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こんばんは、

病んでいないと私は面白いことが書けないなぁと思うんですが、それにしても常につまらない。
人生がとか世界がとかそんなスケールの大きな話じゃなくって、私がただ一人で「つまらない」をしてる。何もできない私が悪いんだけれど、それにしたって面白い人間があふれかえりすぎて、
ピアノが弾けたりギターが出来たり物語を書いたり絵をかいたり、最高に面白い。
そこに上手下手は関係なくって、そのことを初めて少しでも形になっているっていうだけで圧倒的に面白い魅力的な人間だなぁと思う。料理でも、大きな魚がさばける人なんか見ると、もう胸がとくとくと高鳴るし、パンを捏ねる人も、クリームを絵を描くみたいにするすると絞っていく人も全員最高に面白くて、そんな人間がたくさん集まってできている社会はなんて面白いんだろうと思う。
それで、そのせいで私のつまらなさに更に磨きがかかってしまう。悲しいけど、喜ばしいことだ。
私を除いた全員が面白いなら、私は全力でこの世を面白がって楽しむ側に徹底すればいい、それで、いつか私も面白い側の人間になれたら、どこかの誰かの世界を面白がってもらう理由の1ピースになりたい。文章を書くのは大好きだし楽しいけれど、これで誰かが面白がってくれる気はしないし、どちらかと言えば傷のなめ合い(オナニー)の為の文章のように考えているし、感動を与えたり、
心を動かすんじゃなくて私のこれは、「辛い現状で立ち止まるときになんかあるから読む」という感じの立場にいたくて、自分から望んではいるけど、これじゃあ面白くはなれないなぁって感じている。長い?長いよね、何の話を最初にしたのかもあんまり覚えていないけれど、楽しいんだ。こういうどこのだれも考えないで、でもどこかの誰かが読んでくれるかもしれない物好きの為の最低なオナニー的な執筆。ただ楽しい。これがどこかの誰かに届いて、きっと私が嫌いだなと思う人の元にこんなものは遠すぎて届かないだろうから、どこかの誰か初対面であろう好きになれる余地のある誰かに読んで欲しい。何時にあなたが読んでいるか分からないけれど、こっちは1時2分だよ。
死にたいなとか思ってた日常は溶け込みすぎて「日常」になってしまったし、薬も日常だし、最悪だったことが煮溶けて、日常に帰結していく。諦めもあるけれど、生きていくことの厚みが増したような感覚がして私は嫌いじゃない。溶け切っていない人は、まだ辛く長いトンネルの様な心境だろうけど、きっといつか2択に分かれて、日常になるかそんなときもあったなと笑えるようになるのどちらかに着地して、それから人生の本編を生きていく。基準なんてどこにもなくて、ただ普通が普通なだけで、誰も分かり合えてなんかいない。譲り合って学び合っているだけ。
今日、というか昨日が終わって今日が始まって、何すればいいのかわからなくなる。毎日。
きっとすることはいっぱいあるけど、これは必要だなと思えることを上手く見つけられなくって、
だから何もしないで生きていると何もしなかっただけがただそこに残って、私は何もしなかった人になってしまう。本当は違うのに。何かをしなきゃともがいた一日だったのに、何もしなかったになってしまう。苦しくもないけど、何となく悔しい。でも、何もしないが本当に必要な人もいて。
もう全然に違うのに、そんな真実は水面には浮かび上がってなんか来ないらしい。

虫が飛んでいる、小さな虫。
タイピングのついでで殺しちゃった、私の惰性で人生を終わらせた。
罪悪感とか尊さとかじゃなくってただの事実、汚いーってだけ、ティッシュで拭き取った。
で、何が言いたかったんだっけ。

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