西国街道14 西条四日市宿→広島宿
本格的に街道を歩きはじめて3年目、夏は歩く時間がまとまって取れるので、ぐいぐいと街道を進む事が出来ます。1年目は中山道、2年目は北国街道・三国街道、3年目に選んだ道は西国街道。
真夏の京都から下関まで約570km、猛暑との共存も年々コツを得てきましたが、身体と会話しながら西を目指します。
2023.08.27
1.西條七酒造
西条市内には七つの酒造があります。
おそらく日本一の酒造密度地帯でしょう。西条酒蔵通りまるごと博物館と称し、各蔵元が見学テーマを設けて、来訪者を迎え入れています。
街道を西に進む前に、早朝の酒造巡りしてきました。
(1)賀茂泉酒造
創業 1912年
見学テーマ 酒づくりを学べる賀茂鶴見学室
(2)福美人酒造
創業 1917年
見学テーマ お酒のうんちく館
(3)賀茂鶴酒造
創業 1918年
見学テーマ お酒の本の図書館、藍染ギャラリー
(4)亀齢酒造
創業 1724年
見学テーマ お酒と亀のギャラリー
(5)西條鶴酒造
創業 1904年
見学テーマ 昔ながらの酒づくりの技
(6)白牡丹酒造
創業 675年
見学テーマ 酒蔵通りミニギャラリー
(7)山陽鶴酒造
創業 江戸後期
見学テーマ 日本酒と書の関係
いやぁ素晴らしいです。
日本酒好きなのでたまりません!
創業年を調べてみましたが、1910年代の大正時代が3酒造、明治時代が1酒造、江戸時代が2酒造、飛鳥時代が1酒造。
白牡丹酒造はなんと飛鳥時代の675年から!
10世紀以上の歴史って、想像がつきません。
ちなみに昨夜は辛口の亀齢を頂きました。この後も広島県内を横断しますので、他の酒蔵のお酒もいただきます。
2.西條七日市宿
街道からわき道に入ると、酒蔵と酒蔵の間が路地になっており、独特の風景を楽しみながらの散策が出来ます。なんとも贅沢な風景でした。
おそらく地元の方だと思われます。あちこちで井戸の水を汲んでました。
宿場町の東側には酒蔵6件が密集しており、西側に飲食店が密集してました。街の東側で酒を造り西側で飲む、見事な流れですね。
本来ですと上の画像の里山の中を抜けていくのですが、美味しそうなベーカリーを発見しましたので、寄り道していきます。
パン屋さんのテラスで朝食。
最高に幸せなひとときです。西国街道から少し離れてしまいましたが、街道の神様、どうかお許しを。
3.八本松
再び西国街道に戻り、溜め池が点々と存在するエリアを歩きました。
途中にあった須久茂池移築記念碑の文章を読むと、先人が肩で岩を担ぎ作った池、往来人が景観を楽しんだり、時としては遊泳場になった、など歴史が刻まれてます。
溜め池が地域住民の生活と密接な関係を築いきた事実を、垣間見る事が出来ました。
西国街道を歩いている知人から、広島県内の3つの峠が歩くのが困難らしいとの情報を頂き、昨日歩く予定でした2つの峠道はエスケープしました。
3つ目の大山峠がこの後控えてます。峠道が大好きなので、道中で地域の方々に聞いてみて、大丈夫そうなら行ってみようと、本日は心に決めて歩いておりました。
ちょうど、掃除をしているご婦人に聴いてみると、詳しい人がいるからと、スマートフォンで自治会長さんを呼んでくださりました。
待つ事5分、自治会長さんが車で登場。
大山峠が最近通れないらしいとの情報があるのですが今は行けますか?
と聞くと、行けるんじゃないか?との回答。
その後は具体的な道順と、大山峠のすぐ先に清水が湧いてて、わざわざ汲みに行く人がいる、など嬉しい情報まで頂きました。
結局、"最近通れたか"の肝心な情報は得られませんでしたが、何となく足は大山峠に向かい進み始めてしまいます。
大山峠入口の看板があります。通行不可との注意書きが無いので、行けそうです。
4.大山峠越え
ようやく登山道に入れました。
水流の影響と思われる地割れが何カ所かあり、落ちない様に慎重に進みます。人があまり通行していない様で道がわかりずらい事と、ピンクテープが少ないので結構悩みました。
あっという間に大山峠に到着。
この先に清水が湧いている場所があるとの情報でしたが枯れてました。
水が湧いていると期待してしまい、ペットボトルの水を補充せずに峠に入ってしまい猛反省。
土石流で道が完全に寸断されてます。
結構な月日が経っている様で、シダ類が生い茂り到底行けそうもありません。仕方ないので草木が生えていないV字谷の上の方の急斜面を進む事に。
45度級の斜面を這いつくばりながら歩いていると、気のせいか幅10cm位の獣道らしき筋が見えてきます。そこに沿って森林地帯を脱出。
GoogleMAPで大山峠との位置情報を確認しながら下山。
峠を越えて、沢沿いに降れば里に出るとわかっていたので進みましたが、峠の手前でしたら引き返してました。
こんな大きな砂防ダムがあるのですね。
登山道に入ってから1時間ほどでしたが、右足の指先を痛めた程度で脱出。確実な証拠がない限りは、いくら短い距離とはいえ、マイナス情報がある峠道は入らない方が良いですね。
山陽本線の八本松〜瀬野間は、急勾配区間として有名で、今でも昇り坂を通過する積載重量が重い貨物列車は、最後尾機関車を増結してサポートしているそうです。
明治維新の指導者を育てた吉田松陰、30歳の若さでこの世を去っていたのですね。
瀬野の地を4度も行き来していたと記されてます。
上の画像、斜めに下がった白い板に記されている22.2という数字、1,000m進むと227.2m下がる、パーミル(=‰)という鉄道の傾斜を示す数値。
普通鉄道の最急勾配は箱根登山鉄道の80パーミル、JRの最急勾配は飯田線の沢渡駅-赤木駅間40パーミル、上には上がいますね。
5.瀬野
徐々に近代的な住宅が増え始めてきました。政令指定都市の広島市が近づいてきています。
八本松駅を通過してから4時間弱、ようやく瀬野駅に到着。
立派な樹がありました。
その名はタラヨウ、かつては手紙の代わりに葉の裏に文字を刻んだと言われてます。今の時代、手書きの手紙は貴重で、復活して欲しいですね。
6.中野砂走 出迎えの松
広島市内が近付き、家々の風景も変わってきました。この先もどんどん街の雰囲気が変わっていくのでしょうね。
窓がずれた蔵。
先ほども目にしましたが、広島に近づくと増えてきました。とてつもなく美しい意匠でも無いけど、見た目のインパクトは大きいです。
今日は峠で散々な体験をして、すぐ先の海田市宿に泊まろうかと、昼食を食べながら宿を探していた時、店のテレビで24時間テレビが流れています。昭和のメロディをBGMに、ヒロミが歯を食いしばりながら100kmを走っている映像が目に飛び込んできます。
家にいたら真剣に観ていなかったかもしれませんが、今日は心にズドンと突き刺さり背中を押してくれました!
今日は広島宿まで行くぞ!
中野砂走の出迎えの松。
参勤交代を終えて江戸から戻っってきた安芸國の藩主を、家来や村の有志がこの松の前で出迎えたそうです。その風景見て見たいですね。
旧道は、道幅が昔の状態に近い道と、拡張した道に分かれます。
昔の状態に近い道は、狭い為に車の交通量が極めて少なく、近隣の住民が利用する生活道路になっています。その狭い生活道路に、マツダの販売店がありました。これは極めて珍しいケースで、マツダのお膝元ならではかもしれません。
7.海田市宿
上の画像をご覧ください。
自動車がギリギリでしかすれ違えない道幅の道路に、ミスマッチなサイズの大きな道路標識、これは街道に対するリスペクトなのでしょうか。
JR西日本が保有する、運行区間を半年程度で変えていく、変則的な運行をする寝台列車。内装が豪華で、地域の食べ物が車内で楽しめるなど、乗るだけでも楽しそうです。
小学校の頃、一度だけ銀河号という夜行列車に、東京から大阪まで乗車しました。確かその時は3段ベッドで、緊張してなかなか眠れなかったと記憶しております。
海田町 ふるさと館。
クオリティが高い資料館でした。
海田町では、かつて葡萄を生産してましたが、戦時に軍の土地として接収された過去があったそうです。軍港呉が近かったので、この様な事が他の地域でもあったと思われます。
さすが鯉の産地広島、夏なのに鯉のぼりが風に揺られています。
ひょっとしたら広島カープの熱狂的なファンかもしれません。
1本だけ残された街道松を守るために、道を曲げた跡の説明看板。
素晴らしき街道愛、心に響きます。
蘇民将来とは、各地に伝わる疫病除けの民間信仰。
疫病が退散しそうな力強さを感じさせる注連縄です。
峠道を超えたのでいよいよ広島市かと思っていましたが、そこには府中町の標示が。
市町村合併の波に押されず町として存続しているということは、大きな納税法人があると想像し、広島という事はマツダ本社があるのかなと調べたところ、やはりその通りでした。
府中町は日本一人口が多い町で、2023年8月現在約51,000人。2位は愛知県東浦町で約49,000人、3位は茨城県阿見町で約48,000人となっています。
あっという間に府中町を通過し広島市に入ります。
府中町の面積は10.4k㎡と広島県内で一番狭く、地図をみると、四方を広島市に囲まれていました。
8.広島宿
マツダスタジアムが近いので、あちこちに自転車や徒歩で移動する老若男女のカープファンが。おらが街の球団とそのファン、いい風景ですね。
広島市内に入り始めて、原爆に関する説明看板が。
記録としてきちんと残す事の大切さを実感しました。
上の画像の赤い折り鶴が描かれた白い標示物の一文。
被爆国首相よ 八月六日九日を 人類総ザンゲに日として 休日に制定せよ
市内で何度も目にしました。
愛宕神社。
神社にもカープの幟が、カープファンの聖地の神社です。
愛宕踏切を渡り始めたら踏切がなってしまい、こりゃ間に合わないと思ってたら、なんと踏切警手がいて遮断機を止めてます。
踏切警手の姿を見たのは、小学生の頃茨城県に住んでいた頃、東北本線の古河駅北側の踏切で見て以来なので、45年ぶりくらいになります。驚きました!
今日は峠道で悲惨な目に遭ったりしましたが、昼食時に24時間テレビで100kmマラソン走っている坂上忍の姿に元気をもらい、良いのか悪いのか、たくさん歩きました。
洗濯をしたら夜のパトロールに出ます。
広島市内での広島風お好み焼き。
焼きそばの麺が見たことがない細さで、店員さんに聴いたところお好み焼き用の麺らしいです。
同世代のおじさん三人と仲良くお話して、明日は宮島口で"うえの"のあなご飯を食べた方が良いと、アドバイスを頂き本日はこれにておしまい。
7日間の旅も折り返しの4日目が終了、明日も怪我なく歩けます様に。
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