偶然SCRAP#44: 「文化は生得権である」:現在活躍中の8名のUKアーティストが考える学校からのアート排除の危機について

(追記:2020年1月1日)
なんでこの記事に興味を持ったかというと、元々教育に関心があるのと、そこから「アートが排除!?しかもイギリスで!?」ということで気になった。

で、よくよく調べてみたら、全くなくなるわけでなく、大学進学に必須な科目のなかに入らなかっただけで、選択科目としては残るという。これまでは必須科目っていうのがなかったけど、これからは「英語と数学、理科、地理か歴史、外国語の5教科で全てグレードC以上を取る」のが必要ってなったらしい。

労働党の時代は、もっと「手に職を」的な科目に力を入れてたけど、これからの時代に向けて、ということらしい。まぁ、アートでも、上記の5教科は土台となる重要なものなのだし、これがないと大分偏った仕事しか待ってないから良いんじゃないかと思う。

ただ、日本の国語のセンター試験改変よりはましだけど、歴史とかも文脈を横断的に理解できるようにとか、教える側にとって難易度が上がって、にも関わらずまだ「どう教えればよいか」が整備されてなくて、現場が困っているということらしい。でも9年前からもう変わってる。し、元々、文脈的な考え方や議論の組み立て方なんかについては、彼らはやっているから日本とはちょっと違う。

日本の国語の記述式の問題なんか、記述式である意味がそもそもないような問題だし。テレビで出てくる例題くらいしかしらないけど。まずは小論文の授業を取り入れるところからでも、まずは十分な気がする。

(初投稿:10月6日)
イギリスのアートマガジン「Frieze」の1年ちょっと前の記事ですが、イギリスの中等教育においてアートを除外する動きに対する8名のUKアーティストの抗議の声が掲載されていました。それを引用紹介します。

イギリスの教育制度は、向こうの大学にいた当時に現地の同級生に少し聞いただけですが、日本とシステムが違いすぎて、統一テストみたいのがあって、その成績が大学に入学するときに重要になるとか、A-levelとかGCSEとかというその試験の名前程度以上のことは知らなかった。

今回は単純に「学校教育からのアートの除外」というキーワードだけでこの記事に興味を持ったわけだが、改めて調べてみると、完全に除外されているわけでないことが分かった。全体像を全て掴んでいるわけではないのだけれど、この記事を最低限客観的に理解できるだけの情報は分かったと思うので、記事の紹介の前に説明したいと思う。

てっきりこの記事が掲載された1年前に、これから導入されようとしている教育政策に関する抗議かと思ったのだが、この議論の対象となっているEnglish Baccalaureate (Ebacc) [英国バカロレア資格]というイギリスの中等学校の生徒の学力の測定基準は既に2011年から導入されているものでした。

このEbaccは、GCSEという生徒が受講する中等教育修了一般資格試験の成績に基づき、学校自体を評価する指標らしい。これまでの学校の評価はGCSEの成績に基づき、「英語と数学を含めた5教科と英語・数学を含めない5教科でグレードA*からCを取ることができたか」(伊東: 2012 )で学校の学力が評価されていたが、新たに導入されたEbaccでは、「英語と数学、理科、地理か歴史、外国語の5教科で全てグレードC以上を取る」(伊東: 2012 )ことが学校に求められることとなった。イギリスの生徒が大学に進学するには、GCSEの後に、2年間A-levelという試験に向けて3~5教科を専門的に勉強し、その試験に合格する必要があるそうです。

つまり、学校側からすると、今までは英語、数学以外の科目の生徒の成績の良し悪しが個別に議論の対象になることはなかったが、Ebacc導入以降は前述の5教科に力を入れなければならなくなる。一方、生徒はこの5教科だけを学ぶのかというと、そうではなくあと2教科分はアートを含む色々な科目を選択することができるようだ。

2011年以来、このEbaccの導入に伴い、必修科目の指導哲学も大きく変わり、なかなか教育現場では教える人材や教材を含めて整備が整っていないことや、その指導哲学についても理想主義だとの批評もある。徐々にアップデートされているものの、イギリス国内では常に注視される教育政策のようである。

で、今どうなっているのかと、今年の8月のThe Guardian紙のウェブ版記事 を調べてみると、アートに関しては、履修する学生は去年より9%増加したらしい。一方で、音楽や演劇、デザインテクノロジー等は軒並み減少しているとのことだった。

今回の翻訳記事に関する前提情報はだいたいこんなところで許容していただきたい。この程度だが、調べてみると、今回の記事におけるアーティストの学校教育でのアートの重要性に関する主張は、生徒に対するアートが持つ教育効果や良い影響を与える可能性の具体的事例と捉えるに留めておこうと思った。

個人としては、アートは統合性、批評性、行動力、自律性、責任、リスクテイク、社会性、政治性、歴史性、文脈性等といったキーワードに関わる実践を通した姿勢を身につけられるように体系立てられているレアな学問であり、もちろんそう簡単に身につくものではないが、人間は偶発性に基礎付けられた動物であるという感覚に触れられ、体系的にその感覚を育むことを狙いとした価値ある教科であると強く信じている。

以下、引用翻訳

Opinion /
「文化は生得権である」:現在活躍中の8名のUKアーティストが考える学校からのアート排除という危機について
12 JUN 2018

なぜアートを必修科目とすべきなのか:論争を呼ぶEnglish baccalaureate [英国バカロレア資格]の政府による推進に伴って

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先月[2018年5月]、104名の一流のUKアーティスト―15人のターナープライズ受賞者を含む―が、新しいEnglish Baccalaureate (Ebacc) qualification [英国バカロレア資格]におけるアートのmarginalization [周辺化]に抗議する公開書簡に署名を行った 。彼らはイギリス政府に、secondary school [中学・高校に近い]の施策を再考するように求めた。その施策は、科学、英語、数学、語学及び地理あるいは歴史をsecondary schoolの必修とするもので、アートは含まれていない。政府は、GCSEの学生の90%が2025年までEbaccとの併用を希望していると述べている。しかし、批評家は、公立の学校で、クリエイティブな科目の侵食が進んでしまうと警告している。ここに、8名の署名した人物―Sam Taylor Jonson, Rose Wylie, Ryan Gander, Liliane Lijn, Zarina Bhimji, Liam Gillick, Paul Noble, Rose Englishは、彼らがなぜアートや文化にアクセスしようと考えるのかということを説明する。公立学校はイギリス経済にとって一年間で920億ポンドの価値を持つ―公立学校は、全ての子どもたちにオープンであるべきなのだ。

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Liam Gillick, ‘The Lights are no Brighter at the Centre’, 2017, installation view, CAC, Vilnius. Courtesy: the artist

Liam Gillick
Liam Gillick is a British artist, based in New York. He was nominated for the Turner Prize in 2002.

人間がクリエイティブであることは広く理解されている。この創造性というものが、教育と遊びへの最初の道として活用されていることは明らかだ。遊び、創造性および教育は、私たちと他者および私たちの周囲の世界を結びつけるのに役に立つ。しかし、「創造性」という概念は、―アート教育に対して、人々をcynical [冷笑的な]態度に導いている―新自由主義的なマーケティングによってハイジャックされている。継続的なアート教育は、私たちが世界を見て、世界を作り変えるために役に立つ重要なプロセスです。混乱する文脈の中で、若い人たちが自分たち自身を新たに認識するという可能性を排除するということは、イメージを生産するのではなく、イメージを受容するだけの人工的な世界に彼らを見捨てるということです。

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Zarina Bhimji, Jangbar, 2015, film still. Courtesy: the artist

Zarina Bhimji
Zarina Bhimji is a Ugandan, British and Indian artist living and working in London. She was nominated for the Turner Prize in 2007.

私は、学校生活の初期段階におけるアート教育は、後の人生であなたが何をするかの選択に大きな影響を与えると信じています。私は学校で、私の条件に合わせて私にアートを紹介してくれた先生がいたことは幸運でした。私は特権的なバックグラウンド出身ではありません。そして同様の立場にいる多くの人は、専攻としてアートを選択するのは簡単ではないかもしれません。しかし、私は、私にテキスタイルを教えてくれた先生に鼓舞されて、Goldsmithsに行きました。学校でアートを発見したことが私の人生を変えたのです。それは私を捕らえ、完全に私を占拠しました。私は、とても特別な何かを発見したのです。

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Cover for Abstract Vaudeville: The Work of Rose English by Guy Brett, with texts and scripts by Rose English and interviews by Anne-Louise Rentell, edited by Martha Fleming and Doro Globus (Ridinghouse, 2014)

Rose English
Rose English emerged from the Conceptual art, dance and feminist scenes of 1970s Britain to become one of the most influential performance artists working today.

文化は、全ての子供の生得権です。経済的な状況や階級によって、学校でアート科目を学び、実践し、参加し、また楽しむことへのアクセスを拒否されたり、水を差されたりする子どもがいてはなりません。思考は、様々な形で発生するものです―見ること、描くこと、作ること、動くこと、遊ぶこと、歌うこと、そして話すこと。これらの多様な形との出会いが、子どもたちがやがてアーティスト、ダンサー、ミュージシャンや役者になろうが、なるまいが、彼らを豊かにさせ、またそれを可能にもさせます。このEbacc施策は、公立学校におけるアートにとって相応しくない環境になっていくこと、およびアート科目を学ぶ機会が次第に減っていくことは明らかです。結果として、私たちは皆貧しくなっていくでしょう。

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Liliane Lijn, Woman of War, 1986. Courtesy: © Liliane Lijn, all rights reserved; Photograph: Thierry Bal

Liliane Lijn
Liliane Lijn is an American-born artist living and working in London. Well known for her work with kinetic text, a new commission Converse Column will go on show at the University of Leeds this autumn.

もし私たちが、イギリスにおいて平等が重要であると信じるならば、―人種、宗教、ジェンダーの平等、年齢の平等、雇用機会の平等など―私たちの子どもたちから文化との本質的な接触を奪う新しい教育政策を作るということは、不条理で、時代錯誤で、無責任に見えます。科学は重要かもしれません、しかし科学もアートなしには発展しないでしょう。私たちが現実を理解するには、多様な分野の間で、たくさんのコミュニケーションを必要とするのです。

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Sam Taylor Johnson, Self Portrait in a Single Breasted Suit with Hare, 2001. Courtesy: the artist

Sam Taylor-Johnson
Sam Taylor-Johnson OBE is an English filmmaker and photographer.

子どもの頃、私は決して学問的ではありませんでした。私は頭がよく、物事に精通していて、都会を生き抜く術を持ち、そして夢想家でした。でも、全く高成績を取る生徒ではありませんでした。それどころか、全てにおいて低い成績でした。私はアートの授業でのドローイングでさえ、得意ではありませんでした。しかし、私が掴んだもの、私はそれが重要だと分かっていました。―そして、アートの授業の中でだけ、私はその何かを大切に育てることができました。私はたくさんのアイデア―大きくて、野性的で、手に負えないアイデア―を持っていました。そして、そのアイデアについて話すことができたところは、アートの授業だったのです。美術の教室は、私に声を与え、同様に、実験、失敗、成功する場所を与えてくれました。そして、それは全てのアイデアが有効であり、探索したり、考えたり、夢を見て、そして実現する価値があるものである、ということを私に教えてくれました。様々なアイデアは、あらゆる意味で価値を持っているのです。―アートや文化は、私たちの最も重要な産業の基盤です。これらを失って、私たちは何を育てるのでしょうか?

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Paul Noble, Black Door, 2015. Courtesy: the artist and Gagosian; © Paul Noble; Photograph: Mike Bruce

Paul Noble
Paul Noble is a British artist. He was nominated for the Turner Prize in 2012.

1963年に生まれ、1970年代に学校に通えたことは比較的に運が良かったです。その次代は、予算が潤沢についたcomprehensive school [統合制中等学校]のsyllabus [授業計画]は、ダンス、演劇、陶芸、詩、木工、金属加工、音楽、製図、アートが含まれていました。私は、イメージを使って考えるという部分を成長させることができました。私は、元気だった世代の出身です。なぜなら、少しの間、上流階級が紙貼り力を失っていたからです。左派を恐れて、上流階級の子どもたちは、上流階級の学校に身を隠しました。しかし今、彼らは戻ってきて、臆面もなく、私たち一般の人々に対する階級戦争を仕掛けています。彼らは、低い社会階級の子どもたちにより良い世界を夢見て欲しくないのです。その代わりに、彼らはそういった子どもたちにクソな賃金とリアリティーのないテレビを見る人生を準備させたいのです。

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Ryan Gander, It’s got such good heart in it [その中にあるあんなに良い心を捕まえた], 2012. © Ryan Gander; Courtesy: the artist and Lisson Gallery.

Ryan Gander
Ryan Gander is an English artist living and working between London and Suffolk.

私たちの教育システムついて意思決定する人々は、彼らが知っていること―彼らが受ける儀礼的で、盲従的な教育(私立に言った彼らの内のほとんど全員)―だけに基づいて、教育システムを作る。彼らの勝手なイメージで、私たちの子どもたちを形作ります。皮肉なのは、彼ら自身がイノベーターからはかけ離れているからか、さらに認知の機敏さなや慈悲を欠いているからか、彼らは立派なスーツを着て、こつこつ働こうというような美辞麗句を並べるのだ。差異の減少と差異に対する共感は、ありふれた意外性のないものに取り替えられました。クリエイティビティはイギリスの最も大きな輸出品です。輸出するクリエイティビティは、危険を冒すことでもたらされる―危険とは、誇張された芝居づくりを見抜いく意思決定や誤りからの学び、勘違いによる励まし、そして私たちが抱える問題の普通じゃない解決策を発見するという才能のことです。輸出するクリエイティビティは、情報を無理やり覚えさせられることからは生まれません。少なくとも今はテクノロジーが私たちのために情報を持ってくれています。アートはクリエイティブな市民権の源であり、アート教育は、私たちの社会のあらゆる部分に染み込んでくるイノベーティブな思想家たちを作るのです。私自身に関して言えば、どちらかと言うと、アートスクールに通っていない消防士より、通っていた消防士に助けられた方が良いと思うと、私は理解しています。

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Rose Wylie, Lolita Later, 2018. Courtesy: the artist and David Zwirner

Rose Wylie
Rose Wylie, OBE, is a British painter.

アートは、習うとか暗記しなければならないものではありません。あなたはそれを感じて、実行に移さなければいけません。―そこには台本はなく、それは一つに結合していて、あらゆる場所にあります。それは、あなたがぴったりはまる、あるいは活躍できる人生の中の居場所になるかもしれません。もし、あなたがそれ以外のことが上手く行かないように見えたとしてもです。各自の直観的な姿勢、クリエイティブな歓び、そして将来の文化的インクルージョンにとっての可能性を養うこのイントロダクションを過小評価することは、多くの子どもたちを切り捨てることになるでしょう。しかし、私たちは彼らが必要なのです。

Main image: ‘Schreibtischuhr’, Galerie Meyer Kainer, Vienna, curated by John Rajchman, artists selected by Liam Gillick, 2017, installation view. Courtesy: Liam Gillick

以上
(翻訳:雄手舟瑞)


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