気をつけるべき人間

他人の不幸は蜜の味
このような言葉を理解するのはとても難しい、未だに正直よくわからない感覚だ。さらに背徳感を感じたいという気持ちも同様に私にはわからない。ただ、潜在的にそのような感覚を持っている人間が多いということはわかる。

加害者と被害者がある事柄において、好奇の目を向ける人間が私は苦手だ。
どちらの側のことも知り、これから自分や周りはどのような対策をすべきか考えることは普通のことであるし、必要なことでもあると思う。
ただ、加害者のバックグラウンドや、被害者の悲惨さや悲しみや、両者の関係性をなんだか物珍しくおもしろいものを見るような目で見る人間のことが理解できないし怖いと思う。さらにこちらにさぞおもしろい話がある、貴方も興味あるだろうと言いたげにそのような話をしてくることが何より恐ろしい。

また、無意識的にそういうことを行なっている人間は多い。
自分や私への注意喚起や被害者側への心配と好奇の目の違いは、話している人間の目や表情や話ぶりを見れば明白である。
(女性への性的な被害に対する男性側の興味の目、加えて自分が興味あるからそれをまた女性相手に話題に出せてしまう人間などもわかりやすい例かもしれない)

いままで私が出会った人間の中で言えば約8割の人間にそのような表情や話しぶりがあった。そしてそのうちほぼ全員が無自覚であったと思う。今日のこの記事の話を私が当人達の前でしたところで自分はそんな話した覚えなどないと言うかもしれない。

このような人間とはこの先長く関係を築ける気はしない、まず自分の悩みを話したいと思えないし、その人間のことも哀れんでしまう。


まったくもって当然のことであるが、他人の気持ちに寄り添える人間ほどそのような話題を安易に持ち込み相手に反応を求めるようなことはしない。

ひとを見る上で一つ役に立つ見方かもしれない。

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