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ふたつの「世間」を意識する

最近少し考え事をしていて、頭の中が整理できない状況にありました。すごく気持ちの悪い状況でしたので、なんとか整理しようと混乱していることを書き出して並べ替えてまとめて・・・を繰り返しました。
まさに情報設計の一歩目をした感じですが、ひとつの結果が出てきたので今回はそれを共有しようと思います。

どうも稲本です。福岡でコミュニケーションや情報伝達に関わる仕事をしています。普段から毎日noteを更新したり、ポッドキャストを週一回リリースしたりと日々情報発信をしています。よかったらフォローやスキ、コメントいただけると嬉しいです。ツイッターのフォローもお願いします!

タイトルがいきなりの結論になっていますが、"ふたつの「世間」を意識する"ということです。僕らはついつい「世間」を考える際に1つの世間として考えてしまいます。一番わかりやすい世間は「身の回りの世間」です。つまり、生活者として関わっている世間です。

この「世間」だけをベースにさまざまな議論をしてしまうと、どこかで違和感を覚えることになり結局堂々巡りを起こしてしまうことがありました。

そこでもうひとつ意識しないといけない「世間」があるというアプローチが必要になるのです。それは、「作る側の世間」です。

「消費者の世間」を作る世間があるということです。

かなり抽象度が高いので、具体例を挙げてみますが、例えば「車」。

車における「消費者の世間」で今世の中に出ている技術は、検知システムとか自動ブレーキとかです。しかし、「消費者の世間」を作る世間も存在します。そこでは、完全な自動運転や、車からモビリティへ変化しているようなもうハンドルすらない乗り物です。

「消費者の世間」と「作る世間」との間には、未来に向けた時間差があるのです。

さて、冒頭に戻りますが、僕が整理できていなかったのは、この2つの世間があることの意識が足らなかったということです。

どちらかというと僕は「作る世間」にいたいと思っていながら情報を集めていますが、その「作る世間」は時間軸として先に進んでいます。「消費者の世間」から見れば、「知らないこと・わからないこと」だらけです。

消費者の視点から見れば「それって何?」な状態ですから、結果としてニーズがないということだってありえるわけです。

iPhoneで考えてみましょう。

もともとiPhoneはなかったわけです。消費者の世間では「ない」ものでした。そこでiPhoneの登場です。登場したってことは、作る側の世間においては随分前からiPhoneはあったんですね。

では、「消費者の世間」で認知されていなかった、一般的ではなかったから・・といってiPhoneが世の中に求められないものだったか・・・答えは自明です。

それを考える時に、やはりジョブズのiPhoneの発表プレゼンを見るべきだと思います。この時にジョブズが描く世界にはネットワークコミュニケーションがありました。今となっては普通ですが、その時の聴衆の反応はいたって「?」マークが多い反応です。

少し話がずれましたが、ふたつの世間があるということを意識することで自分たちの今考えていることがどちらの世間での考え方なのかを整理することができるような気がしています。

まだ自分の中ではなんとなく導けた結論ですが、しばらくこの分類で考えてみようと思います。


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