少女の死で、世界は呪われた。日本SF新人賞作家が放つ最凶サイキックSF『アナベル・アノマリー』

 アナベルはただ存在するだけで、すべてを変容させることができた。
 彼女が座ったシートが一瞬で黄金に変わったとき、研究者は狂喜した。しかしすぐにミダス王の故事を思いだしたのだろう、慌てはじめた。
 天井が黒く沸きたち、タールとなって滴り落ちた。壁はさまざまな蘭となって濃厚な匂いを漂わせた。モニターは糞便の塊となり、蛍光灯は虹色の泡を吐きだしはじめた。
 研究者は鎮静剤の注射器を手にしたところで動けなくなった。見ると、膝から下が蠱惑的な光を放っている。ネオンになっていたのだ。視線を上げると、注射器は葉巻に変わっていた。エマージェンシーコードを叫びながら、研究者は降り注いできた沸騰したタールを浴びて死んだ。
 コードを受けて部屋に注入された催眠ガスは、雪となって降り積もった。駆けつけたガードマンの放った銃弾はハチドリとなって乱舞した。自動的に掛かるはずの電磁ロックは用を果たさなかった。ドアはとうにマンタとなって床でビチビチと跳ねていたからだ。

谷口裕貴『アナベル・アノマリー』10~11ページ

――上記は、史上最凶の超能力者である十二歳の少女・アナベルの覚醒シーンであり、谷口裕貴のサイキックSF『アナベル・アノマリー』の冒頭、全世界が呪われるに到った事件の端緒である。当該部分の短篇、「獣のヴィーナス」の発表は今から二十二年も前、《SFJapan》二〇〇一年春季号において。それが当時から読者に鮮烈なイメージを与えて伝説になりつつ、現代でも何ら色あせるところの無い衝撃を与えるのは驚きである。

『アナベル・アノマリー』は二〇二二年末に到ってようやく書籍刊行されている。この場面に引き込まれた人はそれだけでもぜひ手に取ってほしいが、詳しく知ってから選びたい人に、本書の内容と魅力についてもう少し説明したい。

 前掲の場面の直後、世界の破滅を瞬時に確信した研究者たち(彼らは、超能力者を人為的に創造する研究《レンブラント・プロセス》の参加者だった)三十五人によってアナベルは即座に撲殺された。もちろん彼らも無事では済まず、最初に「殺せ!」と叫んで襲いかかった研究者・ジェイコブスはタンポポの綿毛に変えられて飛び散ってしまったが、多くの研究者が殺されたもののアナベルの殺害には成功した――かに見えた

 そして二ヵ月後、彼らを嘲笑うかのように、プラハにアナベルが現れた。
ヨーロッパの建築史を体現するかのような美しい古都は、一夜にして奇怪なキノコの叢林となった。なかば脅されてアナベルに立ちむかったサイキックたちが死体の山を築いてようやく、変容現象は終息した。すべてが新種のキノコでできたプラハは焼き払われた。しかしその振りまいた胞子はヨーロッパに奇病を蔓延させ、一億人近い被害者をだしている。
 人類は十二歳の少女に呪われたのだ。

谷口裕貴『アナベル・アノマリー』12ページ

 確かにアナベルは研究所で殺害されたが、アナベルに呪われた世界において、アナベルは特定の存在を依り代にして、何度でも復活する。依り代となるものは下記の通りだ。

 アナベル・アナロジーとして世界中に禁止されているものは、一二種類ある。まず、アナベルという名前。はちみつ色のテディベア――プーさんは紅茶色になった――、キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルという犬種、赤いキーボード、チョコレートが一二パーセント以上含まれたクッキー、オルバニー、娘をもつキンドレッド、娘をもつアリス、妹のいるマイロン、銀のポット、コーンポタージュスープ、メッツの野球帽。
 すべてがアナベルの故郷、家族、好きなもの、愛したものだ。そこには隅に埃が吹き溜まるように、アナベルが蓄積する。そして雨滴のように、小さな核があればそこに少女がまとわりついて、今回のようにアナベルそのものが出現することもある。だから世界から完全に駆逐せねばならない。オルバニーなどは、完全に破壊され、地図から消え、あらゆる文献からも削除されたほどだ。そのアナロジーが原因で、異常事態アノマリーが起こる。
 少女の呪いは世界に満ちている。

谷口裕貴『アナベル・アノマリー』16ページ

 プラハ壊滅は上述の「チョコレートが一二パーセント以上含まれたクッキー」によってアナベルが召喚された結果である。アナベルが復活するたびに無数の死がまき散らされ世界滅亡の危機が訪れる。それに対して、サイキックたちが派遣されて多くの犠牲を払いながらアナベルを討伐する――というのが『アナベル・アノマリー』の世界観である。

 サイキックアクションを含むとはいえ痛快娯楽活劇とかではなく、超能力の発現によって陰惨かつ悪夢的なヴィジョンが次々に現出し、読者を幻惑し驚倒させる物語である。アナベル復活にはミーム災害的な側面が含まれており、現代で言えば、Keterクラスのオブジェクトへの対処を小説化したSCPホラーのような感触もある(前述通り二〇〇一年発表開始なので、SCPの誕生より起源は早い)。またたとえば飛浩隆『廃園の天使』シリーズの凄絶美を愛する人にも刺さるだろう漆黒の幻想を纏う作品である。ゆえにSF読者のみならず、ホラー・幻想小説読者にも推したい。

 この驚くべき作品が、冒頭二話だけ発表されたのち一九年に渡って続きが書かれず、作者も八年に渡って執筆業から遠ざかり、二〇二二年にようやく完成して書籍刊行された事情については、『アナベル・アノマリー』収録の解説を参照して欲しい。

 刊行から一年近くが経つが、二十一年かけて書かれた超能力SFの新たなマスターピースとしては、まだまだSF界内部でも読まれていないので、この記事を読んでご興味を持たれた方はぜひご一読を。

掲載誌《SFJapan》のリストも別記事で立てたのでこちらもご参照のほど。


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