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引きこもり限界就活生、1年ぶりに相席してきた。

こんなはずじゃなかったのだ。


今日は、久しぶりに大学の友人と会った。


就活を終え、彼氏は途切れず、同棲中というまさにわたしとは真逆の女友達と、半年以上ぶりに飲みに行った。


大学入学当初から、こんなわたしと仲良くしてくれる数少ない友人である。


そんな彼女と、1軒目は普通に激辛を食し、2軒目さぁどうする?という流れ。


とりあえず無料で飲めるし相席ラウンジでも行くか〜となり、1年ぶりに相席へ向かった。


そもそも引きこもりのわたしからしたら、友達と会うことですらほぼ無いに等しいのに、男性と相席しなければならない相席ラウンジに自ら行くなんて、どうかしている。


まぁ、ウチらに男回ってこないでしょ〜!のノリで行ったのだが、まあ回される回される。


VIP席をたらい回しにされ、移動のオンパレード。


タイミングが良い時は、女子2人で話している時間のほうが長い時もあるが、今回はほとんど相席していた。


大学2年生~3年生前半までは、頑張って陽キャっぽく振舞っていたため、相席の場でも盛り上げようと頑張ったり、話題を提供したりしていたわたし。


しかし、あれから1年経って、久しぶりにその場にいても、何の言葉も出てこないのだ。

自分が、心底つまらない人間になったことを実感したが、それと同時に無理に頑張ることを辞めた自分にも安心した。


ある卓では、

普段は何してるの?と聞かれ、大体引きこもってますね!と何も飾らずに答えたら、え?1人で?何するの?何が楽しいの?と馬鹿にされた。


1人の楽しみ方を知らないなんて可哀想だなぁ、と哀れみながら、映画見たり、買い物したりしていると言ったら、へぇ〜(つまんな)と返された。


いやぁ、本当に可哀想だと思う。

1人で楽しめる趣味があることを知らないまま生きるなんて、わたしからしたら考えられない。誰かがいないと何もできない人間に、今馬鹿にされてるのがとてつもなく遺憾だった。


この世には、楽しいことを共有したいタイプと、自己完結したいタイプの人間が存在すると思うのだが、わたしは圧倒的後者。


映画やドラマ、舞台、を鑑賞し、それらの作品に浸り、1人で考察を深める時間が何よりも好きだから、それを馬鹿にされるのは理解できなかった。


誰かと何かを共有したいという気持ちがないわたしにとって、そのタイプの人間からすると、自己完結して何が楽しいの?と思われるかもしれない。


だが、内向的な性格の人間は、常に何かを考え、思いを張り巡らせながら動いているため、他者と共有する隙がないのだ。


外交的な人間は、自分の思ったことを何も考えずに口に出すし、行動に移す。内向的な人間がそれらを読み取って不快にならないよう動いていることを知らずに、自由奔放に行動する彼らは私たちを無意識に傷つけている。


内向的な人間は、そんな外交的な人間から傷つけられるのが嫌でもっと引きこもる。

今日だってそう。普通、わたしなら相手の趣味を聞いておきながらそんな反応はしない。でも、外交的な人間は相手がどういう風に傷つくかとか、こう言われたら嫌かなとか、そんなことは考えないから知らぬ間に矢を放っているのだ。

自分が傷つかないから相手が傷つくことを知らない、そんな外交的な人間が集まる相席ラウンジに、自ら乗り込んだ内向的な女子2人。

結局最後まで、相席は最悪だったが、1人の素晴らしさにまた気づくことができた!

わたしは、人に会うたびどんどん1人が好きになる。


たとえ、彼氏持ちの友達や、家族のいる人と話してもその気持ちは全く揺るがない。


わたしは、一体いつまで「孤独は最高の贅沢だ」と思えるのだろうか。いつか、1人が寂しくてパートナーを求めたりするのだろうか。


そんな未来を1人で考えるのも悪くない。