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任天堂の岩田聡さんのビジョンが凄い

前回、「三井寿ばりにあきらめの悪い男を目指したい」という記事で、抜け道を探す考え方が大事という話をしました。

任天堂の元社長の岩田聡さんの話をまとめた「岩田さん: 岩田聡はこんなことを話していた。」という本に、より具体的に抜け道を見つける話が載っていました。マリオの生みの親である宮本茂さんについて語っている部分です。

たとえば、「できません」って言うプログラマーがいたときに、「なんとかしてください」って言うんじゃなく、「どういう仕組みになってるの?」って訊くんですね。すると、プログラマーから仕組みを説明されるので、「じゃあその仕組みをこう利用したら、こういうことはできないの?」って提案すると、「それならできます」っていうふうになるんです。

(中略) 宮本さんは、ゲーム全体を動かすためのプログラムの設計をしているわけではないんですけど、一個一個のシンプルな仕組みについては、だいたいどういうことなのか、そうとう正確にわかっていると思います。 というのも、やっぱり、原理と機能をわかってしゃべってる人なんですね、宮本さんは。だから、専門の知識がなくても、プログラマーとやり取りできるんですよ。自分がやりたいことを実現するために、「できない」と思い込んでいるプログラマーのかわりに、どうすればできるかを提案できるんです。

相手のやっていることの仕組みを理解して、効果的な質問を投げかけていくことが大事、ということですね。

一方で、抜け道を見つける考えの大前提となる大切なことが、「どういうことを実現したいかを描く」ということです(いわゆるビジョンというやつですね)。

「これを実現するべきである」という強い想いと信念があるからこそ、それを達成するために抜け道を見つける思考が必要になるということで。

この本を読んでいると、この「何を実現したいのか」ということがどういう考え方をしながら導き出されているのが分かって、めちゃくちゃ面白いです。

例えば、岩田聡さんは任天堂の社長になってから、「ゲーム人口の拡大」というコンセプトを掲げましたが、それらは下記のような考え方から来てます。

そんなふうに、任天堂は、ゲームをしない人にアプローチをしてはいますが、ゲームをする人のことを無視しているわけではなくて、ゲームをしない人がゲームを理解するようにならないと、ゲームというものの社会的な位置がよくならないだろうというふうに考えているんです。

ゲームばかりやっているとダメになるとか、脳が壊れるとかいういい加減な話まで含めて、ゲームに社会的な悪いイメージばかりが先行してしまう。そうすると、ゲームが好きな人でさえ、遊ぶことに妙な罪悪感を感じはじめてしまう。 それはゲームをやっていなかった人がゲームをやり、ゲームのおもしろさを理解することによって、ものすごく変わる可能性があるわけです。ゲームをやる人の社会での居心地がもっとよくなれば、ゲームらしいゲームだって、もっとつくりやすくなる。 

(中略)すごくゲームが好きで、ものすごくゲームが上手だという人も、むかしはライトユーザーだったはずなんです。それを考えると、やっぱり、新しい人が入り続けることはとても大事なんです。新しい人が入るようにしておかないと、いつかかならずお客さんはいなくなってしまう。

さらに、その考えのもと、本の中では、「Wiiのコントローラーの正式名称はリモコンにしよう(なぜならテレビのリモコンは、家族みんなが気兼ねなく手にとって操作するから)」「ゲームは1日1時間を守るために、ゲームを始めて1時間後に、電源を切れてしまうようにできないか」「毎日電源を入れっぱなしを実現したい」というような具体的な施策の話につながっていっていく様が描かれていて、非常に勉強になります。

そのうえで、最も印象的だったのは、そういった新しいものを出していく上での不安や恐怖をどう乗り越えたか、に関してで、下記のように語っています。

これまでとまったく違うものの価値が世の中にどう受け止められるのかという不安はあります。でも、だからこそ逆に、これを伝わるようにしなきゃいけないっていう闘志も湧くんです。

自分たちがやろうとしていることが、これまでの延長上にないということは、成功が保証されていないことはもちろん、「最低こうだ」とか「悪くてもこうだ」という開き直りすら、できにくいことでもある。ひょっとしたら、大すべりするかもしれない。 開発の当初は、個々に不安があると思います。技術的なこと、目指すものが具体的に見えないこと、方針がうまく理解できないこともあると思います。やはり、人と違う道をとるというのは、本来恐怖ですから。「みんなで進めば怖くない」というのが、いまのふつうの社会での生き方なのに、人と違うことをしなければならない。「人と違うことをするとほめられる」というのが任天堂という会社のカルチャーではありますけど、違うことの種類も規模も大きく、人と真逆に行くようなときは、とくに恐怖が大きい。

しかし、わたし自身は、なによりも、従来の延長上こそが恐怖だと思ったんです。
いつ変わるべきなのかは、きっと誰にもわかりません。ぼくらが舵を切ったとき、この任天堂の新しい方向が、1年後に理解されるのか、2年後なのか、3年後なのか、あるいは5年後なのか、それはわかりません。 でも、従来の延長に未来はないわけです。 いまのまま進めば、どんどん力だけの戦いになっていって、ついていけるお客さんの数もどんどん少なくなっていく。だから、そっちじゃない道に舵を切るということだけは、もう、はっきりとしていたんです。 ただ、どのくらい舵を切れば、世の中の人がスッと理解してくれて、共感してもらえるようになるかは、わからない。

だけど、真っ直ぐこの延長線上を行っても未来はないんですから。未来のない道を、ゆっくり終わりに向かって進んでいくというのは、自分たちが努力する方向として意味がないと思ったので、そこはもう、腹がくくれていました。 ゲームをやる人の数が増えてくれたら、かならず未来につながる。そこは、確信が持てていたんです。

考え抜いたビジョンだからこそ、恐怖や不安も乗り越えて、実現に向けて邁進することができる、ということですね。

これらの結果として、コロナの追い風はあれど、今回の任天堂の圧倒的な決算につながっていると思うと、完全に脱帽です。

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