#165 映像で見る長篠・設楽原の戦い

教科書で登場する武田勝頼と織田・徳川連合軍が戦った長篠の戦いだが、決戦地が設楽原(したらがはら)だったことから、長篠・設楽原の戦いと呼ぶこともある。

大河ドラマ「どうする家康」で長篠の戦いが描かれたこともあり、NHKの「歴史探偵」で長篠の戦いについての特集会が放送された。その一部はYOUTUBEにもあがっている。

まずは、そもそもなぜ武田勝頼が無謀とも言える突撃を行ったかという点である。武田軍は、鳶ヶ巣山(とびがすやま)砦を長篠城を攻める拠点としていた。信長は徳川家の重臣である酒井忠次に密かにその砦を落とすように命じていた。闇夜に乗じて武田軍に気付かれないように進軍し、鳶ヶ巣山砦を落とすことに成功した。そのことで武田軍は退路を断たれ、前面の信長軍に突入せざるを得なかったのである。動画では、その行軍がどれだけ困難なものだったのかを再現している。

次に、教科書にも登場する馬防柵について。武田軍の主力部隊だった騎馬隊の突進を防ぐために、信長は川に沿って幾重にも柵をつくった。現在その柵が現地で再現されているのだが、さながら簡易的な城のようである。
動画では柵を突破する様子が再現されているが、実際は内側からの絶え間ない発砲や槍兵の攻撃に耐えながらの攻撃となるため、柵の突破はさらに困難であることが想像できる。

さいごに、長篠の戦の代名詞とも言える鉄砲の三段撃ちについて。発砲してから次の弾をこめて再び撃つまでに時間を要する火縄銃だが、信長は鉄砲隊を3つに分け、順番に発砲させることで絶え間ない射撃を可能にしたというのが、今まで語られてきた「三段撃ち」である。
しかし、厳密には確かな史料がないことから、「三段撃ち」は創作ではないかと言われてきた。動画では、鉄砲隊を3つに分けるのではなく、準備が終わった人から撃つというやり方が最も効率が良いのではないかという検証がなされている。

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