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私を育ててくれたもの⑪           母への手紙

母の訃報が届いたのは招待された結婚披露宴の最中だった。
兄からの電話に気づいて席を立ち、会場を出て兄の話を聞いた。
その後、母の四十九日の準備をしていたとき、私は自分が母宛に書いた手紙を見つけた。それは10年以上前に書いたものだった。

 おかあさん、東京もすっかり秋めいてきました。この間会ったばかりだけど、元気そうに見えても薬の副作用でむくんだおかあさんの顔は、やっぱり私には少し悲しくもありました。
 最近よく考えています。どうしておかあさんはそんなに強い人なのだろうかと。おかあさんはいつも淡々としていて、どんな苦境にあっても愚痴をこぼさず、凛としていましたね。
 私が高校生のときにおかあさんは特発性血小板減少性紫斑病(ITP)という難病にかかって、脾臓摘出のために9時間にも及ぶ手術をしたけれど、そのあとも平然として入院生活をしていたよね。それからも肝硬変にもなったし、子宮がんも患った。癌が見つかったと私に電話してきたときだって、
「私癌なのよってケロっとして言うから、誰も本気にしてくれない」
と笑って話してくれたよね。
 もう 20 年以上もいろいろな病気とつきあいながら、少しも暗い顔を見せず、明るく生きてきたおかあさん。私は心配するだけで何もできなかった。私はただただ、おかあさんの明るさに救われてきました。
 4年前の夏、片眼が見えなくなったと聞いて、私は本当に驚きました。私の夫がすぐに見舞いに行くように言ってくれたけど、おかあさんは、
「だってもう見えなくなったんだからいいよ」ってさりげなく言ったよね。片眼が見えないと不自由だろうと思う周りの心配をよそに、おかあさんは、「もう片方はまだ見えてる」と前向きで頼もしかった。
 その2年後、もう片方の目も見えなくなりかけて、また手術をすることになっても、おかあさんはただ素直にお医者さんにすべてを委ね、不安は一切見せなかった。
 なぜ? 手術は怖くないの? 傷は痛くないの?  苦しいことは何もないの?
   「本当に痛くないの」って私が聞いたら、
 「痛いとか苦しいとか言ったってしょうがないじゃない。治らないんだから」って言ったよね。
 痛くても苦しくても、決して口に出さない、いや顔にだって出さないで、本当にいつも笑顔を絶やさずに生きてきたおかあさん。

 おかあさんは昔、こんなことを言っていた。
「恋愛中のときは、恋人の悪いところをちゃんと見なきゃいけない。
 そして結婚して夫婦になったらいいところを見るようにするの。」

 恋人のときは「アバタもエクボ」で、いいとこばかりに思えてしまう。だから、悪いところもしっかり見ておきなさいと。結婚したらいいところは見えなくなって嫌なところばかりが目に付くようになる。でも、好きになったところがあって一緒になったんだからそこをちゃんと忘れないように、と。
 誰もがおかあさんのように、人のいいところを見つけて感謝する気持ちを持てるなら、もっとみんなが幸せに生きていけると私は思う。私が今、幸せに暮らしていけるのはおかあさんたちが幸せに暮らしていてくれるから。
 私も心配をかけないで自分の生活をしていくことが親孝行だと思っている。ほかには何もできないけれど、心からのありがとうだけはずっとずっと家族に贈り続けたいと思っている。
 おかあさん、これからも素敵な生き方を私たちに教えてください。ありがとう、ありがとう、おかあさん。


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