shakainu

記憶の整理と気持ちの掃き溜め いつか私を知って欲しくて

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最近の記事

SNS・ギャンブル依存症と鬱病の話

現在ツイッター(X)が不具合を起こしていて愚痴も書けないので放置していたブルースカイに行ってみたはいいものの、まわりの投稿の様子がまるで違うためいつもの如く口の悪い愚痴も書けず、とりあえずnoteにまで手を伸ばしてみた。 私はギャンブル(パチンコ)依存症である。 今日は負けに負けてしょんぼりを通り越しているのでせっかくツイッターにでもぶちまけようかと思っていた矢先の不具合だった。 とてもこたえた。 私は精神科通いをしていて鬱病は確定しているようだが、躁鬱病だとはっきり言わ

    • 凡庸な私は遺書ですら読まれないのだろう

      何者かになりたかった。 多数の人間に愛されたかった。 散々な幼少期、青年期、それでも生き残ってきた。 私には才能が何もなかった。 ただ死ねなかった。死ねないまま歳を取った。 不治の病を抱える少女が遺した「死にたくない」という言葉に人々は同情し、涙を流すであろう。 鬱という不治の病を持つ私は言う、「死にたい」心から。 願わくばいつまでも少女でいたかった。 タバコをふかす文学少女でいられると思っていた。 こんなこと書くのは野暮だけれど、私がタバコを覚えたのは21のとき。 少

      • 会話と愛情と

        私の口数が多くなる日は寂しいを感じている日だと思う。 楽しい人だと思われたい。 私の発した言葉で笑って欲しいと思う。 それを愛だと思っている。 それが正しいのかはまだ分からない。 思えば昔からよく話す子だった。 今は憎しみしかない母親に対して、どんなに小さな事柄でも学校であったことを「今日ね、今日ね、」と話し続けた。 母親は無視はせずとも今思えば生返事だったのだと思う。 たまに笑ってくれればとても嬉しかった。 そして思い返せばそれは「会話」ではなく私の一方通行だった。 大

        • 毒親育ちは年末年始に病む

          年末年始お疲れ様でした。 私は旦那の実家へ一泊しました。 結婚したからにはこれは務めだと思っているので毎年お盆と正月は頑張っている。 義理の両親と私の関係は良好で、一泊することは実家に泊まることに比べればなんてことないのだけれど、大事にされている息子(私から見て旦那)を目の当たりにすると辛くなってしまう。 具体的に言えば、世間話をしている所を見たり、両親の前で寛いでいたり、そんな程度のことなのだけれど。 私の実家へは結婚が決まった時に挨拶に行ったきり、帰っていない。 私

        SNS・ギャンブル依存症と鬱病の話

          好きだけど読めない、読書

          私は文庫本を買うことが好きだ ○○論と書いてあるとワクワクする 明治辺りの作品が好きだ 変わったタイトルの本が好きだ 本屋に行くとワクワクする 背表紙を眺めてビビっと来たものを次から次へと手に取る行為が好きだ 前知識は全くない、本との出会いの時間だ 私はとても読むことが遅い そもそも本を読むのが早い人は頭の中で音読をしないらしいが、それをしないと読んだ気がしないのだ 難しい本が好きで、書いてある内容が分からなければ分からないほど良い が、読んでも読んでも次へと進まない

          好きだけど読めない、読書

          私と鬱病と仕事

          私は無理しない仕事をしたい。 何なら仕事はしたくない。 私はルーティーン化された仕事が得意。 事務作業が得意。 不安症から来る疑問提起が得意。 なぜか接客を褒められる。 それだけでいい。 今のままでいい。 今の仕事ぶりを評価してもらえるなら時給を上げてほしいとは思っているけれど、正直なところ今のままの仕事ぶりでいいなら今のままの時給でもいい。 ついこの間、上司より「扶養を外れてゆくゆくは社員にならないか?」との打診があった。 私は現在扶養パートをしている。 率直に仕事

          私と鬱病と仕事

          リストカット

          不思議なもので私は痛みの中で切り傷がいちばん嫌いだ。 その衝動を抑えられない日がある。今日とか。 メンヘラ、精神病んでるかた、鬱のかた、インターネットにはたくさんいるしもう散々言われていることだけれど、リストカットの傷は心の傷の具現化なんだと思う。 誰かに見られたくてリストカットなんてしていないけれど、誰にも見られないような場所に傷を付けるけれど、その傷を自分で見られるようにしたいのかも知れない。 私の左腕が立派なバーコード状態だったのはおよそ5年ほど前のこと、よく見ると

          リストカット

          無条件の愛の喪失記念日

          少5の誕生日はお祝いがなかった。 少し前に登校拒否をしたから。 当時から私はよく学校を休む子供だった。 両親は素行不良だと叱っていた。 見かねた妹が父親に頼んで私へ贈ったプレゼントは毎月買っていた少女漫画雑誌だった。 妹の優しさに触れて、両親の冷たさに絶望した日だった。 その頃から私は誕生日が苦手になった。 それまでは楽しかった誕生日。 ちょっと頑張った料理とケーキを食べられて、嬉し恥ずかしハッピーバースデーを歌って、年に一回プレゼントを貰える日。 それが一気に親の義務

          無条件の愛の喪失記念日

          ありとあらゆる男を抱きたかった

          性の目覚めは遅かった。 中学卒業の頃にようやく手にしたガラケーで性行為の内容を知った。 イメージと違って怖かった。 裸で抱き合うイメージしか知らなかったから。 私は彼氏が欲しかった。 誰かに好きだと言われてみたかった。 魅力を持たなければならないと思った。 それから自慰行為というものを知った。 初めての自慰行為は、性器を弄ったところで気持ちよくもなんともなかった。 これではいざ男との本番で、まだ会ったことのない男をガッカリさせてしまうかも知れないと思った。焦った。 それか

          ありとあらゆる男を抱きたかった

          喫煙と私

          タバコを始めてもう十年になる。 私の銘柄はキャスター。十年のうちにキャスターはサブネームになってしまって今ではウィンストンだ。 吸い始めたのは、大人になりたかったから。 過干渉、ネグレクト、無視、ヒステリー、そんな母親に育てられたので私は箱入りで、無知で、無気力で、どこにも行けなかった。 一人暮らしを始めることが出来たのは、引きこもりの私が三流以下の大学に通う事になったのがきっかけだけれど、まあお互い「逃げ出せた」「追い出せた」と思っていただろうな。 一人暮らしを始めて

          喫煙と私

          私と文才と靄

          私がものを書くようになったのは、引きこもりで社会と断絶していた頃のこと。 私はどうしようもない心の靄を誰かに晴らして欲しかった。 かつての私はその靄の原因を知らなかった。 希望の光の片鱗すらなく、24時間死んだように眠るしか選択肢がなかった。 幼少期から書くことが好きなわけでもないので日記すら苦手だった。 幼少期から日記が苦手だった理由は、学校や親に見せるがゆえに、その世代の子供が書く日記を意識して書いていたからだ。 「私の感情」を文章で表すという文化も方法も知らなかった。

          私と文才と靄

          片思いには不確定な希望があった

          私は過去、あらゆる男に惹かれた。 若さゆえの性欲か、眩しすぎる魅力に惹かれていたのか、ライクとラブの違いも分からず、全てを欲しがった。 いちばん古く美しかった思い出は、セーラー服を着ていた頃に隣の席だった彼。 形式の挨拶を、教卓に向かい起立した時、ふと目が合ったあの瞬間。 私より背の高い彼の視線と、私の視線と、奥行きのない背景と化した橙色の夕暮。 心が高鳴った。 絵画でだって表せない美しさだと思った。 私は彼に思いを告げることはなく、だがこんなに昔の一瞬を今でも大事にしてい

          片思いには不確定な希望があった

          懐古の中で生きている

          魅力が欲しかった。 15年前の私は空っぽだった。 周りのクラスメイトや友人、道ゆく他人、あらゆるすべての人間が正しく見えた。 空っぽな私は音楽を知った。 ロックバンドを知った。刺激の強いそれはすこし怖くもあったけれど空っぽな私によく響いた。 大槻ケンヂは神様だった。 私は映画を知った。 フランス映画は美しかった。 寺山修司の映画は分からなかったけれど「100年経ったらそのうち分かる」と叫んでいたのでそうなのだと思った。 ゴダールは大学生なら誰しもが通る道だと思っていた。

          懐古の中で生きている