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スタートアップ社員・個人事業主・在家修行者・臨床実習生の私が大切にしている生き方


1.はじめに

みなさまご無沙汰しております。お久しぶりの方が多いかと思いますが、お元気でしょうか。

ガッツリ近況報告でnoteを書いたのがもう2年前なので、今何をしているのかや今どんな生き方を大事にしているか、最近どんなことを考えているかなど、どれもアップデートされているのでどこかでまとめたいなとは思っていましたがなかなか時間が無くて…。

また、ほとんどのSNSを3,4年前に消してしまったこともあって、小出しに状況も報告できませんでした。

特に「今どこで何をしているの?」「仕事と学校どう両立しているの?」「医者にはなるの?なりたいの?」「いつ起業するの?」などのご質問は本当に多くいただいています。笑 (このnoteで全て言及したいと思っています!)

私は相変わらず修行と実験を続けています。2018,19年は「己を知る」。2020,21年は「資本主義でどっぷり修行する」。2022年は「人文知をインストールする」。2023年は「理想と現実を擦り合わせる」。という流れで人生を進めてきました。 

そして今年の2024年は「願いを形にする」をテーマとして活動しています。自分の願いを何かしらの形にしていきたいタイミングでもあったので、この機会にまとめたものを出そうと考えまして。

noteも月に1本書くか書かないかのペースで配信できればと思っています。ぜひお久しぶりの方や遠くで見守っていただいている方、初めましての方も楽しんで見ていただければ幸いです。

2.どんな生き方を大事にしているか

2-1.真の願いに気付き、人生を意義深く歩む人を増やす

まず今の私の活動や考えを語る時には、その根幹にある理念やありたい姿について話す必要があります。よくやっていること、つまりDoingに着目されがちですが、正直Doingはあまり重視していないです。

Doingをこのnoteのタイトルにガッツリ入れていますが、これはDoingに着目して欲しいのではなく、その根幹にあるBeingについて知ってほしいというメッセージを含めております。

Doingはその時々の人生のフェーズで変わりますし、よくこの部分だけ見られて一貫性がないなど言われることも時にありました。しかし、大事にしたい根幹のBeingは結局この25年近く変わってないと感じているこの頃です。

このBeingについてまずお話してから、その上で、今Doingとして何をしているか。そして、なぜそれをしているのかについてまとめていこうと思います。

まずBeingについてですが、私は「真の願いに気付き、人生を意義深く歩む人を増やす」ということが今の人生理念としてとてもしっくりきています。また仕事やプライベートでは8つのコアバリューを大事に握って活動しています。 

2-1-1.「願い」について

まず「願い」についてですが、これは「〇〇のような社会を創りたい」「〇〇を解決したい」など社会的に称賛されそうなミッション的なものではなく、「いかなる状況でも本当はどうありたいか」を示す言葉として使っています。

幼い頃は誰しも自己解放をしていたと思います。天真爛漫な子や元気な子もいれば、山や海のように落ち着いている子もいる。生まれた時からこの世界で自分は自分をどう表現したいか、どう表現すると心地よいかというなんとなくありたい姿みたいなものがあったのだと思います。

それが家庭環境や教育課程、時代ごとに良しとされる価値観、他者からの目などからの影響によって、徐々に見失っていくのだと思います。

特にポジティブケイパビリティ(目標を明確に掲げて、それを阻害する要因に対応することで、問題解決を推進する志向性)が重視される今の世の中では、どうありたいかよりどうスキルや経験を身につけるのか。どうライフハックするのか、などのOSにいつの間にか強迫観念のようにドライブされてしまうことはありがちですよね。 

私も家族や他者との関係性、キャリアなどの様々な状況において、強迫観念や思い込みにドライブされた結果、心が張り裂けそうになった経験を何度もしています。ただその度に自分の張り裂けそうな気持ちと向き合い、本当に大切にしたい願いを探究し、アップデートしてきました。

もちろんまだ願いの全容は見えていないですし、いつ見えるかも分からないですが、願いで生きる度合いを増やせば増やすほど幸せになっていきましたし、他者や社会にも徐々に寛容になれてきている気がしています。

また、自身の家庭環境や海外経験での影響から、幼き頃から人間の真の幸せや豊かさは何だろうと考え、問いながら生きてきました。

時にもちろん何かにドライブされてしまうこともありましたが、その度に自分の願いを問い、思い出し、そして痛みを味わい、無駄な執着を手放してきたことで昔よりもかなり身軽になりました。 

思えば過去に私が情熱的に活動できたものは、全てこの「真の願いに気づき、人生を意義深く歩む人を増やす」が表現できるものだったようです。この先、このフレーズは変わるかもしれませんが、ここの軸は一生変わらない気がしています。

2-1-2.「意義深く」について

また「意義深く」についてですが、私のニュアンスでは「酸いも甘いも味わいながら、それでも人生を価値あるものだと信じて歩んでいく様」というものです。

人生は修行だと思っています。社会は思ったより優しくないし、苦しいことの方が多いです。願いを持っていたとしても諦めがちになってしまうことはとても理解ができます。

でも25年しか生きていない私でも分かっていることは、理想と現実のGAPに苦しみながらも、諦めず歩もうとする姿・生き様からしか人に良い影響を与えられないということです。

他人を変えることはできない。というのは5年前に勤めた教育系企業で痛いほど学んだことです。また他人をコントロールしようとすればするほど変な方向に行ってしまうということも、管理職などの経験を経て学びました。

ただ他者を変えることはできないけれども、諦めずもがく姿が人に良い影響を与えることが確かにあるということも強く胸に刻まれています。

私は今まで、例えば上場に大きく貢献したとか年商〇〇億円の売り上げを上げたみたいな資本主義で認められるであろう成果は特に出していないです。しかし、関わりのあった企業やコミュニティにおいて、何かしら他者に良い影響を与えられてきたのではないかと確信があります。

実際に「もがきながらも諦めない姿をみて、自分も頑張ろうと思った」「何事にも真剣な姿から、いつもエネルギーをもらっている」などとの言葉を多くの現場やプライベートでいただいてきました。そして、そこから他者が仕事だけではなく、自分自身の人生に真剣に向き合うこととなった瞬間が、私にとってはたまらなく嬉しいことでした。

自己増殖できた時に初めて自他の境界線が外れた感覚になるんですよね。そして、その人と質の高い対話ができるようになって、自他が溶け合う感覚をいつも覚えます。そしてその熱く影響を受けた方がさらに他の方に影響を与え、どんどんシナジーが生まれていくのだと思っています。

何が結局言いたいかと言うと、自分はこの先も自分の人生に向き合い続ける姿を貫きたいということです。そしてその姿がもしかしたら誰かに影響を与えて、さらに影響の範囲が広がるかも知れない。そんなことを考えて今生きています。 

「真の願いに気付き、人生を意義深く歩む人を増やす」ためには、自分がまず真の願いを軸に生きて、人生を意義深く歩み続けるということを根幹に置いています。なので、この人生理念に反するような活動はするつもりはないです。

逆にこの人生理念に繋がることであれば、どんな活動や事業をやってもいいと考えています。また直接人生理念に繋がらないことでも、間接的に繋がっているものは辛くとも進んでやろうと決めています。

2-2.ナルトの生き様について

先ほど「いかなる状況でも本当はどうありたいか」こそが願いだと定義しましたが、私は誰かに例えるのであれば、少年漫画「NARUTO」のナルトのようであることを大事にしています。このあり様を分解したものをコアバリューと呼んでいて、主に8つ大事にしていることがあります。

まずNARUTOとは主人公ナルトが火影になるというのを目標に努力や挫折を繰り返し、最終的には戦争や憎しみと向き合っていく少年漫画です。

そのナルトは普段は優しく、明るく、そして熱い人物です。しかし、時に厳しく、本質的な言葉を仲間に投げかける時もあります。それは相手を傷つけるのを意図しているのではなく、あくまで相手のために投げかけます。また絶対に現実を諦めないので、その姿に周りが影響されていくのも大きな特徴です。

私がコーチングや対人関係で心がけたいことは、普段は相手に共感や理解を示す態度であり続けることです。ただ、必要な時には本当に相手を想い、もしかしたら嫌われるかも知れないが伝えるべき言葉や問いを鋭く投げかけることも心がけています。また絶対に相手に向き合ってもらうように、向き合い続ける。これはまさにナルトの生き様のようだなと思っています。

このような生き様をさらに自分なりに分解したものがコアバリューです。企業では行動指針と言われるやつですね。8つのコアバリューは、「誠実であれ」、「建設的であれ」、「凡事徹底」、「諦めないド根性」、「破壊と創造」、「自ら愛を注げ」、「理念と実践のダブルスタンダード」、「直感ドリブン」からなります。

2-3.8つのコアバリュー

2-3-1.誠実であれ

まず「誠実であれ」についてです。これは仕事でもプライベートでも大事にしています。間違ったことはしっかり間違ったと謝る。お客さんや仲間がWin-Winになるように向き合い続けるなど、数え出すとキリがないですがそんなニュアンスです。

これからの時代、誠実でない人や会社、サービスはどんどん淘汰されていくと考えています。お客さんにも仲間にもしっかり誠実でありたいし、誠実なサービスを提供したいと強く考えています。 

2-3-2.建設的であれ

次に「建設的であれ」についてです。簡単にいうと、後出しジャンケンすんなよってことです。笑

これは内省すると、いつも出てくる大切にしている価値観です。昔から物事が決まった後に文句をグチグチ言う人がとても苦手なのです…。

また、この建設的であれという表現には、ちゃんと「相手ベクトルであれるか」についてもニュアンスとして含んでいます。

自分だけの立場を守るのではなく、お客さんやチーム、会社など次元を一個上げた視点から物事を伝え合えるか、そして尊重し合えるか。私も余裕がない時は自分ベクトルになる時がありますが、その時は不幸になることがほとんどなので、戒めとして気をつけようとしている部分です。

今は亡き私の人生を変えてくれた恩師が魂を込めて教えてくださった「相手ベクトルであれるか」は、死ぬまで大事にしたいと思っています。

2-3-3.凡事徹底

3つ目は「凡事徹底」です。これはメドレーで勤めていた時の会社のカルチャーを取り入れています。メドレーの時の話を少ししますが、どんどん会社も事業も成長しているので、外から見るとキラキラしているように見られる時もありました。

しかし、実は毎日の徹底した細かい業務遂行の積み重ねこそが成長の秘訣なのです。 

まず目の前のことを誠心誠意やる。そしてそれを毎日続ける。このプロセスがいずれ信頼になって、そこから他の仕事や大きな役割を任されるということを勤めていた2年間で強く経験しました。

不平不満を言う前にまずやるべきことやれ。ということですね。笑 これは普段の仕事で1番大事にしているところかもしれません。 

2-3-4.諦めないド根性

4つ目は「諦めないド根性」です。言わずもがな、先ほど紹介したナルト自身が大事にしているコアバリューです。(一応断っておきますが、大前提私は体育会系ではないです。どちらかというと体育会系は苦手なカルチャーです。笑 )

「諦めないド根性」とはむやみやたらに根性論で乗り切るというニュアンスではなく、自分自身と痛くても向き合い続ける。現実社会の厳しさに向き合い続ける。というニュアンスです。 

その生き様が、他者に良い影響を与えると確信しているからこそ、「諦めないド根性」と表現しています。 

2-3-5.破壊と創造

5つ目は「破壊と創造」です。常に自分を顧みて、常にアップデートしていこうぜっていうことです。時代の流れは早いです。Beingは握りつつも、新しい考え方や価値観を取り入れ、自己矛盾を味わいながら、徐々にトランスフォーメーションし続けたいということを示しています。

今までの自分から変わることは時に痛みを伴いますが、アップデートされていくたびに余分なものが手放されるので、どんどん幸福に近づいていくと思います。

元々経験フェチの私からすると、「破壊と想像」は根源にある欲求そのものである気がしています。 

2-3-6.自ら愛を注げ

6つ目は「自ら愛を注げ」です。このnoteでも言及しているのですが、自分の価値観やナラティブにそぐわないと、自他の間に境界線を作ってしまいがちになります。

でも自分から相手をまず知ろう、相手に興味を向けようとしたら、意外と打ち解けたり、そこから相手を想う気持ちが徐々に生まれたりします。5年前の私のビジネスでの恩師に「相手を知る努力をしなさい」と言われたことがあるのですが、それが今でも教訓になっています。

2-3-7.理念と実践のダブルスタンダード

7つ目は「理念と実践のダブルスタンダード」です。このことは、このnoteで最も伝えたいメッセージの一つでもあります。また後ほど詳しく言及しますが、今の社会では理念だけで通るほど甘くはないと感じています。(いつか理念を貫いたりや社会的に意味のあることをやったりするだけで生きていけるような社会になってほしいですが、まだその段階にいくのには時間がまだまだかかると思っています。)

20歳の時は想いの強さと若さと勢いで何とかなると思っていましたが、実際そんなことはなかったです。笑

特にこれはスタートアップを数社経験して感じたことです。今の社会では資本主義が基本実装されています。つまり基本的に儲かる領域にしかお金が集まらない現実があります。その資本主義のゲームルールおいては理念だけで通せるほど現実は甘くないと何度も痛感しました。

一方で、市場に評価されることだけやっていても、自分は何のために生きているのかがわからなくなるということも事実として起きている現象だと思っています。「雇用と給与さえあればそれで本当に幸福なのか?」といつも問いとして抱いているところです。

ただこの市場経済の現実から逃れて、綺麗事の理念だけ述べている人も中にはいるなと感じてきたのも事実ではあります。もちろん理念は大事です。でも同時に我々は資本主義がデフォルトの社会を生きているという現実があります。 

この現実と向き合って、自分の理念をどう擦り合わせて生きていくかのような泥臭さが重要なのではないでしょうか。

綺麗な側面だけではなくて、泥臭さこそが人間味を感じるところですし、私はそこに美しさを感じます。

論語と算盤かみたいな話をしてきましたが、どっちの方が大事かという二項対立的な話ではなく、両方を大事にし続けることが大切だと思います。人生のフェーズによって重みづけをフレキシブルに変えていくダブルスタンダード方式が1番納得いく形だと考えています。

要は泥臭く人生あがこうぜ!っていうことです。笑

2-3-8.直感ドリブン

最後は「直感ドリブン」です。今の世の中のほとんどの問題は二項対立で語られることが多いですが、ほとんどがグレーなものです。その中で自分なりの解を持つことが大切だと思っていますが、その時に重要になってくるのが直感です。 

答えのない中で答えを出す時に、最後は自分の直感を信じることにいつもしています。今後もこの直感を冴えさせるための活動は続けていきたいところです。 

「真の願いに気付き、人生を意義深く歩む人を増やす」ことと、8つのコアバリューについてお話ししてきましたが、これらが自分の活動や考えの根幹にあります。

ここからは1番よく質問をいただく、「どこで何しているの?」についてお話ししていこうと思います。笑 

3.何をしているのか、何故しているのか、何を考えているのか

今Doingとして何をしているかというと、複数のスタートアップでのお仕事、個人事業主としてのお仕事、京都の実験寺院寳幢寺にて在家修行者として仏教の勉強、そして臨床実習生をやっています。

当然最近大忙しです。笑 ただありがたいことに大変充実しているので嬉しい悩みですよね。

3-1.スタートアップでのお仕事について

3-1-1.ITSUDATSUについて

ITSUDATSU社のメンバー

まずITSUDATSUという組織人事コンサルティング企業に関わっており、事業開発をしています。名前の通り会社も代表も考え方もプロダクトも”逸脱”しています。

ぜひITSUDATSUのことやうちの思想哲学について発信しているのでご興味ある方はこちらをご覧ください。

ITSUDATSUでは組織は人の集まりであるからこそ、人が活性化せずして、組織の活性化はあり得ないと考えています。

そして、人には「心」があるので、人の活性化には「心」の活性化が必須であるということも考えています。その「心」の活性化において「真本音理論」という考え方が全てのサービスの根幹にあるのですが、これがまたとても面白くて。笑

◆真本音理論とは?
私たちの心は明確に2つに分けることができます。『揺らぐ心』と『揺るがない心』です。『揺らぐ心』は外部環境からの影響を受けながら出来上がる心です。外からの影響により、その反応として発生しますので、これを『反応本音』と呼びます。

一方で、『揺るがない心』は外部環境がどうであれ、それによって揺らされることのない確固たる心です。これを『真本音』と呼んでいます。真本音は誰の心にも存在しますが、それを自覚できている人は少ないです。

真本音に基づいて生きる度合いが、その人自身の「腹の据わり度合い」や「覚悟の度合い」に著しい影響を与えます。

真本音度合いの高い人同士が力を合わせ相乗効果を発揮することで、その組織は飛躍的に進化をする可能性が高いです。つまり、個人の真本音度合いは、組織の真本音度合いに直結すると考えます。

この「真本音理論」に基づいて、社会や組織のKANAMEとなることを支援します。

インタビュー記事:「真本音とは何か」 

私個人は願いを大事にしていますが、その対概念を恐れと表現しています。もっとスキルや経験を積まなければ。あれもこれも。焦りや不安からくる成長欲求などを恐れと呼んでいるのですが、この恐れベースからくる欲求や行動からではなく、自分はどうありたいかの願いを起点に、どう日常やビジネスシーンで活かすのが良いかについて疑問を持っていました。

そこで出会ったのがITSUDATSUで、まさに願いと恐れに近い考え方が真本音理論でした。営業成績などの目に見える定量的な評価だけで、曖昧な生き物である人間を観るのではなく、目に見えない人の本来持つエネルギーや真本音に基づいて生きる度合いの高い人(=「要人材」)を独自の技術で分析します。

それから組織において抜擢し、その「要人材」を優先的に支援することによって、結果として組織や社会への影響が大きくなるというコンセプトでサービスを提供しています。

このITSUDATSUの人の本来持つエネルギーをどう上手く組織や社会で活かしていくかについての考え方やアプローチに惚れ込み、関わっております。

私の友人の中には会社での評価や数字に呑まれてしまい、心を失ってしまった方や心が折れてしまった方を何人も目にしてきました。

あれもこれもとスキルや経験など目に見える部分だけ追い続けたり、焦りや不安からブクブクと鎧を着ていったりすると、いつか必ず疲弊して、壊れる日がやって来ると思います。(自分も過去に経験しました。)

ITSUDATSUの人が疲弊することなく、本来持つ魅力をどう見つけどうやって活かすのか。いわば、どう鎧を脱いでいくのか。そして本来持つ魅力を活かした方が、心も人も、組織や社会もより活性化するという考え方がとても自然で、今の成長疲労社会へ本当に必要な意味のあることをやっていると確信しています。 

まさに願いを見つけ、それを軸に生きていく人を増やしていくという私の理念にもマッチしています。私自身もいずれ組織やチームビルディングなどの人材や組織開発のお仕事もしていきたいと考えておりますので、その点でも日々修行させていただいています

ITSUDATSU自体やサービスについて語り出すと本当にキリがないので、今日は省略させていただきますが、気になった方はぜひうちのnoteなど見ていただけるととても嬉しいです。

代表黒澤氏と弊社アドバイザー竹内氏との写真

3-1-2.Hedgehog MedTechについて

次にヘッジホッグ・メドテックという医療テックのスタートアップに正社員としてガッツリ関わっています。こちらも事業開発を担当しています。 

元々メドレーの時にお世話になっていた方が代表されており、プロダクトや理念も面白いし、社会にとって意味のあることをしているなと共感し、ジョインさせていただきました。

これまで医療IT企業で勤めていたことや、現在も臨床実習生として病院を回る中で、医療業界ってあらゆる場面に課題が山積しているのを嫌ほど痛感してきているので、常に何かしらできることはないのかと模索しています。

その中でもうちがやっていることは予防医学のアプローチです。日常生活に治療用のアプリで早期介入し、行動パターンを認識し、改善に持っていくというシステムを開発しています。今は頭痛症状を中心にアプローチしています。

特に頭痛とかは単なる症状ではなくて、例えば職場での人間関係などから認知の歪みによって生じることがあり、そこに対して認知行動療法が有効であることが学会では推奨されているようです。頭痛薬やカウンセリングで頭痛が何年も治らなかった人が、認知行動療法を受けたら改善したなどは例として挙げられます。

そもそも予防医学が浸透して病気がなくなると疾患にかかる人が減ってしまうので、病院やクリニック側からしたら変な話病気が治らない方が儲かるんですよね。

なので、なかなか予防医学が進まないところもあるのですが、ここをDX化して浸透させることは本当に意味のあることだと思っているので、すごい共感していて。また、このチャレンジなところもそうですが、アプローチの部分である認知行動療法に個人的にすごく興味があります。

私が特にやりたいところである、他者の真の願いを見つけることや心を活性化していく上で、その方の過去の経験や人間関係の影響で認知の歪みがあって、それが前に進む時の障壁になることはよくあることです。

それを本格的に心が折れる前の段階から認知の歪みを把握したり、認識できたりすると、例えば適応障害やうつ病などの病気もだいぶ軽減できそうだなとも思っています。

いずれ認知の歪みや精神的な部分に対してアプローチしたいと考えた時に、アプリを使った開発技術や認知行動療法、予防医学の考え方は必要になってくるなと思っているので、その点でも修行させていただいています。

2つの関わらせていただいているスタートアップについてここまでお話ししてきましたが、ITSUDATSUでもヘッジホッグ・メドテックも、人や社会にとって本当に意味のあるサービスに取り組んでいるからこそ、熱意を持って働けています。

本質的に人や社会のためにならないただ儲かるだけの事業や、お客さんに対して誠実でないサービスってやる気が起きないな、継続できないなっていうのが自分の特性上分かってきていることで、組織選びや誰かと一緒に働く際にとても大事にしていることです。

3-2.個人事業主「トイネガイ」について

3-2-1.起業したきっかけについて

ここまでは関わりを持たせていただいている組織についてのお話でしたが、ここからは個人でのお仕事についてお話しさせていただきます。 

実は昨年の11月頃に個人事業主として起業しました。これは完全に直感で動きました。

なんとなく組織の中では自律できるようになったけど、社会の中の一人としてはまだまだ自律できていないこと。また願いやありたい姿が明確になってきたこと。

他には、色んな方とお会いしたり関わったりしている中で、継続的にコーチングを受けたいやビジネス面でサポートして欲しいなどの嬉しいお声が段々と増えてきているなど様々な要因が重なって、起業する流れになりました。

元々、起業や独立についての助言はここ数年でよくいただいていたんです。ただ、まだまだ自分は願いが明確になっていないからや、自分なんてまだまだスキルも経験も未熟だしできることなんて少ないしからなど言い訳して、いつかできたらいいなくらいに思っていました。

しかし、段々と自分の願いを自分個人として表現したいなという気持ちが強くなっていったこともあり、タイミングと直感でまずは個人事業主としても仕事をしていこうと決断しました。

願いとコアバリューは明確なのでそこさえブレなければ、お仕事をいただいたお客様に自分ができる精一杯のことを何でも提供できればと考えています。

今は経営者や個人事業主の方を中心にしたコーチングやカウンセリング。他には独立支援や営業コンサルティングなども提供しています。

これも価値提供としてのDoingは何でも良いなと思っていて、いずれその数あるDoingの中から、最も意味があると感じられ、最も情熱を持ち続けられると確信できたものが事業になったり、その結果として会社ができたりするのではないかと考えています。

「起業はするのか?」という問いに対しては、いずれ今の事業を拡大して法人としても起業しようと考えています。これは確信があります。願いやコアバリューに即してお客さんにお役立ちしていく中で、いずれ法人にせざる得ないタイミングが来るんじゃないかというくらいで思っています。

つまり結果としていずれ法人としても起業するだろうなということです。また、より価値を提供する範囲や影響力を高めようと考えると、法人として会社をやる以外の選択肢が特に思いつかないですね。

ただ今はまず個人事業主として自己表現をし、目の前のお客さんへ価値提供を続けていくということだけを考えています。

これも凡事徹底です。ぜひお役立ちできることがありそうであれば、こちらのHPからやMessengerなどお気軽にご連絡・ご相談ください。

3-2-2.「トイネガイ」に込めた想い

ちなみに屋号は「トイネガイ」です。これはシンプルに問いと願いからとって「トイネガイ」にしました。

自分自身の願いを探究したり、向き合ったりすることができるようなるためには、質の高い問いをどれだけ投げかけることができるかが鍵だと思っています。

思い返すと幼少期から大学生になるくらいまで、私は母に「今日どうだった?」などの何かしらの問いを家に帰ると毎日聞かれていました。このことから無意識に自分のやりたいことや感じたことを考え、言葉にしてから話す機会が圧倒的に多く、自分は何を感じているのか、何がやりたいかなどについての問いと言語化を繰り返す習慣ができていたのだと考えています。

また3年前くらいに心がボロボロだった時期に、お世話になっていた教育コーチング企業の一人のコーチから、ランチの際に「京ちゃんは今幸せなの?」とふと投げかけられたことがあります。

この問いは自分の心の葛藤と向き合う中で、何ヶ月間も反芻し続けていた言葉でその結果、復学して自分を見つめ直そうとなったことがありました。(今でもそのコーチの方にはとても感謝しています!)

つまり、何気ない問いでもそれが人の人生を大きく変えるインパクトがあることを私は身をもって知っています。

ですので、願いは言わずもがな、問いも同じくらい大切にしています。問いと願いから、「トイネガイ」として活動しています。

「トイネガイ」のロゴ

具体的にはクライアントの方に質の高い問いを投げかけ、そこを起点に質の高い対話を行う。これを起点にしたライフコーチングを行っています。 

またコーチングだけではなく、カウンセリングや、必要であればコンサルティングも行います。

簡単に私がやりたいことを一言で言うと、目の前の人が人生を前に進めるための支援者になるということです。

人を支援するときにはコーチング的なアプローチのみではなく、心の動きを観察したり、扱い方を探ったりするカウンセリング的なアプローチもとても大切だと思っています。

またより願いを深める上で、実験と検証を繰り返すことがとても大事なことだと思っているので、ビジネス的な実践サポートであるコンサルティングも必要あれば行います。

いずれコーチング、カウンセリング、コンサルティングを一気通貫で提供し、他者をトータルサポートできれば良いなと考えており、「問い」と「願い」を起点に実験を繰り返しているところです。

3-2-3.恥を捨てること

会社員としての経験はもう4年(長期インターンも入れると5年)になりますが、個人としての経験はまだまだ駆け出し段階です。なので、1つテーマを設けています。それは「恥を捨てる」ということです。

ある程度経験が積み上がっていくと、初めてのことでも自分の経験則や自分が観測できる範囲の中で物事を見てしまう傾向があります。また、やり方も固定化されてしまうので、徐々に失敗しないように石橋を叩きすぎてしまったり…。

でもここから先は「分からない」がスタンダード。むしろ「分からないことだらけ」で当然なのだと思っています。 

だから化粧しすぎない、大きく見せようとしすぎない、あれもこれも最初からうまくやろうとしないなど、恥とプライドを捨てまくって、たくさん失敗して、分からないことから地道に学んでいこうと思っています。

最近ではご紹介いただいた経営者の方とお会いしたり、新しいコミュニティに踏み入れたりしています。まず会ってみる、まずお話してみることを意識しています。と、同時に無理な営業は一切しないことも意識しています。

もしお付き合いする中で共鳴できるポイントがあれば、そこから何かご一緒してできることがあればいいなくらいの気持ちで向き合っています。(もちろん心の底からこの方を支援させていただきたいと思った際にはご提案することもありますが。笑)

「トイネガイ」としては1年生。たくさんお客さんにできるだけの価値提供しながら、たくさん意見や感想をお伺いしながら、改善していこうと思っています。

3-3.実験寺院寳幢寺(ホウドウジ)について

3-3-1.ホウドウジとの出会い

少し前のお話をしますが、2022年は「人文知をインストールする」をテーマにリベラルアーツと呼ばれる学問をたくさん勉強していました。

資本主義的なOSにドライブされ続けることが心体ともに限界を迎え、ちょうど他の視点も取り入れようと思っていたので、主に歴史学や哲学、文化人類学などを勉強していました。 

その過程で2022年に「a scope」の仏教回を聴いた時に、人や社会が真の豊かさに近づくために仏教的な視点が極めて必要であるなと腹落ちしたことがありました。(ぜひ一度聴いていただきたいです!)

 そこから実験寺院ホウドウジに直接ご連絡をし、龍源先生と出会いました。毎月対話を交わしていく中で本格的に勉強したいとなり、2023年6月に在家修行者として入門し、仕事や勉強もしながら修行を続けています。 

この在家修行者とは一般的に想定される出家とは異なります。出家となると色々ハードルがあるため普通の生活も送りながら無理の無い範囲で仏教を学び、瞑想などの実践をしております。
 

3-3-2.自分が存在するという思い込み

そして仏教ですが、この学問は非の打ち所がないくらい綿密に論理的に積み上げられた東洋哲学であり、生きるヒントを与えてくれます。

例えば、好きな考え方の一つに「自分が存在するなんていうのは勘違いである」というものがあります。簡単に言うと自分という存在を規定している境界線は思い込みだというものです。 

自分というものを規定しようと思うと、自分は『「自分以外のもの」以外のもの』としか表現することができないので、自分が自分であるというのは思い込みに過ぎず、元来自分と自分以外のものは不可分であるということです。

ここから言えるのは、他者の存在が自分に大きく影響を与えるのだから、周りをハッピーにする方向に動いた方が結果として自分もハッピーだよね。ということです。

仏教が根本で大切にしているのは分かち合いです。そして、どうすれば周りがハッピーになるかということを大事にしています。また断っておくと、周りを優先して自己犠牲になろうと言っているのではありません。

元来自分と自分以外のものは不可分であるということですから、自分もハッピーであることが他者もハッピーであることに繋がります。何も自己犠牲的になれというわけでは全く無いです。

このように「自分が存在するなんていうのは勘違いである」は一つの考え方なのですか、あらゆることが論理的にビッチリ詰まっているのが仏教の魅力です。

この分かち合いを起点にした世界観のインストールが今の世の中ではとても必要だと考えています。

実験寺院寳幢寺(ホウドウジ)での写真

3-3-3.個人主義のエラー

私は西洋OSに強く影響されている個人主義が、本来日本人が持っている分かち合いの精神とコンフリクトしているなと考えています。

今の世の中どう個人が個として生き抜くか。また誰かが失敗してもそれは全て自己責任。個人主義OSの特性上理解できる部分ではありますが、それだけじゃ何か寂しくないですか。

この個人主義だけを軸において生きて抜いていったとしても、いずれエラーが起きると思ってます。その理由は個人だけで勝ち抜こうとする精神は、ホモサピエンスの習性に反していることだからです。

ここからはよく龍源先生がお話しされるシェアリング仮説について触れたいと思います。 

3-3-4.シェアリング仮説と分かち合い

まず、ホモサピエンスがここまで種として生き残ったのは、コミュニティ内でシェアをする習性があったからだとするシェアリング仮説と呼ばれるものがあります。



本来他の動物であれば食べ物や獲物を見つけるとその場で自分だけで食べ切ってしまう。でもホモサピエンスだけは自分のコミュニティ内に持ち帰り分かち合ったそうです。

 

多くの食べ物を持ち帰るために四足歩行から二足歩行へ進化をし、食べ物を分け与えるときに数を数える必要があったので、言語を獲得し、食べ物の位置をみんなに知らせるために、抽象概念が発達したとされています。



ここから我々はシェアすることで生き残った種であり、シェアや分かち合いに喜びを感じるようにDNAや本能に刻まれていると考えています。


逆にコミュニティや人に貢献することに逆行した行為は真の幸福感を得られないように設計されていったのではないかとも思っています。

結局、個人のみで考えられるだけの富や名声を築いた方々も最終的には分かち合う方向にムーブしていますよね。 

例えば、世界一お金持ちになった男ビルゲイツは今では環境問題にフルベットしていたりしてますよね。


ブッタだってそう。まずは1人で悟ることにフルベットしたようですが、結果として実際悟りを開かれたらしいですが、真の幸福感はなかったそうです。そこから他の苦しむ民たちの救済にフルベットしたそうです。



資本主義の性質上、資本による資本の増大が求められ、富を持つものが評価されやすいので、誰かが富を独占するようになる。そして不安や恐怖OSが根付いているが故に、独り占めを続ける。

そしてそれらのOSで駆動され続けるので、心が休まらない流れになって、変な方向に行ってしまうのはありがちなことだと思います。

ただもう一度断りますが、自己犠牲にもなって他者を尊重しろというわけではないです。元来自分と自分以外のものは不可分であるということですから、自分もハッピーであることが他者もハッピーであることに繋がります。

逆に自分が自己犠牲になっている奉仕状態はサステナブルではないと強く考えています。

例えば、ナイチンゲール的な奉仕イデオロギーが根強い看護領域では、現場がどんどん疲弊してしまって、看護師の方が次々と辞めてしまうことなどが事実としてあります。 

自分も他者もハッピーな状態を作る。そうした方が結果として個人で感じられる幸福度のトップラインを突破できるので、自分も他者も同じくらい大切にできたらいいと思うし、自分もそうでありたいなと思います。 

また、奉仕が第一と考えられるやすい医療現場でこそ仏教の視点はとても大事だと思っています。

仏教についても無限に語れますが、こちらもキリがないのでこれくらいにしておきます。笑

ホウドウジの活動は本当に社会や人類に対して意味のあることをしているので、もしご興味ある方は、書籍やメディア、podcastなどでたくさん取り上げられていますので、ぜひご覧いただけると幸いです。

3-4.臨床実習について

3-4-1.もともと医師を強く志していた

ここまで読んでいただいた方はもうこの時点でも充分お腹いっぱいだと思うのですが、もう少しだけどうぞお付き合い下さい。笑

私は組織や個人での仕事、仏教の勉強をしていますが、同時に医学部5年生でもあります。正直2019年くらいから企業で働き続けているので、学生という感覚はもはや無いですし、自分の中の一部の役割くらいの感覚です。笑

もっというと、学生であるとか社会人であるとか医師であるとか起業家であるとかはもはや気にしていないです。社会の中の一人として願いを表現するとなると、時と場合によって適切な「手段」や「ポジション」が存在していると考えており、それらをいくつか持っているくらいだと思っています。

もう少し詳しくお話しすると、大学に入学したのは2018年だったと思います。そこから今後のキャリアに本気で悩んだことや両親の離婚など色んな要因があって2020年から2年間休学しており、その間にメドレーでお仕事していました。

そこから2022年に復学しました。大学には仕事や他の活動の合間に通っており、今月から臨床実習生(医学部5年)として各診療科を2週間ごとにローテートしています。

もっともっと大前提を話すと、大学に入学するまでは強く医師になることを志していました。

海外経験や家庭環境の影響から、自分軸で人が動くにはどうすればいいか。どうすれば心を活性化できるか。真の豊かさとは何かという問いを幼い頃から持ってきました。 

中学生くらいの時には、何となく人の生まれから死まで全てのフェーズで関われる、なおかつサポートできるのはどんな職業があるのか、と考えた時に医師という選択肢しか思い付きませんでした。 

ただ、いざ入学したものの、他人軸で生きている人の多さに愕然としました。と同時に、縦社会・ムラ社会にとてつもなく息苦しさを感じていました。(当時の自分は、価値観やナラティブの押し付けが強かったところもあり、反省するべきところもありました。今では徐々に理解や尊重を示すことや共存ができるようになってきてはいます。)

また、対症療法的に疾患を場当たりで治療をしていく様が基本であることを目の当たりにした時に、「本当に自分がやりたかったのはこれなのか?」と1年生の時はずっと葛藤し続けていました。この期間は両親の離婚や裁判などもあって、金銭的にも精神的にも苦しい日々が続いていました。

この現状を打破したくて参加したのが「武者修行」と呼ばれる海外インターンシップでした。ここでコーチングやビジネスと出会ったのが大きな転機でした。(※ご興味がある方はぜひこちらをご覧ください。学生のうちに行っておくべき心からオススメできるプログラムです。)

一言で言うと根源的に「他者をトータルサポートしたい」といった願いがあり、あくまで医師はその手段でしかすぎないのに、医師という「手段」に同化しすぎたことによって周りが見えてなくなかったことが分かったのです。

そこからたくさんの実験と内省を繰り返していくうちに、自分の願いを表現するためには改めて「医師」という1つの手段が必要と実感しました。

医学部での勉強や実習は今後の将来における先行投資だと捉えて、気合いで通い続けています。笑 

ここからは、どういった機能を「医師」という手段に期待しているのかという話をしたいと思います。期待しているのはリベラルアーツとしての機能、ブランディングとしての機能、そしてポジショニングとしての機能の3つです。一つひとつ説明いたしますね。 

3-4-2.リベラルアーツとしての機能

まず私は医師としては精神科医を目指しています。もっというと精神医学の観点から人の見方や対人支援を勉強したいと考えています。

いつもお世話になっている精神科医の先生から「精神医学とは異常を診る学問だ」とメッセージをいただいたことがあります。異常な状態を診ることができて初めて正常な状態を相対化できるとのことです。

これはまさにリベラルアーツ的な視点だなと思いました。他者や組織をサポートする上で必要になるのが対人支援ですが、その際にコーチングやビジネス的な視点だけではなく、精神医学の視点も加わると対人支援に厚みが増すと考えています。 

また、この観点から診察自体にも興味があります。正直疾患自体のメカニズムなどにはそこまで関心は強くないです。一方で、生活指導や服薬指導などの患者さんへのアプローチは、普段のコーチング的なコミュニケーションにおいても、とても参考になる部分です。

「外来も全て対人支援だと思いなさい」ともこの精神科医の先生からいただいたのですが、今年の実習でも研修医生活でも是非とも持ち続けたい視点です。

つまり、医学も外来も全て対人支援におけるリベラルアーツ的なものとして捉えています。なので、医師としてどうキャリアを築いていくかということよりも、精神医学のエッセンスをどう対人支援やビジネスの現場などで応用できるかということを重視しています。

またいつか自分の会社の事業の一つとしてクリニックをやりたいなとも考えています。ただ薬を処方するのではなく、あらゆる視点や手段を取り入れた心のジム的なクリニックです。

みんな何かしら疲れてるよなと思っていまして。笑 ジムで肉体をメンテナンスするように、心をメンテナンスできるような気軽に通える場所があってもいいのではないかと考えています。

心理療法だけでなく、コーチングやワークショップ、瞑想なども取り入れるようなユニークなクリニックを妄想しています。

3-4-3.ブランディングとしての機能

次はブランディングとしての機能についてです。具体的に言うと、精神科医というカードに対して権威と信頼を期待しています。

今の時代、物質的ではなく精神的な豊かさが重要であるとの考え方は徐々に浸透してきていると思います。その時に、人の心や精神性、ウェルビーイングにアプローチするような方やサービスも多く出てきていると思います。

このアプローチする方やサービスが増えてきていること自体は素晴らしいと思います。一方で、誰でもコーチや心理カウンセラーなど名乗れる時代になったが故に、クライアントのためにならなかったり、搾取するような質が良いとは言えないサービスも中にはあるなと感じているこの頃です。

人の心や精神性、ウェルビーイングを話すときに、同じ話でも「誰が言うか」がとっても大事になってくると思っています。つまり信頼ですよね。

この信頼を「精神科医」という権威で補填したいと考えています。組織開発やチームビルディング、人事などの領域でもどんどんメンタルヘルスや精神的な健全さ、心の動きなどがとても重視されてきています。 

そこに精神科医かつビジネスのバックグラウンドもあるという形で信頼を勝ち取れたら良いなと考えています。そういった意味でのブランディングということです。

信頼を勝ち取れた後は誠心誠意向き合い続ける。ただそれだけだと思っています。

3-4-4.ポジショニングとしての機能

最後はポジショニングについてです。ブランディングに続いて打算的な話が続いているので少し心苦しい部分ですが、自分の願いを表現する上で必要な人生戦略なので、もう少しだけお付き合いください。

まず今の世の中の仕事には「儲かる仕事」と「意味のある仕事」に大体分けられると考えています。基本的に「儲かる仕事」というのは、その名の通り、投資したらさらなるリターンを見込むことができる領域の仕事です。あまり他者や社会のためにならなくても、儲かる産業や職業は実際ありますよね。

次に「意味のある仕事」とは経済合理性の外にあるけれども、他者や社会が幸せになっていくために、あるいは繁栄していくために絶対必要な仕事と定義しています。環境問題とか介護領域とかなどたくさん挙げられますよね。

私も含めて、特に今の若者世代というのはこの「意味のある仕事」をやりたいという方が非常に多いと思っています。

ただ今の時代では、いきなりこの儲からない「意味のある仕事」だけでやっていくのは相当難易度が高いのではないかと考えています。 

これは「2-3-7.理念と実践のダブルスタンダード」でもお話ししましたが、今の社会では資本主義が基本実装されています。つまり基本的に儲かる領域にしかお金が集まらない現実があります。

だから意味のある仕事だけをやっていてもなかなかお金は集まらず、それだけで食っていくのはなかなかハードルが高いことだなと考えています。当然、生きていくためにはお金は必要です。

一方で、「儲かる仕事」だけしていても、雇用と給与だけ安定していればそれで本当に幸せなのかという疑問もあります。「実際儲かるけど仕事はつまんない。でも給与が高いからやめられない」という声はよく聞きます。

他には、生活水準を保つためにずっと働き続けなければならないということもありますよね。また、出世していけばいくほど、どんどん自分の人生のために使う時間も無くなっていくし、給与も上がっていくので、なかなか大胆な意思決定が取れなくなるのも十分に理解できます。転職すると、給与が下がってしまうリスクがあるなど難しい現実があるなと思っています。

「意味のある仕事」をやることはホモサピエンスの習性を考えた時に、必ず幸福感につながると思います。一方で、資本主義が基本実装されている社会では、いきなり「意味のある仕事」をするのは難しいとも思っています。 

しかし、「儲かる仕事」だけをしていても本当の幸福感には繋がらないかもしれないです。また、そこから「意味のある仕事」に大胆にシフトするには、時間や給与などの色んな理由からなかなか難しいと考えています。

そこで、私が考えているのは「儲かる仕事」で生活の基盤を築きつつ、同時に「意味のある仕事」の方に徐々にシフトしていくのが1番現実的かなと考えています。つまりダブルスタンダード方式で、重み付けをしながら両方やるっていうのが1番良いと思っています。

いずれは意味のある仕事だけやっても、例えば、信頼資本のような形で資金が集まるようになって欲しいですが、そこまで行くのにはまだまだ時間がかかると考えています。

なので、この部分においては医師という資格のパワーに期待しています。フリーでも時給5千円から1万円の世界なので、給与と雇用の横断性という観点で、国家最強の資格だと思っています。 

例えば、週2,3のバイトでも生きていけるので、資金を確保するための時間を極力抑えて、「儲かる仕事」以外の残り時間全てを「意味のある仕事」にフルベットすることも可能だなと考えています。

そこから徐々に「意味のある仕事」のみから食べていけるようになるといいですよね。段々とそっちの比重を高めて、最終的には時間も全てフルベットしたいところです。 

大前提「意味のある仕事」をしたいと考えています。でも「意味のある仕事」をするためには、「儲かるための仕事」もしなければいけないのも今の社会の現実だと思っています。

ここをどう擦り合わせていくか。この解決手段として、医師というポジショニングを資本主義の中で取ることを考えています。

ここまでリベラルアーツとしての機能、ブランディングとしての機能、そしてポジショニングとしての機能の3つについて語ってきましたが、医師は自分の願いを表現していくためのとても重要なピースです。また、今のところですが、2年後はまず研修医として経験を積みたいと考えています。

4.”ニセモノ"ではなく”ホンモノ”でありたい

ここまでご覧いただきありがとうございます。めちゃくちゃ長かったですよね。本当にお時間使っていただきありがとうございます!

書いているうちにどんどん熱くなってしまって、伝えたいことも増えてしまい、そしてどうしてもDoingではなく、自分が何を大事にして生きているか。この部分をしっかり見て欲しかったという想いがあります。

もし久々に話してみたいなとか、この部分について議論してみたいなとか、何か相談してみたいななどなんでもウェルカムなので、お気軽に連絡いただきたいなと思っています。この部分がとても共感できるので何か一緒にやりたいとかも大歓迎です! 

最後にここ2,3年で最も変化した点について語って終えたいと思います。

3年前ほどは自分が何者であるか。何者かにならなければいけないという不安・恐れベースで駆動していた時期がありました。

あれもこれもと。もっとスキルや経験を。もっと早く、早くと。どんどんどんどん服を着込んで、武装して、ブクブクに太っていき、当時の私が真の幸福感を得られていたかというと全くそんなことなかったと思います。

でもそこでしっかり味わい、色んな世界観やOSをインストールし、アップデートし続けたことで、着込んできた服をどんどん脱ぐことができるようになりました。そして、自分が大事にしたかったモノを思い出せるようになりました。

当時、何者かになろうとしていた時はまさに偽りの自分。ニセモノでした。でも、色んなものを手放したときに、最後に残ったのがやはりずっと大事にしてきていた生き方で、これこそが自分の願いであり、ホンモノであるなと感じました。

そしてホンモノであり続けた方が、より楽に人生を進めやすくなるということも実感しました。

これからの時代は誠実でない人やサービスもそうですし、恐れや不安ベースで何かを搾取するモノや、そういった生き方などはどんどん淘汰されていくと思っています。 

逆にこれからの時代はホンモノしか残らないのではないでしょうか。

ありたい姿についてたくさん書いてきましたが、当然全部が全部完璧ではないですし、自分の中で良くない部分や変えたいなと思う部分、思い通りにいかない部分もたくさんあります。

でもそんな自分の不完全さも味わいながら、ホンモノを探求し、ホンモノであり続けたいなと思います。そしてホンモノを世の中に増やしていけるように引き続き修行していきたいと思っています。

そして、今年は修行だけはなく、願いを少しでも形に変えていけたら最高だと思っています。

私は"ニセモノ"ではなく、"ホンモノ"でありたいです。


ここまでご覧いただきありがとうございました!
noteは定期的に投稿していこうと思っておりますので、引き続きお時間ある時にはぜひ覗いていただけますと幸いです。

また、お仕事やご相談については以下のHPをご確認ください。
詳しくはHPのContactをご覧くださいませ。

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