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あの頃の自分が強かった理由



もともと大人しい性格で、だれかを嫌な気持ちにさせたり、八つ当たりしながら生きること自体が自分のポリシーに反していたので
そういうことだけは して来なかった
そういうことに関してだけは、自分に胸を張れることだと 密かに自負しているんだ。


中学の頃の中途半端ないじめに遭った頃から
そのころから、集団や社会や世の中に対して、" あきらめ "を抱くのがあまりにも早かったと思う、当時の自分。

幼少の頃から、父の癇癪持ちと、母親の理不尽なヒステリーに抑圧されて育った節があるから、反抗とか抵抗とか、そういう感情さえ芽生える以前に、社会の理不尽と戦うための牙をもがれて、自分の本当の気持ちを押し殺しながら、着せ替え人形のように 所有されていたんだと思う。
愛情はあったんだと思うけどね、
それが自分に合わなかった、感じられなかったってだけで。
こんな俺にも 心はあるし、聞き分けが良い子だからといって、みんな それを忘れ過ぎだよ
都合よく扱っていいわけじゃない。
そう 言えていたら。

中学でも高校でも、何か嫌な出来事があったり、理不尽なことをされたりしても正直、「自分に問題があるからなんだ」「自分が悪いんだ……」「自分が我慢していればいいんだ。」としか思えないまま、幼少から思春期、社会人になるまで盲目的に そのまま生きてきてしまったんだよ。まるで強がりのように。自らに課した、解けない呪いのように。


皮肉なことに、その間違った悲観的な考え方がおかしいことに気が付いたのは、ブラック会社を転々として、散々理不尽な目に遭って、さまざまな経験をした、
すでに " 心が壊れたあと "のことだった。。

俺は誰かに言われるがまま、命令されるがままに、自分というものを捨てて生きてきたから、自分だけの主観を大切にして 育てて生きてこれなかったんだなって分かるよ 
世間体や人の目をとても気にする、
見捨てられないように。
きっと、だれかに愛されることに しがみついていたんだな。さみしかったから
なにも希望など持てなかったし、考えることさえも放棄していたような気がする



普通、どこかの早いタイミングでそれが分かりそうなものだけど
俺、頭悪いし、鈍感だからさ。
閉塞的な場所で、多感な時期の長い間、すべてをあきらめながら生きてきた自分には、そんな簡単なことにさえ気付けないくらい、すべての物事が もう、どうでも良かったんだと思う
それに、他責思考で手を抜き続けていたことにも、目を背けていた
終わりにしたい気持ちが常にあったし、
あまりに そんな気持ちが当たり前のように 心の奥に抱かれていたから。
それは、特別なことでも何でもないことなんだ。


…… 

波風立てないように。問題を起こさないように、" ちゃんと生きよう "とし過ぎてしまったのかも知れないな
今ならそれが分かるけどね。
人生なんて適当なくらいで丁度いいんだよ。
何かを信じることも、きっとそう。




あきらめというものは、精神の安定に繋がるものなんだと、よく分かるよ
人にも周囲にも、社会にも期待しない、信じていないから。そもそもが裏切られることもないし
自分にも希望を持って生きていなかったから。誰かの心ない言動にさえ、心を揺さぶられることもない
悲しみは常にあるけどね、
自虐や自責さえも、当時の自分には、自己防衛だったんだなって思うんだよ
まわりに敵意を向けて暴れ回れていたら、それはそれで良かったんだろうけど、それをやって生きていたら、きっと、最悪の結果になってただろうね
破滅的にもっと 自分のことが嫌いになってたかも知れない。
こんなにも狂っていて、それでも美しいと思える 自分を取り巻く、この世界のすべての物事も。



だから、誰も傷付けないように、傷つかないように、とにかく自分自身だけを 責め苛みながら 真面目過ぎるほどに 生きていたよ
それが最良の選択だったんだと思うんだ
馬鹿みたいだけどさ。
当時の苦しかった自分には、そんなことくらいしか、自分もまわりも守る選択肢が それしかなかった

未だに感じる 周囲からの疎外感やさみしさ
そして何をしていても押し寄せて来る虚しさの源泉は、恐らく、そこからとめどなく湧いてきてしまうのだろうね
誰かに抱き締めて欲しかった欲求があって
過去に原因があるから、どんなことをしても 塞ぐことも出来ずに溢れてくるもの。
かなしい生き方だって分かるけどね、いまさら染み付いた絶望は 拭いきれないものだって理解してる。そして それはきっと、仕方のないことだった。


あの頃の自分は、ある意味 本当に強かった

それが 本当の強さでないことは 分かるつもり。
自分自身の存在に嫌悪し過ぎて、消してしまいたい気持ちを抱いていた あの頃。
それともなく今は、そんな過去の自分自身をちゃんと誉めて、認めてあげたいんだ
「誰にも気付いて貰えないつらさを抱えたまま、よくがんばって生きていたよ」
「もう、自分を責め続けなくても 大丈夫だから。」って。暗くて深い、負の部分も。

それが分かる人間は、自身を除いて、ほかにだれもいないんだからさ。 
そのくらいは許してほしい。
たったひとつの、唯一の" 救い "だから。


迎えに来るのが遅くなった今だけど
あの頃をやるせない気持ちで生きていたことも、消してしまいたい過去や自分自身でさえ。
やっぱり大切にしてあげなきゃいけないのかも知れないと思ってる。
時間を越えて、気持ちが変化してゆくこともあるんだなって、今はそう思うよ。

単純に人間がまるくなったからかな。
それとも、世の中とか、人間の生きざまを知って なにかに感化されたか。
その どちらでもあるのだから。

歩んできた道のりを、振り返ってみて。
その景色を 見渡してみたとき、
あらためて、遅れて、探していた答えが 見つかるようなことも あるんだな…… って。



単なる埋め合わせではなく
これからの自分を、心から望むことを
無理矢理押し込めてきたものを、ようやく解き放つようにして


もいっかい、新しく選んで生きてみるのも
実はいいのかも知れない。





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