われたことがそんなに嬉しかったのか。

ある時気づいた。
もしかしたら私は、あの時の言葉でサヤカさんの知っている私を全肯定してもらえたような、そんな気がしているのかもしれない。

思い出すたびに力づけられる。

もしまた会えたら、サヤカさんにそのことを話してみよう。
彼女はなんて言うだろうか。

ここでバトンリレーのアンカー宣言をさせていただきます。

#人生は人喜ばせ合戦

最後までお読みいただき、ありがとうございました。












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